6.王妃に届いたハンカチ
ブランシュは部屋に入ると同時に土下座した。しかしそれは仕方がない。
(な、な、なんで王妃が目の前に!?)
♢
デジャブを感じるブランシュが呼び出されたのは、刺繍したハンカチをシルヴィに渡した3日後の夕方。
ジュリエットと食堂に向かう道中で、ダルクに声をかけられたのだ。
(私何かしちゃったかな。やっぱり奴隷は奴隷だっていう話かも)
ダルクの後ろを、必死に追いかけるブランシュ。
あまりに必死な様子に、ダルクは笑いをなんとか堪え、ドアを3回ノックすると女性の声が返ってきた。
(イ、イヴァン様じゃないの?リゼット様の声にしては落ち着きがあるし……)
ダルクがドアを開けると、恐る恐るブランシュは部屋に入る。
部屋に漂うバラの香を初めて嗅いだブランシュは、その甘さに目をぱちぱちとさせた。
顔を上げれば、そこにはいくつもの宝石の指輪をつけた女性が座っている。
豪華な刺繍入りのドレスを纏ったその姿は、ブランシュでも一目で高貴な人間だとわかった。
ちなみにその横には、イヴァンも突っ立っている。
「母上、こちらがハンカチに刺繍をしたメイドです」
ブランシュは瞬時に頭をフル回転させた。
イヴァンは王様の血と王妃の血を引いた、正嫡である。その王子が母親と呼んでいると言うことは……。
ブランシュは地面に頭をつけ、最大限縮こまった。
♢
時は遡ること5時間前。
イヴァンは5日に1回、王妃と昼食を取ることになっている。
イヴァンにとってこの昼食は、母と談笑する場ではなく、情報を共有する時間だった。
もちろん王妃の情報に、探りを入れることもある。
「その指輪は東の国の物ですか?」
黄金の髪が揺れると、灰色の瞳で微笑む王妃。
「そうよ。ダヴィドがお土産にくれたの」
「さすが第一王子ですね」
「あなたのお兄さんでしょ」
やや紫ががかった鮮やかな青が、王妃の白い指の上で輝いている。
兄ダヴィドが東の国との婚約を決めた頃から、イヴァンはその国の文献を読み漁っていたため、宝石の特徴についても頭に入っていた。
「次は何が欲しいか聞かれたのだけど、イヴァンのおすすめが知りたいわ」
「そうですね。東側でしたら、パパラチアサファイアはいかがでしょうか?」
「それは宝石?」
「はい。オレンジとピンクの中間色なので、青い指輪の隣に映えるかと」
イヴァンは母親にそう言いながら、ダヴィドに心の中でそっと謝罪した。幻のサファイアとも言われる宝石を探すのは、きっと大変だろう。
「明日ダヴィドにお願いして……あらっ」
王妃でありながら、この女性は大変おっちょこちょいである。今もなぜかスプーンをコップの中に入れたため、水が顔に跳ねたのだ。
「リリアーナ様」
「ありがとう。ん?これは……ヴェロニク・ドゥ・ペルス?このハンカチはどうしたの?」
王妃は顔には出さなかったものの、内心とても驚いていた。
刺繍された花はほぼ実寸大で、直径1cmもないほど細かく縫われている。加えて葉っぱの特徴まで、よく表現されていた。
「新しいハンカチを作るように伝えたところ、こちらが返ってきました」
「誰が作ったのか調べてきてちょうだい」
「かしこまりました」
王妃の反応を見たイヴァンはニヤニヤと笑い、ダルクは策士な主人に呆れていた。
♢
「お母様、私どこかでこの刺繍を見たことあるわ」
「あらリゼット。でもこれは、どこかのランドリーメイドが作ったそうよ。信じられないわよね」
「……あ」
「どうしたの?」
「私のドレスを、以前奴隷が直したわ。もしかして……」
美しい親子は、天使と呼ばれる王子の元へ急いだ。
それからハンカチを手渡し、王妃は腕を組んだ。
「イヴァンお兄様。まさかあの奴隷は今、ランドリーメイドとして働いていたりしないわよね?」
