後編 夫婦、カードゲームを覚えすぎる
最初は、子どもたちを勝たせたい、それだけだった。
「レシピ!」
娘がケチャップを拾った。
ケチャップを使う料理は——たしか二種類、オムライスとスパゲッティナポリタンだけだ。
何回戦か繰り返すうちに、私はそれぞれの料理に必要な六種類の具材を暗記してしまった。
昔から暗記が得意だった。中学生の頃は問題集を一通りやれば、答えと解き方はもちろん、問題の配置まで自然と覚えてしまうので、問題文を読む前に答えが浮かんでくるほどだった。あの頃、滑稽にも自分は天才だと思っていた。
そして今、私はまた自分を名探偵か何かだと思っている。
すでにキッチンカウンターに伏せられている二枚が何かはわからない。オムライスとスパゲッティナポリタンに共通するのはたまねぎのみ。私は自分の手札を見た。幸いにも私の手元にはマッシュルームがある。これはセットの中に一枚しかない。娘がこれを拾えばナポリタン、拾わなければオムライスだ。
怖い。自分の推理力が怖すぎる。
私が震えている間に、夫がぎょうざのかわを捨てた。これも一枚しかないカード。誰も拾わない。誰もぎょうざを作っていないということだ。
息子は順番を守って山札から一枚引いた。パッと顔が明るくなり、引いたカードをキッチンカウンターに置く。どうやらお望みの具材を引き当てたようだ。
「ぼく、またカレー作ってる!」
またカレーか! そして我慢できずに自己申告するなんて可愛すぎる。
「うん、それ内緒にするんだよ」
息子が集めているカードも出してあげたいが、まずはマッシュルーム検証だ。そっと出しながら娘の様子を見る。捨てられたカードを見ても反応しない。
……オムライス!
そして私自身は、てんどんを作っている。これは難易度が高い料理だ。私が普段、揚げ物しないから、ではない。なす、えび、ちくわ、しそ、てんぷらこ、セットの中にたった一枚しかないカードが五種類も必要だからだ。
例えばカレーライスなら、にんじん、じゃがいも、たまねぎは複数の料理で使うのでセットに入っている枚数も多く、引き当てる確率も高い。
だが、安心して欲しい。私のキッチンカウンターはすでに四枚のカードが伏せられている。あとは、ごはんと、ちくわを揃えればいいだけだ。
しかし自分が一番に完成させるんじゃ味気ない。私はこっそり見回した。娘もあと二枚で完成、夫はあと三枚、息子も三枚だ。娘、あと少し。息子、がんばれ。
そこでふと気になった。夫は何を作っているんだろう。先ほどはぎょうざのかわを捨てていたが、その前にピーマンを拾っていた気がする。ピーマンを使うのはスパゲッティナポリタンと、すぶただけだ。
どっちだ。私の思考は夫の料理に引き寄せられていった。
そのとき——
「パパもレシピ〜」
娘が出したカードを夫が拾ったのである。
たけのこ。夫が拾ったカードは、たけのこだった。
おわかりだろうか。スパゲッティナポリタンには、たけのこは不要だ。
つまり、こいつは、すぶたを作っている!
夫も残り二枚で完成というところまできた。これは接戦になってきた。
息子よ、がんばるのだ。己の力で引き当てろ。
しかし母の祈りは届かず、一枚引いた息子の顔がしょぼくれた。
……だめだったか。
任せろ。私が代わりにカレーライスの具材を引き当て、捨てればいいだけだ。
仇をとる勢いで、私は山札から一枚引いた。
——パイナップル?
