堕ちた勇者
大分、塔が近くなってきた。
壁の材質が何となく見える程度にまで近付いてきた塔を見上げて、イルは大きく息を吸った。
そろそろ、城内に潜入して中庭に抜ける道を探さなければならない頃合いだ。
潜入するのは、庭に出た時と同じようにその辺に数あるバルコニーから入れば良いのだから簡単だろう。
問題は、何処からどのようにして中庭に抜けるかである。
中庭に面した廊下も、此処と同じようにバルコニーから外に出られるような構造になっているのだろうか。
此処からでは、それは見えない。
衛兵に発見されるのを覚悟で中を徘徊する以外に、イルには中庭を発見する方法は思い浮かばなかった。
……ゼノヴィア、大丈夫だよな……
後方を振り返り、未だ追って来る気配のない仲間の安否を思いながら、イルは手近なところにあったバルコニーの柵に手を掛けた。
近くに衛兵の目がないことを伺いながら、身を滑り込ませる。
よし──
周囲に警戒しつつ1歩を踏み出そうとしたところで、唐突に廊下の曲がり角から姿を現した人影の存在に気付き、イルはびくっとした。
衛兵にしては、雰囲気が違う。こちらに襲い掛かってきそうな気配がまず感じられない。
黒光りする革のベルトを編んで作った鎧のようなものを纏ったその若者は、片足を引き摺りながら、懸命に廊下の壁に手を付いて歩いていた。顔は伏せられており表情は伺えず、そういう歩き方をしているためか、若者の方はイルの存在に気付いていないようだった。
「…………!」
見覚えがあるその姿に、イルは此処が敵陣の中だということも忘れて駆け出していた。
「イシス兄!」
「…………?」
若者がのろのろと顔を上げる。
憔悴しきった眼差しが、イルの姿を捉える。何処か焦点が曖昧だが、それでも、見たものを理解する程度の意識はあるようだった。
立ち止まり、訝る。
「………… イル、か……?」
イルの手に触れて、安心したのだろうか。イシスはそのまま、倒れ込むようにその場に身を投げ出してしまった。
「イシス兄……生きてたんだな、良かった……!」
「……イル……何でこんな場所に……その格好は……ううっ」
「……イシス兄、具合悪いのか? 大丈夫?」
イシスは口元に手を当てて、呼吸を荒げている。
しかし大丈夫だと告げて、首を力なく左右に振った。
「……俺は、大丈夫……何でもない」
すぅ、と深く息を吸い、口元に当てていた手を離して、顔を上げる。
「……聞かせてくれるか。何故、お前が此処にいるのか……その格好は、何なのか」
イシスから微妙に潤みつつもまっすぐな眼差しを向けられて、イルは深く頷いた。




