後編
「た、耐性? 人間なのに、寒くても平気ってこと?」
「はい。ご心配下さったのですか、重ねて御礼申し上げます」
彼は深々と頭を下げ、そしてあたしを見上げた。
その目は、この雪景色の中で、熱を持ってきらめいている。
もしかして……あたしに、見とれてる?
(『白き聖女』って、なんだろう。いや、でもさ、良くね?『雪女』なんかより『白き聖女』、かっこいいじゃん? 今度からそう名乗ろうかな)
一瞬そう思ってしまったあたしは、オオカミの首筋を撫でながら、軽く咳払いをする。
(違うでしょーが。あたしは人間と夫婦になって、人里に降りたいんだってば)
好みの男とのせっかくの出会いを、モノにしなくては。しかも、この男は寒いのが平気なのだ。
しばらく一緒に過ごせるかもしれない。
(よっしゃあ、婚活だ!)
あたしは片手で髪をさらりと背中に流しながら、微笑んで見せた。
「無事なら、それでいいよ。いきなりごめんね。あたしは、えるさ」
「えるさ様。俺は、北方騎士団の団長を務めております、スパード・ノルドと申します。スパードとお呼び下さい」
彼は名乗り、そしてあたしを見つめたまま言った。
「どうか、砦にもそのお姿を現して下さいませんか。『白き聖女』様が現れたとなれば、皆、喜びます」
砦、とやらは、そこからいくらも行かない場所にあった。石造りの武骨な建物だ。
(うん、やっぱり、日本じゃないな……異世界ってやつだわ……)
聞いてみると、ここはノルダンドという北国だった。砦は、隣国との国境を守っているそうだ。
スパードを始め、砦の騎士たちはあたしを大歓迎してくれた。
団長のスパードが、詳しい事情を説明してくれる。
「我が国では、聖人や聖女が四方を守護すると言われています。ところが、東、西、南には聖人がおいでなのに、北方だけはこれまで御降臨いただけず、北は神に見捨てられた地と言われて人々も寄りつきませんでした。しかし、えるさ様が来て下さった」
彼は、サッとひざまずいた。
「どうか、この砦にご滞在ください!」
好みの男におねだりされて、逆らえるわけがない。それに、寒さが平気な人間の男とひとつ屋根の下で暮らせるとか、雪女にはあり得ないチャンス到来だ。
異世界万歳、魔法万歳! 絶対、彼をモノにする!
「えー、どうしよっかなー」
ちょっと気を持たせようとしたのに、心配そうなスパードの顔を見て、
「んー、まぁいいけど」
と、結局すぐにオッケーしてしまった。
彼は、心から嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます!」
話はサクッとまとまり、あたしは風通しのいい寒い部屋をもらって、そこで暮らすことになった。
「なにぶんノルダンドでも最北の地で、独り身の気の利かない男ばかり。十分なおもてなしもできませんが、後で食事を運ばせます」
スパードが気遣ってくれる。
(独り身だって。フリーってことよね、よっしゃーキタわこれー)
あたしはどぎまぎしながら答えた。
「あ、いいの、あたしは人間と同じものは食べないから」
そしてベランダに出ると、下がっていた大きなつららをバキッとへし折った。先っぽから噛みついてボリボリ食べ、へへ、と笑ってみせる。
スパードは若干呆然としていたが、やがて微笑んだ。
「なるほど。聖女様は、我々とは食べるものからして異なるために、そのように人の持ち得ない神秘性をまとっておいでなのですね」
(これ、褒められてるってことでOK? よし、ここでさらにプッシュ!)
あたしはつららを握ったまま、もじもじと答える。
「あ、人間と同じもの、食べたくないわけじゃないんだよ? 食べられる方法だって、あるんだけど……例えば、そのぅ」
(い、言えない。あたしとスパードが夫婦になれば、あたしは人間と同じものが食べられるようになるし、子作りもできるようになるんだ、なんて)
口ごもっているうちに、スパードはうなずいた。
「お気遣いありがとうございます、しかし無理に俺たちと同じものを食べようとはなさらないで下さい」
「む、無理にとかそういうんじゃなくて」
あたしはちらちらと、スパードを盗み見る。
「むしろ同じになりたいっていうか……あたしも、聖女とかじゃなくて、一人の女で──」
どう言えばいいのか迷っているところへ、いきなり伝令が飛び込んできた。
「団長、襲撃です!」
(チッ、いいとこなのに!)
反射的にあたしは舌打ちしてしまったけれど、スパードはすぐに厳しい顔つきになった。
「何!? 先日の戦いで、あちらは被害が出ているはず」
「大規模な人員の補充があったようです。偵察隊の報告では、一個小隊は増えていると」
「くそっ。今行く!」
「ねぇ」
あたしはすぐに、声をかけた。
「手伝おうか」
そう、ここは国境の砦なんだった。隣国とのいざこざをさっさと静めないと、じっくり男を口説き落とすこともできやしない。
スパードも伝令も、あたしの前にひざまずいた。
「えるさ様、ありがとうございます。しかし、相手も我々と同じように、氷や寒さへの耐性を持っています。えるさ様の吹雪の攻撃は効きません。我々が必ずお守りしますので、ここで」
「別に、直接攻撃以外にも色々できるし」
あたしはさばさばと言う。
「雪山にトンネル掘って、相手の背後を突くとか。氷の人形を何体も作って、こっちが大勢いるように見せかけるとか。いくらでも方法はあるじゃん」
スパードと伝令は目を見張り、思わずと言ったように顔を見合わせた。
結論から言うと、あたしの大活躍で、隣国からの襲撃はあっさりと退けることができた。
「ほらね、楽勝でしょ」
逃げ帰る隣国の騎士たちを見送りながら、あたしは傍らのスパードの表情を窺う。
(どう? どうよ? 惚れた? 夫婦になってもいいくらい、惚れた?)
しかし──
スパードはまたもやひざまずいた。
「さすがは聖女様だ……!」
周囲の騎士たちまで、次々とひざまずく。
「えるさ様は勝利の女神だ! ありがとうございます!」
「どうか末永く、我らをお守り下さい!」
──どうやら、あたし、ますます神秘性とやらを高めてしまったらしい。
(そうじゃない! あがめ奉られたいワケじゃなくて! ああもう、お母ちゃん、人間の男ってどうやって口説けばいいの!? くっそぉ、諦めないからな!)
あたしは密かに、決意の拳を固めた。
(さぁ、次はどうアプローチしてやろうかな!?)
【完】