私の手は止まった。
すぶたに欠かせない、セットにたった一枚のカードだ。
震える手で、それを手札に加えた。代わりに、たまねぎを捨てた。
「レシピ!」
私以外の三人が同時に叫んだ。
たしかに、オムライスと、すぶたと、カレーライスに共通している。
「同時に『レシピ!』って言ったら、時計回りで一番先の人がもらえるんだよ」
つまり、私の次に順番が来る娘が手に入れることになる。
娘はたまねぎのカードを置きながら、残り一枚を宣言する「ごはんですよー」を満面の笑顔で叫んだ。
そうか。他に足りない具材はわからないが、夫も息子もたまねぎを欲している。競合しているのか。
だが、夫よ。甘かったな。私の手元にはパイナップルがある。
これを私が捨てなければ、やつは永久に上がれない。貴様の生命線は私が握っているのだ。
夫が何らかのカードを引き、キッチンカウンターに伏せて置いた。
「ごはんですよー」
呑気に宣言しておるわい。ふっ、何も知らず、いい気なものだ。
息子も必要な具材を引き当てたらしく、興奮気味にカードを伏せて置いた。
次は私の番。
——ちくわ、来い。
念じながら一枚を引いた。
ごはんだ! これも必要なやつ。私は「ごはんですよー」と言いながらカードを置いた。
ここからは、ちくわに集中すればいい。私は、手札に残り一枚となったパイナップル——敵の生命線を握りしめていた。
娘が、山札から引いたカードを残念そうな顔で捨てた。にら、か。これはぎょうざの具材だから誰も手を出さない。
夫も引く。もちろん、捨てる。ぎゅうにく。
「いえ〜い! レシピ!」
息子が弾け飛びそうな勢いで、ぎゅうにくを拾った。
カードを伏せて置き、にこにこ正座している。
「……なんて言うんだっけ?」
私と夫が促すと、「あ!」と驚いた顔をして、照れくさそうに笑った。
「ごはんですよー」
よし。これで全員、あと一枚だ。
息子が捨てたウインナーも誰にも必要とされず、私に順番が回ってきた。
——ちくわ、来い。
く……っ! きゃべつか。私は心の中で歯軋りをした。だが、余裕の笑みは絶やさない。子ども向けのゲームでムキになるなど、知性のある名探偵の態度には相応しくない。
「できあがり!」
オムライスが完成した。ドヤ顔の八歳児、非常に可愛い。
「やったねー」
私と夫は娘の勝利を讃えた。その笑顔のまま、山札に手を伸ばす夫。
何を引いても、何度引いても、貴様は私より先には上がれないのだよ……!
首を捻りながらカードを捨てる夫を、私はほくそ笑みながら見守った。
そして、息子の番だ。
「できあがりー!」
息子のカレーライスも完成した。
「ママもがんばってー」
私も息子に続くぞ。私はまた一枚引いた。
——ちくわ、来ない。
カードを捨てながら、私は首を捻った。いくら一枚しかないからって、こんなにも、ちくわが出ないことがあろうか。山札もずいぶん薄くなっている。
「パパがんばれー」
夫も引いた。当然、捨てる。
私と夫は作業のように手順を繰り返した。もはや山札からカードを捨てる二体のカラクリ人形と化していた。
……おかしい。
夫は一枚だけ握りしめた手札を捨てず、山札から引いたものをそのまま捨てている。
そしてその姿は、まるっきり鏡に映った自分だ。私もパイナップルを握りしめたまま、山札のカードを捨てているのだから。
夫が黙って私を見た。
……まさか。
私は恐ろしい可能性に気づいてしまった。
震えを抑え、なんとか山札に手を伸ばした。
めくる。
最後の一枚が、じゃがいも……だとっ!?
全てが確信に変わった。
「はっ!」
突然の嘲笑は同時だった。
私と夫は手元に残ったカードを床に放り投げた。
パイナップルと——、ちくわ。
「やっと終わったの? もう一回やろう」
待ちくたびれて本を読んでいた娘が顔を上げた。
もう一回か。
夫と私は顔を見合わせた。
攻略法は理解した。どうやら理解しすぎたようだ。小賢しい大人になってしまった私たちに本当の勝利は訪れるのだろうか。
……大人?
いや。私たちはいつから自分たちを大人だと錯覚していたのだろう。




