第十話
不自然な会話が飛び交っていますが、ご了承ください。
「ふっ、ふっ、っ…………た、助けてくれっ」
息も絶え絶えに、男が懇願する。
腕は切り落とされ、羽はもがれ、目が抉られ、それでも生にしがみ付こうと尻餅ついて後ずさる、なんとも無様な魔族の姿を俺は冷やかな目で見ていた。
そもそも仕掛けてきたのはそっちの方だ。俺はただ返り討ちにしただけ。
だというのに、見逃してくれとはいったいどういうことなのか。
殺しにかかったくせに、殺される覚悟がなかったのか。
殺しにかかったくせに、殺されるということすら想定していなかったのか。
どちらにせよ愚かなことだ。
死にたくなければ最初から戦う気など起こすなよ。
ぶるぶる震えて隅にでも縮こまっていろ、それが相応ってもんだろ。
俺は冷めた目をしたまま剣を振り上げる。
「や、止め――――」
男の静止を聞きもせず、そのまま。
――――なっ。
景色が、入れ替わる。
レッドリザードが槍を突き出そうとする。
俺は何もできず固まったままそれを見送る。
心臓に吸い込まれる槍を、ただ見つめることしかできない。
何故、なんでだっ。
俺は弱くなんかないはずなのに。
それなのに、なんでこんなやつなんかに遅れを取らなきゃいけなくなるっ!?
『――――魔王様が、弱いからですよ』
「――――――っ!? …………はぁ、はぁっ」
毛布を蹴飛ばす勢いで、ベッドから跳ね起きる。
借りている宿の一室。目には確かにそう写っているはずなのに、夢の印象が強すぎたためかいまいち現実感が伴わない。
バクバクと、脳髄を直接叩いてくるような鼓動の音がやけに耳障りに鳴り響く。
俺は荒れた呼吸を整え、額から流れた汗を拭ってから深く息を吐いた。
「…………朝、か」
木窓から漏れ出る斜光の光加減から時間を推測し、次いで横に目を向ける。
ベッドの端。こちらから限りなく離れた位置に、小さな体躯が背を向けて横になっていた。
規則的な呼吸。起きては……ないだろう、多分。
そのことに僅かながらに安堵する。今、面と向かい合ったらどう対応して良いか分からない。
俺はネリィを起こさないように慎重にベッドから抜け出て、軽く体の調子を確かめる。
問題ない。昨日、壁に強かに叩きつけられたが大したことはなかったようだ。
…………俺は、だが。
ネリィの肩口。服の下には先日よりも何重に包帯が巻かれている。
血は止まっているようだが、重症なのは間違いない。事実、右腕は上がらない。
ちっ、と苦々しい想いが胸に溜まり舌打ちする。
余計な真似だと勝手に出しゃばったせいだと、そう嘯くのは容易い。
だが、そうして残るのはどうしようもなく無様で滑稽な自分だけだ。いや、もう遅いが。
「くそっ」
苛々する。無性に。
誰でもいいから何でもいいから、この怒りを遠慮なくぶちかましたい。
じっとしていると、妙なことばかり考えてしまう。ネリィがいるこの場においてはなおさらだ。
考えるよりも行動。……ネリィはそれを逃げと言ったか。
例え、今ある問題を棚上げにしていたとしても、煩わしい感情を溜めこむなんて上品な真似は俺にはできそうもない。
服を脱ぎ着替えを済ませ、腰のベルトに剣を引っかけ部屋を出る。
行先は当然決まっている。憂さ晴らしにはおあつらえむきの場所。
扉を後ろ手で閉める直前、ふと前に交わした取り決めを思い出す。
黙ってどこかへ出かけることはしないと、そうダンジョンに初めて行って帰った時にネリィと約束した。
それ以降は必ずと言っていいほど、出る前には一声かけてから行ったのだが。
「…………」
一瞬の思考の後、俺は黙ったまま部屋を出ていった。
ひしひしと、硬質な床を叩く音を極力殺しながら歩いていた。
ダンジョン二十一階層。最初のボスを乗り越えた次の階。
適正レベル以下とはいえ、ここらはクセのある魔物が多い。
油断せずに緊張を保ったまま常に周囲を警戒するのは当たり前。
なのだが、今ここにある静けさは断じてそれとは別の物であることを、ディアナは感じ取っていた。
少し先にルドラ、隣にはアンナをつれて、いつものようにダンジョン探索をしている。
「…………」
そこに会話はない。気安い仲だというのに、今は重苦しく沈んだ空気が流れている。
ダンジョン探索中の警戒だと、言い訳できたのならどれほど気が楽なことだろう。
いつもならここで軽く自分が話を振り場を盛り上げ、調子に乗ったところでルドラにたしなめられて、アンナが苦笑する。
