理想郷の王
「彼らに倣い、彼らのように振る舞いなさい。──さすれば死地の種もいつかは芽吹くであろう」
そのステンドグラスに何が描かれているのかと問われれば、大概の者はこのように答えるだろう。これは眼前の壇上で高説を説く彼を描いたものに他ならない、と。
整然と並べられた乳白色の椅子に座する同じ数だけの者たちの注目を集めるその男は、皺だらけの手に握った細身の杖の先端を彼らの方へと向けて、低く物静かな言葉を途切れることなく紡ぎ続けていた。
もう何時間この体勢のままでいるのか、周囲の者はおろか当人にすら分からないに違いない。
しかし些細なことだ。彼にとっても、彼らにとっても、時間の概念はそこまで重要なものではないのだ。
──彼らは、『神の眷属』を名乗る一族。
壇上に立つ『神』を名乗る男同様に、悠久の時を生きる存在である。
「彼らは、偶像を模倣する古鏡のようなものである」
室内全体を余すことなく照らすために必要な最低限の数だけ設けられた燭台。四方を囲んだステンドグラス。空間の最奥に存在する祭壇。そしてその中央に据えられた何かの紋を刻んだ巨大な石版。
それがこの礼拝堂を構成する物の全てだ。
現在は昼間のため燭台に火は灯されてはいないが、ステンドグラス越しに差し込む色鮮やかな光が十分すぎるほどにその代役を果たしてくれている。手元の書を読むにも不自由はしないだろう。
王宮の一角に設けられたその場所は普段から誰でも出入りできるように開放されてはいるが、今日のように拝聴席が全て埋まることはそう頻繁に起こるものでもない。
此処がこれほどまでの人で埋まるのは、月に1回程度のことだ。
普段此処で教を説いている聖職者に代わって壇上に立つのが、この都を統治する王となるためである。
傍らに若い男女を従え、黒地に金糸の刺繍を施した衣裳を纏った長身の老人──彼こそが、その王だ。
「古鏡は目にしたままを真似るが、古鏡であるが故にその形は必ず何処かが歪み、正確ではない。映した偶像を更に歪んだ形で映し取り、いつしか、始まりの偶像の形が何であったかすら分からなくなってしまう。偶然それを知る機会に恵まれても、それは違うと否定し決め付けてしまう」
長く伸ばした髭と同じ純白の髪を彩る白金の王冠が、彼の背後に存在する巨大な光の絵画から注がれる日光を浴びてきらりと虹色に煌く。
それはまるで、神々の頭上に燦然と輝く光の輪のようであった。
「古鏡は倣うが、自ら考えることをしない。……だからお前たちは、歪みを持たぬ磨かれた鏡であるように努めなさい」
王の語りが終えられると、礼拝堂は盛大な拍手に包まれた。
宣教の時が終わると、礼拝者によって賛美歌を歌う時間が設けられる。
王が従えている女の手によって奏でられるピアノの音色に乗せて、神たる王を讃えるための旋律が紡がれるのだ。
──しかし。
その日は、その通りに事が運ばれることはなかった。
けたたましい音と共に、天井を彩っていたステンドグラスが砕け散った。
悲鳴と虹色の欠片を纏いながら、何かが礼拝堂の中心に降り立つ。
真紅の短髪に、黒光りする革のベルトを編んで作った鎧のようなものを纏った1人の男だった。
背に巨大な十字の形をした大剣と大振りの槌を、腰の左右に細身の両刃剣を、背面に斧と鞭を、腿に短剣と拳銃を装備した全身武器だらけの若者である。
鋼の刃のように鋭く研ぎ澄まされた眼差しを壇上へ向けて、若者は、周囲で逃げ惑う群集の波に飲まれることもなくしっかりとした足取りで立ち、口を開いた。
「魔王ノヴリージェ──」
表情を険しくした王の従者たちが、王を庇うようにその前に立つ。
しかし動じることもなく、若者は、背負っていた十字剣を抜き放ち、床を蹴った。
「貴様を──倒す!」




