走って追いかけてみる
ホテルに籠もっていても何も進まない。
朝からベッドの上でスマホの画面をにらみ、ニュースを追い、瀬戸からの連絡を待つ。その繰り返し。映像も来ない。犯人は静かにしている。
だがそれは安全を意味しない。嵐の前の静けさかもしれない。
三日目の朝、俺は決心した。
待っているだけでは駄目だ。犯人が俺を見つけたなら、俺が先に犯人を見つけるしかない。追われる側でいる限り、永遠に逃げ続けることになる。
瀬戸には連絡した。
『犯人を追跡する。映像が来たらリアルタイムで情報を送る』
返信はすぐ来た。
『絶対にやめてください』
既読にして、スマホをポケットにしまった。
申し訳ない。でも、もうじっとしていられない。
ホテルを出た。駅に向かう。平日の朝九時。通勤ラッシュの残り火がまだくすぶっている。人の流れに紛れて改札を通る。
行き先は決めていない。犯人の映像が来るのを待って、リアルタイムで追跡する。
映像には犯人の視界が映る。犯人が見ている風景の中に、看板やランドマークがあれば、場所を特定できる。それを手がかりに犯人の現在位置を割り出し、追いかける。
無謀だと思う。だが俺にはカメラマンの目がある。零コンマ数秒の映像から情報を読み取る訓練を、この二週間ずっとやってきた。
電車に乗った。とりあえず新宿方面へ。犯人が俺の自宅周辺をうろついていたなら、行動圏は中央線沿線の可能性が高い。
新宿で降りて、駅の構内を歩いた。人が多い。これだけの人混みの中なら、犯人も容易には近づけない。
東口の広場に出て、ベンチに座った。スケッチブックとペンを手元に置く。スマホの地図アプリを開いておく。
準備完了。
あとは、来るのを待つ。
三十分が過ぎた。何も起きない。瞬きを繰り返すが映像は来ない。
一時間。何も起きない。
ベンチから立ち上がって、歩き始めた。新宿の東口から歌舞伎町方面に向かう。人混みの中を歩きながら、ひっきりなしに瞬きをする。端から見たら挙動不審だろう。
大久保通りを北に歩く。韓国料理店の看板が並ぶ通り。匂いが混じり合っている。キムチと焼肉とコスメの甘い香り。
その時、瞬きをした。
来た。
犯人の視界。
屋外。日中。明るい。
目の前に大きな交差点がある。歩行者用信号が赤だ。犯人は横断歩道の前で立ち止まっている。
周囲の風景を必死に読み取る。コンマ三秒。
信号の向こうに大きなビルがある。ガラス張りの外観。一階に銀行が入っている。看板に銀行名が見える。読める。
そしてビルの隣に、特徴的な形のモニュメントがある。金属製の抽象的なオブジェ。噴水のようなものが組み合わされている。
映像が途切れた。
俺はすぐにスマホを取り出した。地図アプリを開いて、銀行名で検索する。
支店の一覧が出る。東京都内だけで何十店舗もある。だが、さっきの映像の中のモニュメントが手がかりだ。噴水つきの金属オブジェ。駅前か、大きな商業施設の前か。
画像検索をかけた。銀行名とモニュメントのキーワードで。
見つけた。
立川だ。
立川駅北口のロータリーにあるモニュメント。画像検索の結果と、さっき見えた映像のオブジェが一致する。銀行も立川駅前の支店だ。
立川。中央線沿い。府中からは電車で十分。犯人の行動圏内だ。
俺は走った。大久保通りから新宿駅に向かって全力で走った。中央線のホームに飛び乗る。立川まで快速で約四十分。
電車の中で、スマホのバッテリー残量を確認した。七十二パーセント。大丈夫だ。
スケッチブックにさっきの映像を描き起こす。交差点。信号。銀行のビル。モニュメント。犯人が向いていた方向から考えて、北口のロータリーを西に向かって歩いていたはずだ。
四十分後。立川駅に着いた。
北口に出る。ロータリーが目の前に広がる。モニュメントがある。画像検索で見たのと同じオブジェ。間違いない。
だが犯人は一時間前にここにいた。今もいるかどうかはわからない。
ロータリーを横切って、犯人が歩いていた方向に進んだ。西方向。駅前の商業エリアを抜けると、住宅街に入る。公園がある。
