ミンチミンチ
「立地的に良さそうだと思ったけど、本当にいいなここは」
古い工場は広い。
誰かが叫ぼうが聞こえない。
元々、音が響かないように作られた工場なのだ。
私は叫ぶことを諦める。喉には刑事の手形がくっきりついていて声を出そうにも出てこない。出たところで聞こえない。
髪を掴まれているので、暴れるとぶちぶち抜けてしまう。何よりすでに数発殴られた。
ここで口封じをされる。
でなければあんなにべらべら喋るわけがない。なんということだ。別に崖の上で名探偵に詰め寄られたわけでもないのにこのおしゃべり野郎。
「あんたはさ。サンプル登録とかされていないわけ?」
「……」
「答えろよ」
また殴られた。鼻血が出て、息苦しい。血を抜こうと手を鼻にやることも許されず殴られる。
刑事という職業について悪くいうつもりはないが、この刑事に至ってはかなりの糞野郎というに他ならない。
ここまで性格が悪そうな人は、今までで二人目だ。
「病気が、あるので」
「あっそ」
結局興味がないのなら聞かないで欲しい。
工場内にはベルトコンベアーが並んでいる。使われなくなった機械は摩耗が激しく、もう二度と使えないほどボロボロになっている。
「気味悪い場所だな」
刑事は周りをきょろきょろ見ながらちょうどよさそうな部屋を探す。壁に工場の見取り図が張ってあり確認する。
「ここよさそうだな」
工場の真ん中の大きな部屋。
私がどんな声を上げても聞こえない場所を選んだのだろう。
ぶちぶちと髪が抜けていく。引きずられつつ私は足をもつれさせる。
「悪餓鬼のたまり場にでもなってんのか?」
私に話しかけたわけではない。
工場内はいろんな箇所にガタが来ているが、順路に足跡のような物が付いている。
私はその足跡を消すようにもつれながら歩く。
「鼠でも死んでるのか、臭いな」
独り言が多い人だ。
私は黙ってついていく。
望みの部屋にやってきて刑事が取り出したのはロープだった。
「スーツはもう汚したくない」
血が噴き出すような道具は使わないということだろう。
長方形の会議室ほどの部屋。天井は少し高く上から数本ロープが垂れ下がっている。私は投げ捨てられた。床に這いつくばり、壁際に身を寄せる。
廃工場なので電気は通っていない。窓もない部屋は真っ暗で、刑事は携帯用端末のライトをつけた。
「なんだこりゃ?」
ライトに照らされた刑事の顔は歪んでいた。
何本もぶら下がったロープ。その先にはフックが付いている。
なにより床に驚きを隠せない。
赤黒く固まった床。ペンキとはまた違ったなにか。
臭いの正体は鼠の死臭とはまた違ったものだった。
ちょうど刑事の足元に大きなバッテン印がつけられている。
「……っ」
「な、なんだ」
私が潰れかけた喉から必死に声をだそうとする。
「この……」
壁にある一本の紐に触れながら。
「模倣犯」
大きく引っ張った。
『ありえなくない? 刑事が犯人ってさ』
『あー、日本の警察も落ちたもんだぜ』
『それ、何十年言われていることだと思ってんの?』
『しっかしー、よざいたくさーん。ひとりつかまるだけでもーせかいってへいわになるー』
『少なくとも三人の遺体だっけ?』
『こわーい』
だらだらとコメントが並んでいく。
私は腫れあがった目でぼんやりと流れを見る。
体は強くもないが弱くもない私。
何発殴られようと打撲。骨折すらしていなかった。カルシウムはたっぷりとっていたらしい。
『でも馬鹿だよね。自分で作った罠に自分でかかるとか』
『あー、じごうじとく』
『昔は動物を気絶させて逆さ吊りにしてから、喉を掻っ切ってたらしいから』
『こわこわ。培養肉の時代でよかった』
頭部に鉄球を食らう。彼にとって打ちどころが悪く、私にとってのクリティカルヒット。
『容疑者死亡のまま書類送検か』
『もっと苦しめよ。拷問すべきだろ』
『拷問は法律で禁じられております』
私は口の中の気持ち悪さを感じる。何度も殴られて血の味でいっぱいだ。
「私、確実にまずいな」
検査料一万円損しなくてよかったというべきか。
「いや培養肉になれば変わるかも」
実は天然肉と培養肉。かなり味が違う。
培養肉は、肉が最高の状態で育てられる。
天然肉はその個体の年齢や健康状態によってかなり味が変わる。
調査のためにレストランで調べて食べ比べたのだからわかる。
『そういや見つかった廃工場って元は食肉加工場だったらしいぜ』
『うわー、まさに加工してんの』
『それって何十年前の建物よ?』
『JP H 888』
あの肉は不味かった。
「残さずに食べて欲しいわ」
ごめんと思いながら残した。どうしても食べきることはできなかった。
近所で仲良くなった老婆は、天然肉を食べて生きていた時代の人だった。
家畜と呼ばれた生き物を何十、何百、何千と肉にしてきた。
そこにあるのは残酷な虐殺者ではなく、生命を誰よりも尊ぶ聖人だった。
食肉の定義が、培養肉に代わり、彼女は何を思ったのか。
培養肉のサンプル提供者にいち早くなったのも、彼女なりの信念のためだったのだろう。
私が痕跡を残した事件はそれが最初で最後だ。
廃工場に残った骨はすべて容疑者死亡のあの人のせいになる。
工場には私の足跡がたくさん残っている。
別におかしくはない。あの刑事に無理やり連れて来られたのだ。頭髪や血液さえ落ちている。
私は被害者として廃工場にいた。
私は舌を口の中で一周させる。痛みはあるが食べないと体力が持たない。
なにより残してはいけない。
立ち上がるとキッチンの半分を占める業務用冷蔵庫を開ける。所せましと肉が並ぶ。
「『JP H 229222』さん。残さず食べるね」
おか子もあんな目に遭うのなら、私に番号を教えてくれたらよかったのに。
責任もって全部食べたのに。
私は打撲が痛む手を伸ばし、肉をつかんだ。