そのいつもが気軽にやれない。やる気力すらない。
なんとも息苦しい空間の中にいる。
いつからこうなったか……なんてことは自問するまでもなく明白だ。
四日前、ディアナたちのパーティに一時的に一人の冒険者が加わったとき。
去り際に彼がもたらした言葉が、未だに尾を引いてディアナの、皆の頭を悩ませていた。
――――自分たちの足場さえ固めていない。
なるほど、確かにその通り。
今のこの現状をみれば反論の余地はないと、ディアナは暗く笑う。
意識したつもりはなかったが、この不安定な地盤に彼を引きこもうとしたのだ。
固まってもいない場所に重りを足すだけでは、ただいたずらに足場を脆くするだけ。
仮に彼がパーティに入るのを了承したところで、遠からず崩壊していたところだろう。
今までにディアナに、もしくは他のメンバーに悩みがあったことがなかったわけではない。
ちょっとしたことで苛立ったり、メンバー同士での不和があったりもした。
それを今まで諫めたのはパーティのリーダー役を務める男。
だが、彼はもういない。それどころかその彼が抜けたことで全員が途方に暮れている。
途方に暮れ、とりあえずパーティという形は保って、物足りない気持ちをごまかして、どこか歪なまま続けてきた。
不安定なまま見ないふりをして、時間がいつか解決すると流されて、ボスさえ倒せば元通りになると期待して。
そして結果は、この有り様。彼が居ない隙間は埋められないまま、悩んでいる。
悩んで、答えが出ない。どうすればいいのか。どう変えていけばいいのか。
このメンバーでやっていきたいという想いはある。
パーティを組んでからまだ一年しか経っていないが、築いてきた絆は簡単に捨てられるほど浅くはない。
しかしこのまま変わらないのであれば、遠からずパーティは解散となってしまうだろう。
この空気に長くは耐えきれない。ずるずる引き摺ったところで何も生まれない。
ならいっそのこと楽しかった想い出だけを残して、解散する方がまだ生産性はある。
…………と、そこまで考え込んで、自分が今後ろ向きになっていることにディアナは気づいた。
気づいて、理解する。
無意識にそう考えるということは、もう自分の中の気持ちは既に傾いているのではないかと。
「――――――――…………ッ」
「…………?」
ふと耳が捉えた音が、ディアナの暗い思考を掻き消した。
音に引かれ通路の奥をじっと見るが、何もない。
「ねえ、今なにか聞こえなかった?」
「えっ?」
「ん、そうかな……僕には聞こえなかったけど」
一応二人に確認をとってみたが、不思議そうに首を傾げているだけ。
その様子をみて気のせいかとディアナは肩の力を抜くが、もう一度何か雄叫びのような音が微かに耳を叩いてそれを否定した。
「やっぱり奥に何かいるっぽいよっ。どうする? 様子見に行ったほうがいいんじゃない?」
「…………とは言っても、何があるかも分からないし」
「…………」
意見を求めても、アンナは沈黙を保ち、ルドラのどっちともとれない呟きが返ってくるだけ。
重苦しく、その態度だけで面倒だと伝わってくる。
こんな簡単なことすらすぐに決断できない。曖昧な消極的な意見しか出せない。
もし彼がここに居たのなら、「面白そうだな! 行ってみようぜっ!」とすぐに意気揚々と駆けていっただろうに。
答えが出せないまま、その場に留まる。
その今の状況とパーティとが、重なっているようにディアナには思えて。
「…………ッ!!」
耐えきれず、ディアナは一人駆けだした。
「ディアナ!?」
制止の声を振り切って、奥へと進む。
先ほどの暗い幻想を振り払うように、一歩でも速く。
通路の先を進んでいくごとに、叫び声のようなものが大きくなってきた。恐らくそう離れていない。
通路の奥はT字路になっていた。叫び声は音の響きからして、右だろう。
瞬時にディアナは判断して、角までさしかかると一気に飛び出した。
「オオオオオオオォォッ!!!!」
「っ!?」
視界に広がっていたのは一つの戦場。
群がる魔物たちに立ち向かう一人の冒険者。
ひどく見覚えのある後ろ姿は間違いない、先日パーティを組んだ男だった。
共に戦ったときに見せた高い突破力を持って、男――――エリクは魔物たちの中に飛び込んでいく。
勇猛果敢に、されど愚にも付かない蛮勇さで。
ディアナは慌てて声を張り上げて制止しようと試みたが……それが音に乗ることはなかった。
圧倒。