歩きながら、瞬きを繰り返す。映像よ、来い。犯人が今どこにいるか教えてくれ。
五分歩いた。十分歩いた。映像は来ない。
公園のベンチに座って、水を飲んだ。焦るな。こっちの都合では映像は来ない。犯人が何かに集中しているときだけ、リンクが発動する。
待つしかない。
十五分後。
瞬き。
来た。
犯人の視界。
今度は近い距離で何かを見ている。壁だ。コンクリートの壁。
その壁に、チラシが一枚貼ってある。地域のイベントの告知ポスターだ。日付が読める。来週の土曜日。場所の欄には「立川市民公園」と書いてある。
犯人は人が集まるイベントの情報を確認している。次のターゲットをイベント会場周辺で物色するつもりか。
映像が途切れた。
立川市民公園。ここから歩いて行ける距離にある。
俺は立ち上がって、そちらに向かった。走るのは我慢した。目立つ行動は避けたい。
公園の入口に着いた。平日の昼間で、人はまばらだ。犬を連れた老人。ベビーカーの母親。ベンチで弁当を食べているサラリーマン。
犯人がこの中にいるかもしれない。
公園をゆっくり一周した。ジョギングしている振りをして、園内を観察する。不審な人物は見当たらない。当然だ。犯人がどんな顔でどんな服を着ているか、俺は知らない。
公園を出て、周辺の道路を歩いた。住宅街。静かな通り。子どもの声が遠くから聞こえる。
そのとき。
瞬き。
映像。
犯人の視界に、俺が映った。
正確には、道路の先を歩いている男の後ろ姿が映った。ジーンズに黒いジャケット。肩にカメラバッグ。
それは俺だ。
俺の後ろ姿を、犯人が見ている。
血が凍った。
全身の筋肉が一瞬で硬直した。映像はもう消えている。目の前には立川の住宅街がある。静かな通り。自分以外に人がいない。
いや、いる。
後ろにいる。
今この瞬間、俺の後ろに犯人がいる。
振り返るべきか。振り返ったら何が起きる。犯人と目が合う。そうなったら。
足が動いた。考えるより先に、体が動いた。
走った。
全力で。
住宅街の角を曲がり、別の通りに出る。もう一度曲がる。大きな通りに出た。車が左右に走っている。人がいる。コンビニがある。
コンビニに飛び込んだ。自動ドアが開いて、冷房の効いた店内に入る。
レジの店員が驚いた顔でこっちを見た。汗だくで息を切らした男が突っ込んできたんだから当然だ。
窓際に移動して、外を確認した。
誰もいない。通りには車が走り、歩道には何人かの通行人。だが、俺を追いかけてくる人影はない。
心臓が爆発しそうだった。膝が笑っている。冷蔵ケースの前にしゃがみ込んで、ペットボトルの水を掴んだ。レジに持っていく手が震えていた。
会計を済ませて、コンビニの隅で水を飲んだ。
犯人は俺の後ろにいた。
俺を見ていた。
追いかけてきていたのか。それとも偶然出くわしたのか。
どちらにしても、この追跡作戦は完全に裏目に出た。俺が犯人を追っているつもりが、犯人に追われていた。
スマホを取り出して瀬戸に電話した。
「瀬戸さん、犯人に見つかった」
「何ですか。どこにいるんですか」
「立川。犯人の映像で場所を特定して追いかけたんだけど、逆に見つかった。犯人の視界に俺の後ろ姿が映ってた」
電話口の向こうで、瀬戸が大きく息を吐いた。怒りを押し殺しているのがわかる。
「……今安全な場所にいますか」
「コンビニの中。人もいる」
「そこから動かないでください。すぐに所轄に連絡します。それと――この件は上に報告します。もう個人でどうこうできる段階じゃありません」
「わかった」
「わかったじゃなくて、本当にわかってくださいね。あなたが死んだら誰も犯人を止められないんですよ」
瀬戸の声には、怒りと焦りと、微かな心配が混じっていた。
電話が切れた。
コンビニの蛍光灯の下で、俺はしばらくぼんやりと立っていた。
犯人は俺を知っている。俺の住所を知っている。そして今日、俺の姿を直接目にした。
狩る側と狩られる側が、完全に入れ替わった。