「残念リゼット、しっかりと働いてもらっているところだよ」
「イヴァンあなた、このハンカチはその奴隷メイドが作ったと思う?」
「わかりませんが、よろしければ連れて参ります」
ダルクはご機嫌なイヴァンを見ると全てを諦め、すぐさまブランシュを迎えに行くのだった。
♢
縮こまったブランシュを見つめた王妃は、顔を上げるよう言った。しかしブランシュは顔を上げても、足を崩さず手は床に重ねて置いたままだった。
「あなた、このドレスに見覚えは?」
メイドが運んできたドレスを見て、ブランシュの喉をひゅるりと鳴らした。
淡い緑と濃い緑が美しいそのドレスを広げると、なんと王妃は突然裏っ返しにしたため、その場にいたメイドが皆声を上げる。
しかし王妃には、そんなこと関係なかった。
「ここにハートの刺繍がされているの、わかるかしら?」
「……は、はい」
王女のドレスを直す際に、緊張した縫い子が慌てて引っ張ったため、裏地が一部切れてしまった。ブランシュはそこに金色のハートの刺繍をして誤魔化したのだった。
「次にこのハンカチを見てちょうだい。お花のカーブとあのハート、似てると思わない?」
緊張と驚きで、自分の心臓の音しか聞こえなくなったブランシュ。
そもそも奴隷の自分の作品が、王妃の元まで届くなんて考えたこともなかったのだ。
「ぜひあなたの口から聞きたいわ。このハンカチの刺繍をしたのは誰かしら?」
ブランシュは目眩がした。
それから助けを求めるようにイヴァンの顔を見たが、イヴァンは早く言えと言わんばかりに指で空を払った。
「……わ、私です……た、た、大変申し訳ございませんでした」
オレンジ色の瞳に涙を浮かべたブランシュは、擦り声を絞り出すと再びおでこを床につけた。
「えっと、お名前はブランシュでしたっけ?」
「……はぃ」
「あなたにはランドリーメイドを辞めていただきます」
ブランシュは、言葉を失った。
どんな仕打ちが待ち受けているのかと怯えていたが、王妃の穏やかな声と思いがけない言葉に胸が弾む。
(奴隷に戻れるの!?もうこの真っ白なリボンを付けなくて済むんだ)
喜びかけたブランシュは首元のリボンをギュッと掴んだが、話は予想だにしない方向へ転がった。
「今日からあなたは縫い子として働くように」
「と、母上はおっしゃっている。何か意見はあるか?ブランシュ」
獲物を捕らえた猫のような目に、微かな息を漏らしたブランシュは、ギュッと目を瞑る。
王妃はゆっくり目を細め、イヴァンはニヤリと口角を上げた。
「……お、仰せのままに」
♢
楽しそうに鼻歌を歌うイヴァンの後ろを、青白い顔でよろよろと歩くブランシュ。
「入れ」
「……はい」
イヴァンは椅子にどかっと腰掛けると、ギュッとスカートを握るブランシュを見て、眉間に皺を寄せた。
「なぜ座らない?」
「……えっと、あ、いや」
「まあいい、座れ」
イヴァンは紙にスラスラと何かを書くと、ブランシュに手を出すよう言った。
ビクビクと手を伸ばせば、イヴァンは丸めた紙をブランシュの手に乗せる。しかし、手を握る前にイヴァンはひょいと取り上げた。
「……で、殿下?」
「名前」
「イ、イヴァン様」
「お前はこれを持って縫い子の部屋に行くのだろう?」
「……はい」
「そしたらまた破かれるのか?」
そんなこと聞かれたってわからないが、きっと破かれるのだろう。
(なんで私が……やっとランドリーメイドに慣れてきたところなのに)
刺繍のできるランドリーメイドになど、ほんのわずかである。そうなるとシルクのハンカチは、奴隷だったブランシュに押し付けるだろうと、イヴァンはわかっていた。
もちろんブランシュは、そんなこと知る由もなかった。
第2章完結




