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瞬きの中の殺人鬼  作者: なは
第二章:手がかり
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警察と話してみた

 瀬戸明日香(せとあすか)


 二十四歳。管轄署の若手刑事。


 知り合ったのは半年前だ。警察の広報写真を撮る仕事があって、その現場に彼女がいた。新人研修中で、広報の撮影にも駆り出されていたらしい。真面目な顔をして直立不動でカメラの前に立っていたのを覚えている。


 撮影後に少し雑談した。仕事の話や、大学時代の話。彼女は法学部の出身で、卒業後すぐに警察官になったという。正義感が強いというより、不条理なことが嫌いなタイプだ。物静かに見えて、目の奥に芯の強さがある。


 連絡先を交換して、何度かメッセージをやり取りした。飲みに行く約束はしたが、お互い忙しくて実現していない。そんな程度の関係だ。


 だが今、俺が頼れる相手は彼女しかいなかった。


 電話をかけた。三コールで出た。


「はい、瀬戸です」


「ああ、神谷です。カメラマンの。覚えてる?」


「……神谷さん? ああ、はい。広報の撮影のときの。お久しぶりです」


 声に少し警戒の色が混じっている。半年ぶりにいきなり電話がかかってくれば、そうなるか。


「急にごめん。実は相談したいことがあって」


「相談、ですか」


「うん。直接会って話したいんだけど、時間もらえないかな。三十分でいいから」


 沈黙。少し間があった。


「……仕事の件ですか?」


「いや。ちょっと事件に関わることかもしれない」


 また沈黙。


「わかりました。今日の夕方なら少し空いています。五時に新宿駅の南口でどうですか」


「ありがとう。行く」


 電話を切った。手のひらが汗で濡れていた。


 午後五時。新宿駅南口。


 改札を出ると、瀬戸が柱の脇に立っていた。紺色のパンツスーツ。ショートカットの黒髪。背は高い方で、姿勢がいい。職業柄か、周囲をさりげなく観察する癖がある。俺が近づくと、すぐに気づいた。


「神谷さん」


「悪い、待たせた?」


「いえ、今来たところです」


 近くのファミレスに入った。窓際の席を選んで、向かい合って座る。ドリンクバーだけ頼んで、俺はコーヒー、彼女はウーロン茶。


「で、事件に関わることって何ですか」


 瀬戸はウーロン茶のグラスに口をつけながら、まっすぐこっちを見た。


 さて、どう切り出すか。


 直球で行くしかない。回りくどく説明している余裕はない。


「……信じてもらえないと思うけど、聞いてほしい」


「はい」


「最近、おかしなことが起きてる。瞬きをすると、一瞬だけ、知らない場所の映像が見えるんだ」


 瀬戸の表情に変化はなかった。警察官の顔だ。何を言われても動じないという訓練の成果だろう。


「それで、その映像の中に――人の死体が映ってた」


 一拍、間が空いた。


「死体」


「ああ。血まみれの手と、足元に倒れた男。見知らぬ部屋の中で」


「それは……夢とか、幻覚とかではなく?」


「最初は俺もそう思った。でも翌日のニュースで杉並の殺人事件の報道を見て、映像の中の現場と完全に一致してた」


 スケッチブックを鞄から取り出して、テーブルの上に置いた。


「これ、見てもらえるかな」


 瀬戸がスケッチブックを開いた。ページをめくる。部屋の間取り。壁紙の模様。窓の外の風景。電柱と蔦。死体の服装。ナイフ。花。


 彼女の表情が少しずつ変わっていった。刑事としての職業的な無表情から、困惑に。


「……これ、神谷さんが描いたんですか」


「ああ。映像が見えるたびに、すぐに描き起こしてる。カメラマンだから、瞬間的な映像を記憶するのは得意なんだ」


 瀬戸はスケッチブックをじっくりと見ていた。ページを行ったり来たりしながら、細部を確認している。


 やがて、スケッチブックを閉じた。


「神谷さん」


「うん」


「正直に言います。今のお話は、このまま上に持っていくことはできません」


 予想通りだった。


「瞬きで映像が見えるというのは、医学的にも科学的にも説明がつかない現象です。仮に私が信じたとしても、上司やほかの刑事が信じるわけがありません」


「わかってる」


「ただ」


 瀬戸が少し声を落とした。


「このスケッチは――気になります」


「どういう意味?」


「杉並の事件のことは私も知っています。詳しくは言えませんが、このスケッチに描かれていることの中に、報道されていない情報が含まれています」


 花だ。白い花。


 瀬戸は具体的には言わなかったが、目が一瞬だけ花のスケッチのところに戻った。そこで確信した。花のことは報道されていない捜査情報であり、犯人しか知り得ない内容なのだ。


「だからこそ、慎重にならなければいけません。この情報をどこで入手したのか、神谷さんが事件に関与していないという証拠がなければ、あなた自身が疑われる可能性があります」