開始数秒で繰り広げられる、息を忘れるほどに目を惹きつけて止まない圧倒的な蹂躙劇。
彼が剣を一振りするだけで、襲いかかった魔物は断切され、命の灯を失い、魔素へと還っていく。
斬って進み斬って進み斬って進みと、単調的な動作しかしていないが、単調だからこそその凄まじさはよく分かる。
躊躇なく苛烈に、激しさと熱を持って押し進む。
一人では到底対処できないような魔物の数を、ものともせずに粉砕する。
特別力があるわけでも速いわけでもない。
力も速さもないが…………技がある。
最適で最速で最小限の動きを持って、敵をいなし殺していく。
自分では到底真似できないような見惚れるほどの技量を前に、ディアナの制止は逆に押しとどめられた。
今これを止めるのは無粋、そう自分で思ってしまったのだ。
観客の一人として観る者を熱中させてしまうほどの劇を前に、しばらく呆けて見ていたがしかし、ディアナは一抹の不安を覚える。
…………どこか危うい。
派手さはある。感嘆させられるほどの破壊力はある。
だが、攻撃力にものを言わせて、自分の身を守ることは念頭に置いていないような無鉄砲さがチラついて見える。
今も後ろの方で、魔術師タイプの魔物が魔法を使おうとしているのに見向きもしていない。
集団へ集団へ、より多くの魔物の中心に向かってエリクは飛び込んでいく。
結果的にそれが仲間を巻き込まないようにと、魔法を撃つのを躊躇させているが、それもいつまで持つものか。
ディアナは少し離れた位置から冷静にそう分析した。
余計な御世話かもしれない。しかし、だからといって見過ごすわけにもいかない。
「ディアナ!!」
「……はぁ、はぁ」
ちょうど、ルドラとアンナが後ろから追い付いた頃だった。
タイミングがいい。
ルドラが息を整えてから、ディアナに抗議しようと口を開くが。
「今から彼を援護する。手伝ってっ」
短く言って、ディアナは飛び出した。
片づけられた魔物たちが、魔石だけを残して跡形もなく消えていく。
屠った総数は数知れない。
感情の赴くままに剣を振りまわしていたから、冷静に状況を見ることができていなかった。
…………だからといって、救援を求めていたわけじゃない。
大勢の魔物が居なくなった後、その場に残ったは俺と、以前にパーティを組んだ三人組。
そいつらに振り返り、やや視線を鋭くして俺は口を開いた。
「何故手を出した?」
「えっ?」
呆けたような声を出したのは、赤髪の活発そうな女。…………確か、ディアナと言ったか。
「何故、勝手な真似をしたと聞いたんだ。
冒険者なら冒険者同士のルールがあるだろう。他人の獲物を横取りするなよ」
「なっ……ちょっ、ちょっと待ってよっ! あたしたちは別にそんなつもりじゃなくてっ」
「なら、何故勝手に乱入してきた? 俺に恩でも売っておきたかったのか?」
「違うよっ! だって……あれは、しょうがないじゃんっ!
あれだけ数の魔物、どうみても一人で対処できるわけがないでしょっ!?」
「その判断はお前らじゃなく俺がすることだ。お前らが居ることには気づいていたが、俺は助けなんて求めていなかった」
「それは……だけど……っ」
何か反論したかったんだろうが、言葉が見つからないようでディアナは押し黙った。
俺は鬱陶しげに三人を目を寄こして、
「大体、お前らみたいな半端なパーティが勝手に入ってこられてもペースが乱れるんだよ。
ありがた迷惑にも程がある」
「「「…………っ!?」」」
傷を付けることが分かっていて放った言葉は、面白い具合に三人の顔色を変えさせた。
あのときこいつらに指摘したときと同じだ。
顔を俯かせ肩を悔しげに震わせるが、何も出来ない。
こいつらとの関係はこれでさらに険悪なものとなっただろうが、まあどうでもいいことだ。
さっさとここから立ち去ろう。
そう思い、背を向けて二、三歩進んだ所で肩に圧力が掛かり、俺は足を止めて振り返る。
そこには、俺の肩を痛いくらいに掴んで険しい顔で睨んでくるディアナが居た。
「…………なんだ、何か文句でもあったのか?」
「あるに決まってるでしょ。好き勝手言っちゃってくれて」
ディアナは怒気を発して、俺の肩にかけた力をさらに強めた。
「君のせいでどれだけあたしたちが悩んでいると思ってるのっ!?
少しは自分の発言に責任くらいもちなよっ!」
「知るか、そんなの。勝手に自分の責任を相手に押し付けんな」
「…………っ、ああそう! わかった、もういい!
