mellow music
ミネが予約してくれていたイタリアンのレストランで食事をし、店を出ると、ミネがクラブに行きたいと言い出した。
ミネは、ワインを一本開けたので、だいぶ酔っ払っている。
ぼくは早く帰りたかったけど、ミネに強引に手を引かれて、近くの治安が一番良さそうなクラブに入った。
店内はクリスマスムード一色で、悪そうな人はいないが、浮かれた格好をした人がたくさんいる。
DJらしき人がいるスペースの前でサンタとトナカイのコスプレをした若い男女のペアが腕を組んで腰をくねらせている。
スーツにネクタイのサラリーマン風の男が、高い丸テーブルに肘をかけて斜に構えた感じで青色の酒を飲んでいるが、足は店内の曲のビートに合わせて動いている。
目の前では、黄色の口紅をつけて、アフリカの民族衣装のような緑色のドレスを着た女と白シャツにネクタイの男が向かい合って踊っている。
男の方は顔が真っ赤で、店内に流れている曲のビートと体の動きが合っていない。
だが、男は楽しそうだ。ぼくはその様子を見て、どうしようもない不安が湧き上がってくるのを感じた。
助けを求めるように、ミネの方を見て言った。
「ぼく、クラブとか来たことがないから、どうやって踊ったらいいかなんてわかんないよ。」
「私も来たことないよ、でもいいのよ、多分好きなように踊ればいいんだ。エモさに身を任せんのよ。」
そう言ってミネはジャンプしたり腕を上下に上げたり下ろしたりして、デタラメなダンスを踊り出した。
ほら、アスカも一緒に!そう言って笑っている。
この店の中で踊っている人達は、てんでバラバラで自由に踊っている。
当然、腕が当たったり、腰がぶつかったりしてしまっている。
これダンスなの、ぼくうまく踊れないよ、大声で叫ぶが、ミネの耳には届かない。
前で踊っていたネクタイの男が女に喋りかけている。
俺はさ、君みたいに黄色の口紅をつけているような女を通勤電車の中とかで見かけたら心底むかつくんだよ。理由はわかんねえけど、ムカつくんだ。でも、ここで君を見た時はそんな嫌な感情は起こらなかったよ。ここは不思議な空間だな。
アスカが入り口に突っ立ったままいるのを見かねたように、ミネが近づいてきて言った。
「何してるの?踊ろうよ!」
「どうやって踊ったらいいのかわからないんだけど。」
「間違ったままでいいんだよ、こんなエモい空間、ほとんどもう日本に残ってないよ!みんな実は間違ってるんだよ、だからアスカちゃんが間違えてたって、ここにいる誰も気にしないの!」
そう言って、ミネはぼくの手を取った。
ねえ、どうやって踊ったらいいの?
店内の騒音に負けないように、今度こそミネの鼓膜に響くように、叫ぶ。
知らない!
ミネが叫び返す。
柔らかい粒子状の波のようなシンセサイザーの音色が耳に流れ込んでくる。
南の島で流れているような感じの、オリエンタルなメロディだ。
時々、短い電子音が飛び込んできて、鼓膜を刺激した。
イントロが終わり、スネアの音が弾けた時、ぼくは腰の重心が下に引っ張られるような不思議な快感を覚えた。そのスネアの音は明らかにこれまでぼくが聞いてきた音楽のそれと違った。
だが、そんなことが原因なのではない。
ゆっくりとした曲なのに、腰が勝手に動いてしまう。
歌を歌っている時、こんな動きをしたことがこれまで一度でもあっただろうか。
ミネは体を左右に揺らしながら手をブンブン振り回している。
ぼくは一瞬訳が分からなくなり、恥ずかしくなった。
でも、すぐになぜ自分がこんな動きをしてしまうのかがわかった。
曲のメロディとビートにわずかだが意図的なズレがある。
ぼくは普段ビートとメロディが同期した音楽を聞き、歌っているのだ。
だから、体が変に動いてしまうのだろう。
ボーカルが聞こえてきた。
男なのか女なのかわからない中性的な歌声だ。
なんて言っているのか分からないが、きっと素敵な歌詞なんだろう。
気がつくと、ぼくはミネと同じように体を上下に揺らしてヘンテコなダンスを踊っていた。
恥ずかしさが薄れていき、体の底から楽しさが湧き出してきた。
間違ってただ体の赴くままに踊っているということがおかしくて、楽しくて仕方がない。
やればできるじゃない!とミネが耳元で叫んだ。
ぼくも、音の波にのまれないように叫び返す。
なんだか、体が勝手に動くんだ!耳から粘っこい液体が入ってきて、体の芯を溶かしてるみたい!
ミネはぼくの手を掴んで自分の方に引き寄せた。
不思議なグルーヴのうねりの中で、ミネが叫ぶ。
この曲はね、正解の踊り方なんて無いのよ、ただ踊ってるってことが大事なの、自分が踊りたいから踊る、この曲がかかってる場所にたまたま居合わせたから踊るってだけ、何か目的を持ってないといけないとか、独りよがりじゃなくて人の役に立ってないといけないとか、踊るための理由なんかないの!
ぼくとミネが無茶苦茶に踊ってるのを見て、周りにいる人が色んな笑顔で拍手をしている。
聖母子像みたいな柔らかい笑顔、滑稽なものを嘲笑ういやらしい笑顔、羨ましいものを見ているような笑顔、アルコールで麻痺しただらしない笑顔。
いつもなら逃げ出してしまいたくなるようなシチュエーションだが、なぜか今はその世界の中にいることが心地良い。