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瞬きの中の殺人鬼  作者: なは
第三章:狙われている
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目が合った

 瀬戸(せと)が手配した所轄の警察官が、コンビニまで来てくれた。


 制服の巡査が二人。周辺をパトロールして、不審者がいないことを確認してくれた。俺はパトカーで最寄りの交番まで送ってもらい、そこから電車で新宿に戻った。


 ホテルの部屋に帰って、鍵をかけた。チェーンロックもかけた。窓のカーテンを閉め切って、暗い部屋の中でベッドに座り込んだ。


 犯人は俺を知っている。俺の顔を知っている。追いかけてきた。


 これはもう偶然じゃない。


 では、次はいつ来る。


 夜か。明日か。一時間後か。


 考えても仕方がない。考えても答えは出ない。


 スケッチブックを開いた。今日見た映像をすべて描き起こす。交差点。モニュメント。銀行。公園のチラシ。


 そして最後の映像。俺の後ろ姿。


 自分の後ろ姿を描くのは奇妙な経験だった。ジーンズと黒いジャケット。肩のカメラバッグ。少し猫背の歩き方。他人の目で見た自分は、思ったより小さくて頼りなく見えた。


 深夜二時。眠れないまま、天井を見つめていた。


 瞬きが怖い。目を閉じるたびに、犯人の世界が差し込まれるかもしれない。それが恐ろしいと同時に、来てほしいとも思っている。情報がほしい。犯人が今何をしているのか知りたい。


 矛盾した感情だ。


 そんなことを考えていたとき。


 瞬き。


 映像。


 犯人の視界。暗い。夜だ。


 街灯の下を歩いている。いつもの散歩のような歩調ではない。早足だ。何かに急いでいる。あるいは、何かから離れようとしている。


 視界が揺れている。走り出しそうなほどの早歩き。


 そして不意に、犯人が立ち止まった。


 振り返った。


 犯人の視界が百八十度回転する。後ろを確認している。追われている? 誰かに見られていると感じたのか。


 振り返った先には、誰もいなかった。暗い通り。街灯。電柱。車が一台停まっている。人の気配はない。


 だが犯人は警戒している。数秒間、後ろを凝視してから、再び前を向いて歩き出した。


 映像が途切れた。


 犯人が警戒している。


 俺に追跡されたことを気にしているのか。あるいは、俺の存在そのものに対する不安が芽生えているのか。


 視界リンクが一方通行だという前提は、もう成り立たないかもしれない。


 犯人の側にも、何らかの異変が起きている可能性がある。俺と同じように、瞬きの瞬間に見知らぬ映像が差し込まれているのかもしれない。俺の日常の風景が、犯人の目にも映り込んでいるのかもしれない。