色々言いたいことはあるけど、言っても無駄だから今は置いておく。
だけど、今君を離すつもりはないよ」
「……何? どういうことだ?」
俺が視線の圧力を強めれば、それに対抗するかのようにディアナは不敵に笑い、
「さっき君、言ったよね。冒険者同士のルールは守れって。
ああそうその通り、あたしもその規則に従って動いてるにすぎないよ」
「あ? どこがだ?」
「ギルド規定法第十七条、『他の冒険者が危機に陥った場合、たとえどんな状況であれ全力で持ってコレを助けよ』って、まあ一字一句正確に覚えているわけじゃないし、そもそも自分の手に負えない物だったら考慮しなくていいアバウトな規定だけど、要は自分たちの目から見て、他の冒険者が命の危険に晒されている状況だと判断したら、可能な限りそれの救助に務めろってこと。
……たとえ、どんな状況であったとしてもね」
「なるほど、それで他者の戦闘行為の干渉が認められると?
ずいぶんいい加減な規定だな。自分たちの都合の良い解釈で、どうとでもなるじゃないか」
「そうだね。でも、さっきのも本当に自分勝手な解釈だと思ってるの?」
「……何が言いたい?」
「まあ、君もそうだったから遠慮なく言わせてもらうけど、あのままあたしたちが加わらなかったら、
多分君、死んでたよ」
さらりと言ってのけたディアナの目には怒気が失せ、代わりにこちらを窺うような気遣いが見える。
「だから、ほっとくわけにはいかないでしょ。今の君は普通じゃないから、冷静じゃないから。
あたしも君にちょっとは腹立ってるけどさ、それで身捨てるほど薄情じゃないつもり」
「俺が、死んでた? 冷静じゃないだと?」
「うん。ずっと調子よく魔物を倒していたみたいだったけど、あれは攻勢に出ていたときだからで、一度でも足止めていたら危なかったんじゃない?
君、周囲のこと全然見えていなかったよ。せいぜい自分の手の届く範囲くらい。
魔物たちが君の死角を位置取るようにして動いてたの気づいてた?」
「…………」
「あたしたちが信用ならないのかもしれないし、自分にどれだけ自信があるのか知らないけど、今日の所はもう帰った方がいいよ。
自覚がないってのが一番タチ悪いし、なんか見ていて危ういよ」
その諭すような物言いに、今度は逆に俺が反論の言葉を持たずに沈黙する。
嫌っている相手を心配するなんて、よっぽどのお人好しだなとか、何でこんなことを言われなきゃならないんだとか色々と、まあ頭の中を駆け巡ったが、その中でも素直に思ったことだけを吐き出した。
「…………お前に言われても、別になんとも思わないんだな」
「えっ?」
「……いや、確かにお前の言うとおり、さっきの俺は冷静さが欠けていた。認めよう」
言葉と一緒に両手を挙げて降参のポーズをとれば、ぽかんとディアナは口を開いて目を丸くした。
「何だ?」
「いや、うん。えーと、なんか、あっさりしすぎだなーと思ったり?」
「心外だな。俺だって相手の主張が正しいと思えば素直にそっちに従うさ。
ああ分かった。今すぐ帰ろう。下へ降りよう」
「…………なーんか、ほんと素直すぎてちょっと気持ち悪いなー。
ほんとは適当なこと言って追い払おうって腹積もりじゃない?」
「…………」
「ちょっ、ちょっと! ほんとはまだ探索するつもりなの!?」
俺が口を噤めば、ディアナに耳が痛くなるほど咆えられた。
「そんなつもりはない。今日はもう気分じゃないから、ちゃんと言われずとも帰るさ」
「ほんと? 適当に言ってない?」
「本当だ。…………じゃあな」
面倒になったので、中途半端に会話を切り上げて踵を返す。
後ろで何か呼ぶ声がするが、無視して俺は言われたとおりに下の階層を目指していった。
「…………んで、なんでまだお前らが居るんだよ」
「うん? そりゃ、もうそろそろあたしたちも下りようとしていたから?」
二十一階層から下りてきてダンジョン十階層目。
もうすっかり帰宅ムードでテンション下がり気味の俺に、さりげなくついてきたディアナたちへ異議申し立てをするが、ディアナにはまるで悪びれた様子はない。
俺の隣を陣取って何かにつけて話を振ってくる。少し後ろにはルドラとアンナが黙ってついてきていた。
「別に俺についてこなくてもいいだろうが」
「ついてきたつもりはないよっ。帰る道がたまたま同じなだけで」
……この野郎。よくもぬけぬけと。
「はっきり言おう。迷惑だ邪魔だ失せろ」
「だから、今度は邪魔していないでしょっ? ちゃんと君一人に戦闘任せているし」
「…………」
拒絶の意思を見せても退こうとしない。
見た目通りに我も意地も強い奴だ。後ろ二人はただ単に、ディアナに引っ張られているだけみたいだが。
議論するのも体力使う分面倒だ。
