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王の教

 すっかり修繕されて元の静謐な空間を取り戻した礼拝堂は、室内に整然と並べられた椅子と、壇上にあるものを等間隔に並んだステンドグラスの窓から注ぎ込む光で照らし出している。

 白いグランドピアノだ。

 建物の壁や床と全く同じ素材で作られた、陶器のように滑らかな表面の鍵盤楽器。それは物静かに楽曲を奏でているが、その席に演奏者の姿はない。ただ鍵盤だけが、姿なき演奏者に触れられているかのように勝手に動いている。

 照らされているものは、ピアノだけではない。そこから数歩分だけ離れた位置に、やはり同じ素材の白い楽器が置かれている。

 ハープ、木琴、ティンパニー……その上を、小型の楽器が幾つも緩く円を描きながら浮遊している。ヴァイオリンにクラリネット、トランペットにフルート、オーケストラに使用される基本的な楽器ばかりである。それぞれが音を発し、ひとつの音楽を作り上げている。

 そしてそれらを眺めているのは、この王都を支配する王。

「ヴェゼヴィーユには、最高峰のドミヌスを与えている。……が、感情に溺れるが故に、その全てを支配できずにいる」

「……はい」

 彼の呟きに応えたのは、その後方に佇んでいた1人の女だった。

 ノヴリージェが王族ならば、漆黒のドレスを纏う彼女はさしずめ上流階級の貴族といったところか。飾り気はそれほどでもないが、彼女自体の突出した美貌が人目を引くため、実際のところは何を着ていようがあまり関係なさそうではある。彼女自身も気に掛けてはいないのか、着飾るための貴金属の類もさほど多くはない。必要最低限の数、グリモワールを扱う際に魔力の起点とするための指輪があるくらいだ。

 ヴェールのような長い金の髪を揺らしながら、彼女──クラウディアは言った。

「仰られる通り、彼はエルシャダイの使徒としては未熟です」

「だが、あれは良くできた息子だ。余の自慢である」

 ノヴリージェはこう言うが、彼とヴェゼヴィーユは本当に血を分けた実の親と子というわけではない。

 彼は、自分の膝元に集う全ての一族の者を家族と称するのだ。

 そして、自らそう宣言すると共に、彼は一族にこう説く。

 世に生きる一族の者は、全てがその息子であり、娘である。また父であり、母である。親であり、子である。と。

「ヴェゼヴィーユに伝えなさい。己を殺すのは、必ずしも良とは限らぬと」

「と、申されますと」

「あれは教を重んじている。そのために、己を過度に戒めているところがある。知らぬわけではあるまい」

 だから、アイリスを下僕として傍に付けたのだ、とノヴリージェは言った。

「あれを思うからこそ、余は敢えて言うのだ。これは命令である。しかし余が言うままにするのではなく、教が導く心が告げる通りにしなさい。汝もだ、クラウディア」

「はい」

「さあ、行きなさい。マジュースの扉のことは、余からマグスによく言っておこう」

「仰せの通りに致します。父上」

 深々と頭を下げるクラウディア。その姿は徐々に背後の闇に馴染み、消えていった。

 楽器の音色が、全体的にやや強くなった。曲が変わったらしい。猛々しい音を刻むそれらに変わらぬ視線を送りながら、ノヴリージェは誰にともなく言う。

「──邂逅とは、古いからくりに仕込まれた発条のようなものである」

 それは此処にはなき相手に宛てた言葉か。はたまた自分自身に宛てた譬か。

 しかし呟く様子は、言葉の重さとは正反対に、思いがけぬ発見をした子供のように嬉しそうだ。

 彼には見えているのだろう。彼自身が言葉を示すものが、自分にとって何なのか。そして、何処からどのようにして訪れるのか。

「定められた通りにしか動けぬ。しかし古さ故に、定められた通りには動かぬ。……思い通りに動かず、歯噛みするものよ」

 彼にとっては、長き平穏よりも、掻き乱される一瞬の波乱の方が充実した余生なのかもしれない。

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