『戦国武将の娘たちの結婚観について』 ”諏訪のわが友”より
大名たる父親に一方的に嫁ぎ先を決められて、命じられた娘が駄々をこねるという場面は、ドラマや小説ではステレオタイプのように描かれますが、私には疑問です。
具体例がどれだけあるのでしょうか。
武家の娘が自由に恋愛できる時代ではありません。現代人からしてみれば、かわいそうだという感情が強くなり、それがドラマや小説に反映されているように思えてなりません。
彼女たちは物心がついたころから、いつかはどこぞの武人のもとに嫁ぐことを言い含められ、嫁ぎ先で恥ずかしくないように作法や芸事を身につけさせられるのです。言わば、洗脳です。
洗脳というと恐ろしげに感じますが、現代にしても、男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしくと育てられ、親のしつけや教育により子供の脳みそにベースとなるモデルがインプットされるのです。そして、社会のなかの一員としてコントロールされます。
武家の娘は、結果として政争の道具として利用されている面は否めませんが、だからといって拒む権利はほとんどありません。
結婚を拒んだ例としては、信玄六女の松がいます。彼女は、織田信長嫡男の信忠と婚約したのですが、武田と織田が敵対関係になり、婚約は解消されてしまいました。十三のときだそうです。その後は独身を貫きとおしました。いちずに思い込んでいたのでしょう。洗脳が逆効果になった事例と言えます。
『鬼鹿毛』の章では、嫁ぎ先が決まって舞い上がっているように禰々を描いたつもりです。
武家の娘は、いつの日か嫁ぐ相手が誰になるのか、どんな人なのかと胸をときめかしていたのではないかと、私は想像します。
仮にですが、『諏訪のわが友』の章のように、諏方頼重の娘と信玄が婚約していたと想定するなら、無理やり側室にされた悲劇のヒロインとされる諏訪御料人は、事情がすこし異なることになります。愛する人が父の仇になるという葛藤に苦しむことになります。それでも、葛藤を乗りこえて、信玄を愛するようになったと思いたいのですが、こればかりは諏訪御料人と信玄の二人だけの秘密ですね。