 もしそうだとしたら。


 犯人は、自分の視界を覗いている人間がいることに気づいた。そしてその人間が自分を追いかけてきたことも知った。


 敵が誰で、どこにいるかを、犯人は把握している。


 そして俺は、犯人の顔すら知らない。


 圧倒的不利だ。


 翌日。


 瀬戸から連絡が来た。


「上に報告しました。杉並の事件との関連で、情報提供者として扱うことになりました。ただ、あなたの能力のことは伏せています。犯人を目撃したという形で報告しました」


「わかった。それで、動いてくれるのか」


「立川周辺の防犯カメラ映像を確認する方向で調整しています。あなたが犯人に追われたという状況から、ある程度の時間帯と場所は絞れますから」


「ありがたい」


「ただ、時間がかかります。防犯カメラの映像を洗い出すのは手間がかかるし、犯人の特徴が不明確なので絞り込みも難しい」


 そうだ。犯人の顔を俺は知らない。長身で、暗い色のブーツを履いている。それしかわからない。防犯カメラの映像から特定するには、情報が足りなすぎる。


「もっと情報を集める」


「どうやって」


「今まで通りだよ。瞬きの映像を待って、そこから情報を読み取る」


 瀬戸は黙った。数秒の間の後、小さな声で言った。


「……気をつけてください。本当に」


 電話を切って、窓の外を見た。ホテルの窓から見える、隣のビルの壁。いい加減この景色にも飽きてきた。


 午後。


 外出する気にはなれなかった。昨日の恐怖がまだ体に染みついている。犯人の視界に自分の後ろ姿が映ったあの瞬間。あれは一生忘れられない。


 だが部屋にいても進展はない。映像が来るのをただ待つだけだ。


 ソファに座って、スケッチブックをめくった。


 これまでの記録を最初からたどる。最初の映像。血まみれの手。死体。フローリング。壁紙。蛍光灯。窓。ブロック塀。電柱。蔦。


 そしてあの白い花。


 もう一度、花のスケッチを見た。白い花。花びらが五枚。茎は細い。リボンが巻かれていた。


 この花の種類を特定できていなかった。


 スマホで花の画像検索をした。白い花、五枚花弁、小ぶり。


 候補がいくつか出てきた。桔梗。ジャスミン。小さな白百合。


 いや、違う。花びらの形が違う。もっと丸みを帯びていて、先端がわずかに尖っている。


 検索を続けた。


 見つけた。


 白椿。


 白い椿の花。花言葉は「申し分のない魅力」あるいは「至上の愛」。


 犯人は、殺した人間のそばに愛の花を添えている。


 そしてコンクリートの部屋にあった赤い花。あれも椿か。赤い椿の花言葉は「控えめな素晴らしさ」あるいは「気取らない優美さ」。


 犯人にとって殺人は美的行為だ。花を添えるのは仕上げの儀式。死体を作品として完成させる最後の一手。


 こいつは芸術家気取りの異常者だ。


 スケッチブックに「アーティスト」と書いた。犯人の仮名だ。


 その夜。


 映像が来た。


 犯人の視界。室内。あのコンクリートの部屋だ。アジトに戻っている。


 テーブルの上に何かが広げられている。写真だ。プリントされた写真が何枚か。


 犯人が写真を一枚手に取った。指が見える。長い指。爪はきれいに切り揃えられている。手袋はしていない。


 写真を見る。


 映った。


 写真に映っているのは、人物だった。通りを歩いている男の横顔。


 その男は。


 俺だ。


 望遠で撮られたような、少し粒が粗い写真。駅前か、道路脇か。どこかの街中で俺を撮影した写真。


 犯人が俺の写真を見ている。アジトの中で、俺の写真を手に持って、じっと眺めている。


 映像が途切れた。


 吐きそうになった。


 トイレに駆け込んで、便器に顔を突っ込んだ。何も出なかったが、胃が痙攣するように収縮した。


 犯人が、俺の写真を持っている。


 一方的に見られている。


 これまで俺は犯人の視界を覗き見る側だった。だが今、犯人もまた俺を「観察」している。


 二人の間に、対称性が生まれつつある。


 俺が犯人を追い、犯人が俺を追う。俺が犯人のスケッチを描き、犯人が俺の写真を撮る。


 鏡だ。合わせ鏡。


 トイレから出て、洗面台で顔を洗った。鏡の中の自分は、蒼白を通り越して灰色だった。


 スマホが鳴った。瀬戸からのメッセージ。


『立川の防犯カメラ映像の解析、進捗なしです。犯人の特徴が不明確なため、絞り込みが困難とのこと。もう少し情報が必要です。何か新しい映像はありましたか?』


 俺は指を震わせながら返信を打った。


『犯人が俺の写真を持ってた。アジトの中で、俺の横顔の写真を見てた。写真はたぶん望遠で撮られたもの。俺は完全に標的にされてる』


 返信はすぐに来た。


『今夜からそのホテルも危険かもしれません。場所を変えてください。変更先は私にだけ教えてください』


 俺はホテルをチェックアウトして、別の宿に移った。今度は池袋の雑居ビルの中にあるカプセルホテルだ。安いし、身元確認もゆるい。犯人に追跡されにくい場所を選んだつもりだ。


 カプセルの中で、スケッチブックを見た。


 犯人の指。長い指。きれいに切り揃えられた爪。


 この手が、人を殺す。


 この手が、花を添える。


 この手が、俺の写真を持っている。


 目を閉じた。怖い。だが、止まるわけにはいかない。


 俺とあいつの視界が交錯している。


 次に目が合ったとき、勝負が決まる。


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