俺はそう割りきって、黙々と進むことにした。
「……やっぱ、迷惑だった?」
「そうさっきから何度も言ってるつもりだったがな。それを承知でついてきているんだろう?」
そう言うと、ディアナの表情が沈んだ。
いや、さっきからも話は盛んに振ってきていたが、どこか無理している感じはあった。
いわゆる空元気。
後ろの二人は会話に参加しないことからも、まあパーティ内はどこかの誰かさんのせいでうまくいってないらしいし、
気まずい思いをしているんだろう。
ネリィと同じく見るからに元気っ子の属性を持っているこいつからしてみれば、それは人一倍負担がかかりそうなことだ。
だからこそ俺を引きこもうとしたんだろうが。
「……ねえ、あたしたちいったいどうしたらいいと思う?」
と、つまらないことを考えていたら、沈んだ表情のままディアナは訊いてきた。
「何で俺にそんなことを訊く」
「何でって…………君が元はといえば元凶でしょうがっ」
下からディアナに鋭い眼光で睨みつけられた。
「言いがかりも甚だしいな。責任を押し付けるなと言っただろうに」
「別に全部君に押し付けるつもりはないよ。でも、何か助言くらいは頂戴よっ」
「と言われてもな……そんなの、さすがに分かるはずもない」
そう、と小さく呟いてディアナはまた黙りこんだ。
……他所のパーティことなんぞに、なんで俺が口を挟まなければならないのか。
俺はため息を吐きたくなったが、既に場の空気が若干重いので躊躇われた。
そして、またぽつりとディアナが呟く。
「……やっぱ、過去に引きずられるのはよくないことなのかな」
「あ? なんだそりゃ?」
「君が言ったことでしょう? 前に偉っそうに」
「…………いや、俺が言ったのは俺を誰かの代わりにするなということだけで、そんなのは一言も言ってないぞ」
「そうだっけ?」
記憶を遡るようにしてディアナは、うーんと唸り始めた。
結構本人にとってはショックな出来事だと思うのに、なんで正確に覚えていないのか。
「別に、過去の想い出に浸ろうがそれを大事にしようがそんなのは好きにすればいい。
引きずろうが当人たちが守ろうとしているんなら、他人が口出しできるもんじゃない。
強引に言えば、俺にリーダーの責任を押し付けようとしたことも、お前らが納得している事だったら構わないだろ。
だが、一番問題なのは他人の俺が指摘した程度でお前らがそこまでぐらついていることだ」
「…………」
「まあ、早めに欠点に気付けてよかったんじゃないのか?
パーティは微妙になってしまったのかもしれないが、また一からやり直せると思えばいいじゃないか」
「……外から言う分には、楽でいいね」
今度は呆れと言うよりは、幾分か疲れた取れたかのようにディアナは笑った。
「逃避するよりは悩んで停滞している方がマシだろ」
その淡い笑顔から逃れるようにして紡いだ言葉は、何故だろう。
こいつらだけじゃなく、自分にも返ってくるようで。
脳裏に浮かんでくるのはネリィの顔と言葉。
動かしていた足が、止まる。
「…………」
「? 急に立ち止まってどうしたの?」
「いや……ちっ、まったく。会話に意識を割きすぎたか」
ディアナの問いには答えず、後ろを振り返る。
それに、後ろでついてきていた二人が、訝しげに俯き加減だった顔を上げた。
「……誰かは知らないが、さっきからこっちの後をつけているやつが居る」
「「「…………っ!?」」」
俺が発した言葉の内容に、俺以外の全員が驚愕の表情を顔に張り付けた。
一番早く我に返ったルドラが、真っ先に口を開いた。
「なっ……そ、それはほんとうかい?」
「ああ、確証はないが恐らくな。正確な人数までは分からないが、少なくとも三人以上は潜んでいる」
「な、なんであたしらがつけられなくちゃいけないのよっ。まったく、どこのどいつよっ」
「さあな。ただ、他人の後ろをこそこそ嗅ぎ回る連中が友好的だとは思えないがな」
「…………も、もしかして『冒険者狩り』でしょうか?」
アンナが身を縮こまらせ肩を震わせながら、不安そうに訊いてきた。
…………確かにそれが一番可能性がありそうだが。
「とにかく、歩くぞ。いつまでも立ち止まっていたら不自然だ。
こちらが尾行に気づいているのを悟られるのは賢くない」
俺が促すと、また一定のペースで全員が歩みを始める。
「でも、どうするの? このまま何もせずにいたら襲ってくるでしょっ」
「そうだな……つけられている時点で、既に相手に優位はあると思った方がいい。
俺たちが選択できるのは通路で戦うか、広間で戦うかぐらいだ」
「それは、相手が何を武器にしているか分からないんじゃ、選択しようにも……」
「だから、相手に優位があるんだろう?
