空いた席を見る
壁際の長机で、きりりちゃんが笑っている。
スタンプラリーの景品として配るという、新しいデザインの缶バッジだ。新しい、と言っても、陽菜が鞄につけているものとほとんど変わらない。よく見れば背景の色と枠が少しだけ違っていた。
試作されたチラシの上でも、きりりちゃんはにこりと笑っている。可愛い笑顔と、明るいピンクの着物が眩しい。
プロジェクターでは、香音が作った画像系SNSの投稿案が映し出されていた。学生たちが準備をしている写真は、どれも光がやわらかくて、楽しげで。肉眼で見るよりずっと、きらきらと輝いて見えた。
真剣に話し込む横顔。
笑い合っている瞬間。
机いっぱいに広げられた資料や、
ペンを持つ手元。
それらを切り取った画像に、短い言葉が重ねられている。
「いいじゃない、これ」
谷見町の自治会長、西村が目を細めて頷いた。
「エモいっていうんでしょ? こういうの、若い子は好きなんだろうなあ」
「動画のほうも流しますね」
大輝がそう言って、別の画面に切り替える。
学生たちが会議室へ入っていく様子を短く繋いだものだった。落ち着いた音楽が流れ、声や音は入っていないのに、動きだけで場の空気が伝わってくる動画だった。
最後に、誰かの鞄についたきりりちゃんの缶バッジが揺れる場面で動きが止まり、小さくプロジェクト名が浮かび上がる。
「わぁ、すごい」
「いいね、お洒落」
学生たちの声が重なる。
西村も嬉しそうに何度も頷いていた。
香音と先輩が手応えありげに顔を見合わせる、その脇で、陽菜は自分の用意した文面を見返した。
祭りの開催日時。場所。アクセス方法。バスの本数。注意事項。
必要な情報を、必要な順に、なるべく見やすく並べる。
──もともと、テキスト系はそういう方針だったはずだ。
西村が顎に手を当てて近づいてきた。
「テキスト系のほうもねぇ。もうすこし遊び心を足してほしいんだよね」
その言い方に、パソコンを打っていた陽菜の指がわずかにこわばる。
「せっかくだし、概要だけじゃなくて他にも呟いてみたら?」
「他に、ですか」
少し考えてから、陽菜は言った。
「谷見町のことを載せるのはどうですか。町のこととか、伝承のこととか」
谷見町の公民館に勤務しているという土橋が「ああ、それもいいわね」と両手を合わせて頷き、言葉を続けた。
「もっと町に興味を持ってもらえるかもしれないし」
けれど、西村はすぐに笑って首を振った。
「いやあ、でもそれじゃウケないでしょ。固いもん。映えでもないし」
軽い調子だった。悪気がないのも分かる。だからこそ、陽菜は返す言葉を失った。
土橋も「うーん」と小さく唸っていたが、それ以上はなにも言わなかった。どこかしょんぼりしたように資料へ目を落とす彼女を見て、陽菜まで眉を下げたくなった。
「陽菜ちゃん」
すぐ隣から声がかかる。
──大輝先輩。
いつの間にか動画編集の手を止め、彼は椅子ごと陽菜の側へ寄ってきていた。
「よかったら、俺が一緒に考えようか? 文面」
言い方は軽いのに、視線はまっすぐだった。面倒見がいい人なのだと思う。
「テキストって、内容そのものも大事だけど、まず目に留まらないと流れちゃうことが多いんだよね」
大輝は陽菜の投稿案に視線を移しながら続ける。
「だから、ちょっと大げさなくらいに強調したほうが見られやすいかも。自虐っぽいのとか、失敗談っぽいやつのほうが反応されやすかったりするし。あとはネットミームとか入れてもいいね」
そこで、陽菜の顔を見て、大輝は「あ」と表情を変えた。
「……ああ、えっと、ネットミームっていうのは、こう……ネットでよく使われる言い回しとか、定番のノリっていうか」
言いながら、彼は少し笑った。馬鹿にした感じはない。
陽菜は「なるほど」と頷く。
テキスト系SNSの空気やネットミームを知らないわけではなかった。でも、知っていると口にする気にはなれず、ただ相槌を打って、聞く側に回る。
大輝はさらにいくつか例を挙げた。短く、強く。少しふざけて、硬さを崩して。
どれも間違ってはいないのだと思う。たぶん、本当に、そのほうが目には留まるのだろう。
でも、それを谷見町に向けてやりたいかと言われると、陽菜の中では素直に首を縦に振れなかった。
「ありがとうございます」
陽菜は小さく頭を下げる。
「もうすこし、自分でも考えてみますね」
そう言って資料を手元に引き寄せた。
先輩はじっと陽菜を見ていた。反抗的に見えたかも、とおそるおそる目を上げてみる。
彼は「真面目なとこ、いいね」と呟いて、表情をくずすように笑った。
「うん。まあ、『映え』は俺や香音ちゃんに任せてくれて大丈夫。もともとその方針だしね。でも困ったら、またいつでも相談して」
言いながら、大輝は陽菜の手元の投稿案をちらりと見た。
「過去の投稿、見直してみます。昨年度の、先輩の投稿も」
「そっか。じゃあ参考になりそうなの、またまとめとくよ」
頷いて返し、陽菜は再びパソコン画面と向き合った。