 胃が縮み上がった。


 容疑者にされる。そうだ、その可能性は最初から頭にあった。犯人しか知らない情報を持っている人間が署にやってきたら、まず疑うのが当然だ。


「俺は殺してない」


「わかっています。私の個人的な印象では、神谷さんがそういうことをする人には見えません。でもそれは証拠にはなりません」


 瀬戸はウーロン茶をもう一口飲んで、テーブルに手を置いた。


「提案があります」


「聞く」


「今はこの情報を正式なルートで提出しないでください。その代わり、もし今後も映像が見えたら、私に直接連絡してください。内容を照合して、事件との関連が確認できた時点で、私の方から上に報告する形を取ります」


 瀬戸の提案は合理的だった。今の段階で正面から行っても門前払いか、最悪の場合、俺が取調室に座らされることになる。


「ありがとう。そうさせてもらう」


「それと、一つだけ約束してください」


「何」


「絶対に、一人で犯人に近づこうとしないでください。場所の特定ができたとしても、自分で行かないで。必ず私に連絡してください」


 瀬戸の目は真剣だった。刑事としての目。


「わかった」


 その場では、そう答えた。


 ファミレスを出て、新宿駅に向かって歩いた。瀬戸と別れて、一人で改札に向かう。


 信じてもらえなかった。


 いや、完全に信じてもらえなかったわけじゃない。スケッチの内容が捜査情報と一致していることは認めてくれた。協力関係の入口には立てた。


 だが、根本的な部分で信じてもらえていない。もっと言えば、俺自身が犯人ではないかという疑惑が、彼女の中に生まれているはずだ。


 仕方がない。俺だって同じ立場なら疑う。


 改札を通って、ホームで電車を待つ。帰りの電車は混んでいた。吊革に掴まって、ぼんやりと窓の外を見る。


 そのとき、瞬きをした。


 映像。


 室内。前に見たコンクリートの部屋とは違う。今度は普通の住宅のようだ。フローリングの床。白い壁。照明は暖色系で、落ち着いた雰囲気。


 テーブルの上に地図が広げてある。紙の地図だ。スマホではなく、折り畳みの道路地図。赤いペンで、何カ所かに印がつけてある。


 映像が途切れた。


 電車の窓ガラスに、自分の顔が映っている。青白い顔だ。


 犯人は準備を進めている。地図に印をつけている。次のターゲットの行動圏を調べているのか。遺棄場所を選んでいるのか。


 家に帰って、すぐにスケッチブックを開いた。


 地図の記憶を描き起こす。赤い印の位置。地図上の道路のパターン。


 だが今回は、情報が少なすぎた。映像が短すぎて、地図の縮尺も地名も読み取れなかった。赤い印が複数あったことと、それが比較的狭い範囲に集中していたことくらいしかわからない。


 駄目だ。もっとよく見なければ。


 だが俺の意思では映像は呼び出せない。来るのを待つしかない。


 翌日。


 俺は我慢できなくなった。


 瀬戸との約束を破ることになるかもしれない。だが、行かなければ。


 府中へ向かった。


 電車を乗り継いで一時間弱。府中駅で降りて、西口から出た。駅前は綺麗に整備されていて、大きなショッピングモールがある。競馬場が近いせいか、レースの日は人出が多いらしいが、平日の昼間は静かだった。


 地図アプリの映像を頼りに、周辺を歩いた。赤土が露出しているエリア。多摩川に近い住宅街。倉庫やガレージが並ぶ一角。


 三時間歩き回った。


 結論から言えば、犯人のアジトらしき場所は見つからなかった。


 コンクリート打ちっぱなしの建物はいくつかあった。だが、あの映像の部屋がどの建物の中にあるのか、外観だけではわからない。中に入るわけにもいかない。


 ただ、無駄足ではなかった。


 多摩川の河川敷を歩いたとき、赤茶色の土を踏んだ。靴底に泥がつく。犯人のブーツについていた泥と同じ色だ。


 河川敷の近くには、古い倉庫や工場がいくつかある。コンクリートの建物。使われていないものもある。


 その中のどれかが、犯人のアジトかもしれない。


 だが、一人で踏み込むのは危険すぎる。瀬戸が止めた理由がわかる。


 帰りの電車の中で、瀬戸にメールを送った。


『府中市の多摩川河川敷周辺を歩いてきました。犯人の靴についていた泥と同じ色の土がありました。古い倉庫がいくつかあります。場所の特定にはもう少し情報が必要です』


 返信はすぐに来た。


『行かないでくださいと言ったのに。危ないですよ』


 続けてもう一通。


『情報はありがたいです。引き続き映像が見えたら連絡してください。くれぐれも一人で行動しないように』


 俺はスマホを閉じて、車窓の外を見た。


 夕暮れの郊外の風景が流れていく。畑と住宅地の混じったエリア。どこにでもある東京の郊外。


 この景色のどこかに、殺人鬼が潜んでいる。


 そしてその殺人鬼は、今も次の犯行の準備をしている。


 俺の瞬きが、その準備の一部始終を映し出している。


 次の映像が来たら。次こそ、犯人の正体に近づく情報を掴む。


 電車の揺れに身を任せながら、俺は目を閉じた。


 瞬きではなく、意識的に。


 何も見えなかった。


 当たり前だ。こっちの都合では動いてくれない。


 だが、あいつが動けば、俺にも見える。


 それだけが、今の俺の武器だ。


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