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前編 五歳児、カードゲームを覚える

「できあがり!」


 五歳の息子が、会心の笑みでカードをひっくり返した。

 カレーの材料が六枚、律儀に並べられている。


 私は床に手をついた。


 ……また完成しなかった。

 五歳児にだってできる、簡単なカードゲームだ。それなのに、どうして私は上がれないのか。

 そして目の前で不思議そうに首を捻っている夫も、どうして上がれないのか。



 きっかけは息子が本棚から引っ張り出してきた「レシピ」というカードゲームである。

 可愛い絵柄と、最初に料理を完成させた人が勝ちという生活感のある内容に惹かれて、数年前に娘のために購入したものだ。


 たしか当時、息子は三歳になったばかりだったろうか。娘と夫と、息子を膝に乗せた私とで対戦していると、きまって床に並べたカードを蹴り散らかして勝負にならなかった。

 息子のお昼寝中に対戦したこともあったが、いつしか存在を忘れ、棚の奥にしまい込んでいたのだ。


「これなに。これやろー」

 中身がわからないのに、これはきっと面白いやつだと確信を持った目をしている。


 昨年までは、神経衰弱でも同じ絵柄が出ないと何度も引き直し、注意すると癇癪を起こしてカードをぐしゃぐしゃにしていたのに。


 最近はあいうえおカルタに夢中で、多少、姉が先に手をついたカードを強引に取りにいくところはあるが、ルールと順番を守ってゲームを楽しめるようになってきた。

 今ならできるかもしれない。何より、本人が興味を示している。やらない理由はない。



 八歳の娘と夫も誘って四人で輪になった。


「どれ作ろうかなあー」

 息子が八枚のメニューカードを手でめくり始めた。


「自分では選べないんだよ。裏返して一枚引くの」

 カレーライス、オムライス、ぎょうざ、スパゲッティナポリタン、すぶた、チーズハンバーグ、てんどん、にくじゃが。どれもおいしそうな八種類の料理。そのうちの一つを引き当て、具材を集めて完成させるゲームだ。


 私は裏返した八枚のカードを息子に差し出した。


「ぼく、カレー!」

 息子はカードを引くなり、嬉しそうに見せてきた。

「本当はみんなに内緒でやるんだよ」


 そう言いながらも、息子の理解度把握のため一回目はみんなオープンでやることにした。


 最初に六枚の手札を配った。にんじんやたまねぎなどの具材が描かれている。自分の料理に必要な材料があれば、キッチンカウンターを模した自陣に置く。ここに六枚揃えば完成だ。


 よしよし、息子はすでににんじんとじゃがいもの二枚は確保しているぞ。やはり最初は楽しく勝ってほしいからね。


 手札を配り終えた残りは山札として中央に置いた。

 今回は待ちきれない様子の息子から時計回りにカードを引いていくことにした。


「とっていい?」

 息子が山札から一枚引いた。おっと、にんじん二枚目か。


「いらない場合はここに捨ててね」

「にんじん嫌いだから捨てるー」

 そう言いつつも最初に配られたにんじんはキッチンカウンターに置いているから、ルールは理解しているらしい。高度な冗談を言えるようになっている。


「レシピ! わたし、それ使う」


 捨てられたにんじんに娘が手を伸ばした。誰かが捨てた具材でも、自分の料理に必要なら「レシピ!」と宣言して拾うことができる。拾った人は手札から一枚捨て、そこから次の人へ順番が移る。つまり、他人の番にも割り込めるのだ。

 本来は私の番だったが、娘に飛ばされ、次は夫の番だ。夫が山札から一枚引き、キッチンカウンターに置く。そして手札からデミグラスソースを捨てた。


「レシピ!」

 私は宣言した。私が今回作るのはチーズハンバーグだ。私に順番が移ったことで、息子は飛ばされてしまった。


「ママ、よかったね!」

 自分がスキップされたことも理解し、山札には手を出さず、そのうえ他人の成功も喜んでいる。

 一年で、いや半年ほどの間で、こんなにも成長するとは!


 山札を引くたび、誰かがカードを捨てるたび、みんなのキッチンカウンターに食材が揃っていく。


「ごはんですよー」

 娘が言った。残り一枚になったときにそう宣言する。UNOの「ウノ!」みたいなものだ。娘は順調に材料を集め、次のターンで上がった。


「できあがり!」

 得意げにカードを見せる八歳の娘。カード荒らしの息子の強襲に負けてゲームを中断していた日々を乗り越え、家族四人の中から堂々の勝利を収めた。今、誰よりも輝いている。


 本来なら、誰か一人が料理を完成させた時点でゲームは終了するらしいが、一生懸命に具材を集める息子のために全員完成させるまでゲームを続行することにした。


「できあがり」

 私のチーズハンバーグも完成した。


 息子も夫も、あと一枚ずつ。夫が山札から一枚のカードを取ると、ちらりと息子を見て、それを場に捨てた。口元がニヤリと笑っている。


 カレールーだ!


 セットの中に一枚しかないカード。私が集めたデミグラスソースも一枚しかなかった。じゃがいもやにんじんは何枚もあるが、それぞれの料理には、セットに一枚しかない特別な具材が必要なのだ。

 カレーライスを完成するにはこの一枚が欠かせない。


「レシピ!」

 息子が歓声を上げた。全ての具材を集め、ていねいに並べると、ちょこんと正座したまま顔を上げた。


「できあがり!」

「やったね!」

「カレーできたね」


 私と夫が声をかけると、息子は立ち上がってその場で踊り出した。

 みんなが完成するのを待ちかねていた娘が、カードを集め直した。


「もう一回やろ! 今度は裏返しで!」


 高揚した娘に促されて、私たちは二回戦、三回戦へと進み始めた。


 子どもたちの成長を喜びながら、私たち夫婦は抜け出せないカード地獄へと足を踏み入れてしまったのである。

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