嫉妬
異国の空気に包まれた街並みは、どこか昔の「江戸」を思わせるような、和の趣に満ちていた。
木造の建物に、色鮮やかな暖簾。
石畳を歩けば、香ばしい焼き物の匂いや、甘い蜜の香りが鼻をくすぐる。
「すごい……あれ見て、ケイト! あんなに小さな壺に細工が!」
「……っ、繊細ですね。模様の染めも綺麗」
セリナとケイトが、並ぶ陶器に目を輝かせて声を弾ませていた。
普段は落ち着いているイメージのケイトまで感情を見せているのが、なんだか新鮮だった。
その後ろではサイが屋台の串団子を頬張りながら「うまい!もう一本買おうぜ!」と騒ぎ、案内役のクシナさんが見守るように笑っている。
かくいう私も視線をきょろきょろと落ち着かせられずにいた。
見慣れない文字が書かれた看板や、木枠の窓、通りすがりの人々の服や香り、何もかもが新鮮だ。
そんな時、目に留まったのは、小さなかんざし屋だった。
「……綺麗……」
そっと足を止める。
細工の美しいかんざしが、店先の風に揺れて光を反射していた。
薄紅色の花模様、先端に揺れる鈴のような飾りがついていて、どこか懐かしさを感じる。
「お嬢さん、見る目があるね」
柔らかな声に顔を上げると、店先から青年が現れた。
癖のある黒髪を後ろで束ね、濃い茶の瞳が優しげに笑っている。
「よかったら、手に取って見てみて。お嬢さんの髪、少し明るめでふわっとしてるだろ? こういうのがきっと似合うよ」
そう言って、彼は艶やかな花模様のかんざしを数本差し出してきた。
「ありがとうございます。これ、綺麗ですね」
「うん、でも綺麗なのはかんざしより、つける人の方じゃないかな。ほら、この装飾が映えると思うんだ。あ、これはどうかな」
にこにこしながらリーネのとなりに移動してきた。
(この国の人って……なんか、距離感近い……?)
けれど相手に悪意があるわけでもなく、むしろ自然体。
苦笑しながら視線をかんざしへと向ける。
差し出されたかんざしを手に取り、もう一度見つめた。
「よかったら、髪にあててみて――」
そう言いながら青年が自然に一歩近づき、その動きに合わせるように、ふわりと肩が触れ合う。
「――それ、またあとでにしようか」
低く柔らかな声が、真横から割り込んできた。
振り向くと、すぐ隣にカイルが立っていた。
「カイル……?」
彼の手が、ごく自然にリーネの肩をかばうように引き寄せる。
リーネの手からすっとかんざしを取って棚に戻しながら、カイルは店主に軽く頭を下げた。
「すみません。時間が限られてるので、またあとで寄らせてもらえますか?」
「あ、ああ……もちろん。また来てよ」
青年は少し驚いたように目を見開いたが、すぐににこやかに手を振ってくれた。
カラン、と風鈴が鳴る音を背に、リーネはカイルに連れられて店先から離れていく。
「……急に、どうしたの?」
「いや、あの距離感はさすがに、俺でもちょっと……」
「ご、ごめん」
カイルは苦笑まじりに言った。
肩に触れるカイルの力強さにどきどきしながら、離れてしまったセリナたちの元へ急いだ。
ぱちぱちと炭のはぜる音が静かに響くなか、膳には香ばしい焼き魚と湯気の立つ味噌汁。
食卓に並ぶ料理は、この国ならではの素朴な味付けで、どこかほっとする風味だった。
「みなさん、遠路はるばるようこそ来てくださった!」
ふくよかな頬を揺らしながら笑うのは、以前セリナと商談をした重役・ヤクモ。
小さな目をさらに細めながら、歓迎してくれる。
彼のそばには、黙って立つ数名の補佐たち。
揃いの紋の入った羽織、腰には美しく収められた装飾刀。どこか“武士”を思わせる厳かな空気をまとっていた。
「この国の皆さん、本当に素敵な所作ですね……器の持ち方から違う気がします」
セリナは感嘆の声をもらしながら、おちついた所作で味噌汁を口に運ぶ。
「ほう、さすがはセリナ殿。前回の訪問で多くを学ばれたと聞いておりましたが。リーネ殿の箸使いもお上手で」
ヤクモさんがにこやかに語る中、場の空気は和やかに、食事をしながらの意見交換が進んでいく。
一方その頃、カイルはというと箸を不器用に指のあいだで転がしながら、目の前の煮物に悪戦苦闘していた。
「大丈夫?」
リーネが小声で尋ねると、彼は小さく首をすくめた。
「一応練習したんだけどな。思った以上にすべる」
そんな彼に声をかけたのは、案内役の美女だった。
「お困りですか? もしよろしければ──」
柔らかい微笑を浮かべながら、彼女はさっとカイルの手に近づくと、自身の指で箸の持ち方をなぞるようにしてそっと手を添えた。
「こう持って、ここを少しだけ支えると…」
「ああ、なるほど。そこに力を入れないと」
私は目の前の湯気立つ味噌汁に集中する。
里芋に似たものを上手く箸でつまんでいるカイルを見ながら、なんとなくもやもやした気持ちが残る。
「慣れると楽しいですね」
「ふふ、それはよかったです」
カイルの箸が魚の身を滑らせたそのとき、隣に座っていたクシナさんが、ふわりと身を寄せた。
「魚は難しいのです。お手伝いしましょうか?」
細く整った指が彼の手元へ伸びる。
「あ、大丈夫です」
カイルは自然な笑みを保ったまま、ほんのわずかに体を引いた。
まるで、空気の流れに乗るようなさりげなさだった。
「すみません、こっちの文化にまだ慣れてなくて。でも、自分でやってみます」
「あら、そうですか」
クシナさん声は柔らかいが、その指先はもうカイルに触れることはなかった。
カイルは、ただ淡々と箸を持ち直し、少しぎこちなくも自分の食事に集中していた。
表情は崩さず、けれど明らかに一線を引いたその姿に、周囲の誰もが気づくことはなかった。