まあ、こっちが状況を切り崩そうとするなら即興で策を考えないといけないがな。
たとえば、次の曲がり角で待ち伏せて、相手が出てきたところに不意打ちをかける、とかな」
「……その作戦、悪くないと思いますが?」
後ろを気にしてか、声を窄めてアンナが口を挟む。
「…………さあ、正直なところ分からない。
こっちは『冒険者』で、あっちは『冒険者狩り』だ。
下手な策は逆に相手の思う壺かもしれん。
それなら、小細工なしで正面切って戦う方が有効なこともあ……っ」
「? どうし――――」
俺が急に言葉を切ったのを、怪訝そうに横目で見てきたディアナも感じ取ったのだろう。瞬時に首を前方へと戻した。
薄明かりに照らされた通路の奥から、ゆらりと現れる五つの影。
それはすぐにはっきりと輪郭を表し、五人の人間であることが見て取れた。
「ちっ、挟み撃ちか」
苦々しげに舌打ちを打つも、状況は変わらない。
前方から歩み寄ってくる男たちは、どう好意的に見ても無害な者には見えない。
下卑た欲望を隠しもせず、獲物を逃がさないとばかりの鋭い目つきは、
『冒険者狩り』であることを如実に表していた。
「ははっ、こうも見事に嵌まるとはな。警戒が足りていなかったようだなぁ、冒険者さんたち?」
五人の中から一歩前に出てきたのは、右目の古傷が目立つ壮年の男。
口元には卑しい笑みを広げているが、目だけは冷静に品定めでもするかのように俺たちを観察している。
その口上も雰囲気も前に会った奴らと似通ってはいるが、明らかに格が違っていた。
「…………と、お前だよな? どう考えても」
男は、俺を視線を定めて言い放った。
これは問いかけではなく自分への確認だろう。
俺の腰についた『マジックポット』に目を付けた瞬間に、笑みを深くしたのを見てもよく分かる。
狙いはやはり、俺か。
こうして待ち伏せされたことを考えると、突発的なものではなく計画的な行動だろう。
「はっ、そんなにコレが欲しいのか? どいつもこいつも馬鹿なやつが考えるのは同じ事だな」
「ん? なんだ、前にも同じような事があったみたいに言うんだな……」
「ああ、どっかの馬鹿が喧嘩を吹っ掛けてきやがったから、返り討ちにしてやったんだよ」
「く、ははっ……なんだ。そいつは多分俺のところの者だな。
どうやら俺にも可愛い部下の仇討ちっていう大義名分ができたじゃねえか」
心底愉快そうに、男は喉を震わせ笑う。
……なるほど、まったくもって因果なものだ。
俺に盾突いてきた屑共が、同じ掃き溜めからまたやってくるとは。
俺の方が嗤いたくなる。
「ふざけてやがるな。ただの盗人が、正義の旗掲げて悦に入ろうとするなよ」
「盗人、盗人ねぇ……まあ、確かにその通りなんだが。
今回に限っては、それもついでみたいなものだ」
「……何?」
俺は鋭く睨みつけるが、答える気がないらしく男は笑って返すだけ。
そして男は視線を俺からずらし、ルドラたちに向ける。
「ついでというかおまけというか…………お前らは災難だったな。
恨みも何も目的すらないが、まあ一緒に仲良くこの男と死んでやってくれ」
「「「…………っ!?」」」
男の威圧にルドラたちが息を呑む。
強烈な殺意。それだけで、男と自分たちの実力差がはっきりと思い知らされたのだろう。
……そうだ、こいつらは関係ない。ただ運悪く俺についてきただけだ。
なら、巻き込んだ以上は最低限の義理は果たしておくか。
「おい、お前らは後ろの奴らをどうにかしてくれ。
俺はこいつらを片づけるから」
「え……ちょっ、一人じゃ無理でしょうっ!? 何考えて――」
「俺は一人の方がやり易い。お前らは三人で戦った方が連携も取れるだろう?