先輩も、近づいた距離のまま動画の編集に戻る。悪いわけではないのに、その近さが少しだけ落ち着かなかった。
会議室の中では、香音の明るい声がまた上がっていた。
◇
低い書架の並ぶ奥まった一角は、今日も静かだった。
窓の外では新緑が揺れている。
陽菜はすぐに、閲覧机にいるトウヤを見つけた。帽子の影に半分隠れた横顔が、開いた冊子へ落ちていた。
「トウヤくん」
呼ぶと、彼が顔を上げる。
「こんにちは」
「……こんにちは」
陽菜は机の脇を指して、小さく聞いた。
「ここ、座ってもいい?」
トウヤは短く頷き、隣の椅子を少し引いてくれる。
「どうぞ」
陽菜は近くの低い書架から、歴史保存会の冊子を一冊抜き、隣に腰を下ろした。
「あの……SNSなんだけど」
声をひそめると、トウヤは視線だけで先を促した。
「ミュートしてよかった。あれから、ちょっと気持ちも落ち着いたんだ」
トウヤは目を伏せる。
「……そっか。それは、よかった」
その返事の間が、ほんの少しだけ長く感じられた。
「……あの……祭りの公式アカウントで、谷見町のことを投稿しようと思ってて。特産物とか、風土とか。そういうのも調べたいんだけど、さすがにこの冊子には載ってないかな」
「……公民館なら、いろいろ分かるかも」
「公民館……あ、土橋さんが勤めてる」
言いながら、陽菜は鞄からスマホを取り出した。
公民館の場所を検索し、続けてバスの路線図、時刻表と切り替えていく。
トウヤはそのあいだ、顔をわずかに逸らしていた。画面を見ないようにしてくれているのだと分かる。
「明日、授業午前までだから、行こうかな」
「場所、分かる?」
「ええと……たぶん」
頼りない返事になってしまい、陽菜は自分で少し笑った。トウヤは小さく咳払いをする。
「……もしよかったらだけど、公民館、俺も行こうか」
「いいの?」
『心強い』と『ありがたい』が一度に胸へ入ってきて、陽菜は座ったままトウヤのほうへ向き直る。
「ありがとう」
そう伝えると、彼はほんの少しだけ肩を強張らせた。
「じゃあ……明日、昼過ぎにここで」
「うん」
二人のあいだに短い沈黙が落ちる。冊子の頁をめくる音だけが、静かに響いた。
陽菜の肩から力が抜ける。
すぐ隣からぱたん、と本を閉じる音がして、陽菜は冊子から目を離した。トウヤが席を立ち、新しい本を持って戻ってくる。彼が本を開く前に、陽菜はそっと尋ねてみた。
「どんな本を読んでるの?」
「……今は、歴史小説。幕末の話。これは、下巻」
淡々と返される。それでも、妙に嬉しかった。
「そうなんだ」と頷きながら「今度読んでみようかな」と小説の表紙を見る。
「難しいお話?」とまた尋ねる。
会話を続けようとする自分がいた。
トウヤは斜め上に視線をやり、「難しい……?」と呟いてから言った。
「主人公も架空の人物だし、表現もそこまで難解じゃないから……読みやすい気がする」
言い終わる直前、トウヤの視線がこちらへ滑る。目が合った途端、陽菜はまた慌てて言葉を探した。
「本、たくさん読んでるのすごいね。歴史苦手だけど、私でも読めるかな」
瞬きを挟んでトウヤがふっと笑う。
思わず息をのんだ。笑った彼は、いつもよりどこかあどけなく見えた。
「志島大に入れるんだから、勉強できるはずでしょ。俺が読めるんだから、読めるよ」
軽口のような言葉に、「トウヤくんも志島大生でしょ」と返す。トウヤは一度瞼を伏せ、また陽菜の目を見て口元だけで笑った。
ふいに、影が差した。
「陽菜ちゃん」
振り返ると、大輝が立っていた。片手には、数枚の紙を重ねたクリップ留めの束。
「あ、やっぱりここいた。この前も図書館に寄るって言ってたし、もしかしたら、と思って」
そう言って、机の上に紙を置く。
「祭りの告知投稿を一覧にして印刷したやつ。バズった年のもあるから、よかったら参考までに」
「すごい。ありがとうございます」
受け取りながら答えると、先輩の視線が、陽菜ではなくその隣へ滑った。
トウヤは、帽子を少し深くかぶり直すと、静かに立ち上がる。
「じゃあね」
陽菜にだけそっとそう告げて、彼は出口の方へ歩いていく。その姿勢のよい背中を、陽菜はじっと見つめた。
──行っちゃった。
「おっと、ごめん。邪魔したかな」
大輝の声に、はっとして視線を戻す。
「いいえ、そんなことは」
「……彼氏?」
「ちがいます」
先輩は「ふぅん」とだけ言うと、しばらく、トウヤが通り過ぎた書架の隙間を見ていた。
やがて視線を戻し、にっと彼は笑う。
「ここ、座るね」
そう言って、向かいの椅子を引く。椅子の脚が絨毯を擦る小さな音が鳴った。
「それで、投稿についてなんだけど──」
先輩の声が続く。
陽菜は頷きながら、ふと隣を見た。
さっきまでトウヤがいた席は、もう空いている。
誰もいないはずなのに、その空いた場所だけに妙に意識が向いた。冷房の風が、そこから流れてくるみたいに、ひやりと腕に触れていた。
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