それに、後ろから流れ弾がくるのは困る。できるだけ距離を空けといてくれ」
ディアナの反論を潰し、さっさと行けと手を振る。
ディアナは一瞬迷った素振りをみせたが、ここで時間をかけてしまって後ろのやつらに距離を詰められたらマズイと判断したのか、
他の二人を引き連れて指示通り退いてくれた。
俺はディアナたちの気配が遠ざかったのをみてから、男に向かい口を開く。
「……案外あっさり見逃してくれるもんだな」
「ふん、言ったはずだろう。俺たちの狙いはあくまでお前なんだよ。
他の連中など知ったことか。
最悪、ここから無事に出られたとしてもこちらとしてはそれほど困る事ではない」
男はつまらなさそうに鼻を鳴らして、次いで獲物を狩り殺す獣のような鋭い殺気を俺に送ってきた。
「それよりも、だ。ずいぶんと俺たちのことを舐めてくれるようじゃねえか。
お前の言ったことは合理的に見えるが、ただ単にあいつらの生存率を上げるためのものだけだ。
一人で五人を相手取るなど、自殺行為にしか思えないがな。いったいどういうつもりなんだ。
……まさかとは思うが、お前死ぬ気か?」
「…………」
男の問いに、俺は答えない。
死ぬ気はもちろん微塵もないが、何かしらの意図があってディアナたちを離したわけじゃない。
俺の生存率を上げるのなら、男の言うようにあいつらを利用するべきだった。
それをしなかったのは…………。
「まあ、なんだ。自分でも今気付いたんだが、どうやら俺は義理は通す主義だったらしい。
さっき助けられた借りは、すぐ返さなきゃ我慢ならねえんだ」
自分で巻き込んでおいて借りも何もないだろうと言えばそうだが。
理由としたらそのくらいだろう。
まあ、何でもいい。
そんなことはひとまず置いておいて、
「――――始めようじゃねえか。また、返り討ちにしてやるよ」
「…………何をやっているんでしょうね、わたしは」
隣の空になっているベッドに見ながら、ネリィは深く息を吐いた。
魔王がダンジョンに出かけて数時間。
とっくの前に目は覚めていたが、未だ何をやる気にもなれずにネリィはベッドに転がったままでいた。
何をしようにもすることがない。することがないのなら、残るは思考だけ。
思考すれば自然に昨日のことを思い返す。
思い返してしまったのならば、反省と後悔が混ざり合って、結果的にネリィのため息の数を増やしていた。
自分が行ったこと自体は間違ったことだとは思わない。
唐突ではあったが常々考えていたことであり、機会を逃さずに言えたことにはほっとしている。
ただ、もっとうまいやり方があったのではないかと思う。
不器用に言葉足らずに感情のままに訴えかけても、それは子どもの喚き声と等しく相手に何も伝わらない。
相手のことを考えて言葉を選んでから言うべきだったのだ。
そんな単純なことすらができなかったことに、ネリィは深く落ち込んでいた。
落ち込んで……魔王のことを追いかけることができずにいた。
顔を合わせにくい。今、主を目の前にしたらどう対応していいのか分からない。
居ないことに安堵すら覚えている。
昨日一大決心をしておきながら、また今日逃げの思考に走っている自分が心底臆病で情けなくなっていた。
うだうだうだうだうだうだ、と。
ずっと同じ事ばかり考えて、結局は何も答えを見つけられずにその場に留まっている。
…………これではいったい何のための臣下なのだろうと。
ちょうどネリィ負のスパイラルが最高潮に達したとき、タイミング良くコンコンと軽く二回部屋の扉がノックされた。
「はい? おかみさんですか?」
思考の海から脱却したネリィは、ベッドのシーツの取り換えだろうとノックの主を推測し身を起こしたが。
「いや、私はこの町の兵士団の者だ。ちょっとよろしいかな」
「えっ!?」
返事を待たずに扉は開かれる。
そこに現れたのは、巌のような堅苦しい雰囲気を身に纏う老兵だった。
「いきなり入って申し訳ない。私は団長のディークと言う者だ。……久しぶりと言うべきかな?」
「え……あの…………」
ほんとうにいきなりのことでどうしたらいいのか分からず、ネリィは目を泳がせる。
兵士団。
もしかしたら来るかもしれないと魔王から注意は受けていたが、
まさかおかみの仲介もなく直接部屋に上がり込まれるとは予想外だった。
これが不味い事態であることは、ネリィにもさすがに理解できていた。
黒竜事件の際に、ネリィたちは兵士らの詰問を避けるために町に不法侵入している。
そのことも問題であるが、もし万が一に自分が魔族であることが悟られでもしたら、もうこの町には居られなくなってしまう。
「……ああ。心配せずとも貴方がたを咎めに来たのではない」
「えっ?」
ネリィの不安見抜いたような言葉に心臓が弾むが、その内容にネリィは首を傾げる。
ネリィの様子を見てディークは堅苦しい空気を霧散させると、柔らかく微笑んだ。
「ふむ。実は少し事情があってな。我々の中であの事は内々で処理させることになった。
内々で処理させる以上、君たちの罰則行為も見逃さざる負えなくてね。
色々と聞きたいこともあるがそれもナシだ。
それに、部下の命を救ってくれた者を檻の中に拘留するのも忍びない」
「そ、そうですか……」
老兵の言葉にネリィは安堵する。
もう兵を警戒するような必要はないと保証してくれたのだ。
外にも堂々と出られると、少しだけ気持ちが軽くなった。
「まあ、今日来たのはそのお礼と、あの事をできるだけ口外しないように頼みにきたのだ。
よろしいでしょうか、可愛いお嬢さん?」
「は、はい。もちろんですっ」
ディークはネリィの返事を聞いてもう一度微笑むと、そこから左右に部屋を見回すようにして視線を巡らした。
「ところで、もう一人同行者が居ると聞いたのだが、その方はどちらに?」
「あ、ええと、今はダンジョンに居ると思います。…………ぼ、冒険者ですので」
「む、そうなのか……」
ディークはネリィの言葉に、また堅苦しい雰囲気を纏って難しい表情になった。
「あの、何か?」
「いや……いや、あなたの耳には入れといた方がいいかもしれんな。
実はだが、つい先ほどある犯罪組織の頭領とその部下がダンジョンに入ったという情報が舞い込んできた。目的は不明だが、今のところ兵たちに警戒をさせている」
「それが、いったい……?」
「目的は不明だが、その犯罪組織というやつは今問題となっている『冒険者狩り』を率先として行っているところだ。それがダンジョンに入った以上、危険があるのが冒険者なのは自ずと知れるだろう?」
「…………っ!? ま、まさかっ!」
ネリィの頭の中で、最悪の想像が浮かび上がる。
冒険者狩り。当然のごとく、それらが狙うのは冒険者だ。
だが、ひとえに誰かれ構わず襲うということはありえない。
冒険者と一戦を交えるということは返り討ちのリスクを背負うということ。
ゆえに、誰でもいいから狙うという愚行は犯さないはず。
リスクを背負うなら、それに見合うだけの対価を。
リスク以上の、最大限の利益をもたらしてくれる者が必然的に狙われる。
その可能性が一番高いのは誰だ。リスクとリターンを照らし合わせて一番採算が取れる者。
それは…………今は弱体化している我が主ではないかとネリィは不安に襲われる。
「冒険者といっても数は多い。あなたのお仲間が必ずしも襲われるとは限らないが、
その人が帰って来たのなら充分に注意してダンジョンにはしばらく近寄らないようにと――――」
「ご、ごめんなさいっ!!」
ディークの言葉も待ち切れずに、ネリィは部屋の外へと飛び出した。
後ろから制止の声が聞こえるが、それも無視する。
今はそんな場合じゃない。立ち止まってなんかいられない。
不安は不吉な予感へと変わり、ネリィを追い込むようにして急き立てる。
……魔王が部屋を出たのは数時間前だ。今さら駆けたところ間に合うかどうかも分からない。
そもそも魔王が見つかるかどうかも分からず、自分が襲われてしまうということもありえるのだ。
それでも……それでも、ネリィは魔王の身を第一に考えるために行動する。
「どうか、ご無事で……っ!!」
身を切るような祈りを吐き出し、ネリィはダンジョンへと走っていった。
「く、くくく……」
宿屋の二階。
魔王たちが借りている宿の部屋の木窓から、小さな少女が懸命に走って遠ざかっていく姿を眺めている男がいた。
「く、はははははっ…………さてさて、これで全ての役者が揃いましたかね」
喉を震わせて笑い、それが静まった後も口元に笑みを広げるは、先ほどネリィと会話をしていたディークであった。
動きやすい軽装に身を包み、彫りの深い年季の入った硬い皺を刻むその顔は間違いない。
しかし、纏う空気がずいぶんと違っていた。
厳粛な騎士たる精神を表したかのような先のものではない、おぼろげで人を不安にさせるような淀んだ空気。
姿形は同じなれど、これは別人だとネリィが居たら迷いなく答えただろう。
それは半分正解で、半分不正解。
男がタンッと床を靴で叩けば、次の瞬間に全てが切り替わっていた。
一瞬、瞬きよりもさらに速く。
もうそこには兵士団の長たる老兵の姿はなく、代わりに別の男がその場に立っていた。
背の高いその身に上等な絹の衣装を上下に包ませ、細目で鷲鼻で右耳に片眼鏡をかけた、裏組織の頭領に伯爵と呼ばれた男がそこには居た。
「少し予定に変更はございましたが、何の問題もないでしょう。お膳立ては整えました。
あとはさあ、皆様方が演じてください」
両手を広げ、誰に唱えるわけでもなく、男は高らかに謳う。
「最高の演劇を! この私の目に焼き付けてくださいませ!」




