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灰色の段階  作者: 星野レイ
6/13

Moonlight

海は、月光を反射して暗澹と輝いている。

月光は海面でゆらゆらと揺れて掴み所がない。

隣で、ミネが撮影の準備をしている。

カメラのレンズを選び、一度試し撮りをして、写り具合をチェックして…を繰り返している。

ぼくはミネに聞いた。

「ねえ、幽玄の美って知っている?」

「なんか、習ったね、中学の時とかに美術かなんかで。」

「この月光の感じってさあ、その、幽玄の美って感じしない?」

ミネはカメラのレンズを取り替える作業を止め、海の向こうに目を凝らした。

「うーん、するっちゃするんじゃない?」

「ミネはいい加減だなぁ。」

「なんかそんな感じの概念とかよくわかんないよ。」

「芸術家なのに。」

「でもエモいね、この景色。」


足元に、ヘンテコな形をした貝殻がある。

貝殻を拾い上げて内側をのぞいた。

仄かな透明な月光に照らされた貝殻の内側は、虹色に輝いている。

貝殻を動かすと、角度によって虹色が移動した。

しばらくその虹色を眺めた後、貝殻を海に向かって投げた。

海から吹き付ける冷たい風が頬を刺す。

「ねえミネ、まだ準備出来てないの?」

「んー、まだ時間かかりそう。暗いところでの撮影ってのは難しいからさー。もうちょっと待って。」

「ぼく、あっち言ってるから、終わったら言って。」

「はいはい。」

ぼくは立ち上がって、ミネから少し離れたところまで歩いていき、目を閉じた。

波の音以外に聞こえてくるものは何もない。

深呼吸をして呼吸のリズムと波のリズムを同期させる。

生きている海と一体になっているような気がした。

余計なことを考えず、ただ波のリズムを感じてそれに合わせて息を吸いて吐くタイミングを調節することだけに集中した。

俗世間から完全に遮断された場所で、何か母なるものに包まれている感覚に浸ることができた。

ぼくは、お母さんのことを思い出した。

ぼくは母子家庭で育った。


お母さんはいつも帰ってくるのが遅かったけど、いつも唐揚げやピザとかパスタを持って帰ってきてくれて、それを一緒に食べるのが楽しみだった。

お母さんがいない間は、ずっとテレビを見ていた。

四歳の時に、父と母と二人の子供が楽しそうに笑っているだけの建設会社のCMがテレビで繰り返し流れていて、お母さんが帰ってきた時に、なんであたしにはお父さんがいないの?と聞いた。

お母さんは、ぼくを抱きしめて、お父さんは誰だかわからないの、と言った。

そうなのか、と思っただけだった。

ぼくが五歳の時に、お母さんは、アスカちゃんごめんね、という簡単な遺書を残して、ここ、三浦海岸にある崖の上から海に身を投げた。

お母さんの遺体は見つからなかった。

その後、カトリックの児童養護施設に収容された。

学校にも行ったけど、小学校から高校生の間、ずっとイジメられた。


しばらく目を閉じていたせいか、海に反射する月光は光の強度を増したように感じた。

波打ち際に歩いていき、両手で月光に照らされた海を掬う。

透明だった液体がぼくの掌の中で深い瑠璃色に染まった。

遠くにある無骨な工場の群れから一定の間隔でオレンジ色の光が届く。

辟易するほど長く延びた海岸線の先に、お母さんが身を投げた崖がぼんやりと見えた。

ぼくは磯の匂いを嗅いだ。

この匂いは、ぼくにとっては死んだ海の生物が腐った匂いではなくお母さんの肉が腐った匂いだ。

唯一、お母さんを感じることができるもの。

突然、目に突き刺さるように強烈で真っ白な光が、辺りの闇を引き剥がした。

目の前で蒸発するように泡立っている細かい白い波と、その上に転がる尖った木片が見えた。

後ろから歯切れの良いシャッター音がした。

後ろを振り返ると、ミネが無邪気に笑ってカメラを構えていた。

「海見つめたままボーッとして、何考えてたの?」

「昔のこと、思い出してた。」

「昔のことかあ、ねえ、アスカちゃんってどんな子供だったの?」

「別に、普通だよ。つまんない普通の子供。」

「嘘ばっかり。」

「嘘じゃないよ。」

スニーカー越しに柔らかな衝撃が足先に伝わってきた。

潮が満ちてきて、波が大きな音を立ててここまで届いたのだ。

「じゃあ、撮影始めようか。」

そう言ってミネはカメラを構えた。

撮影の途中、ミネの指示で砂浜に横たわると、遠くの空を大きな鳥が飛んでいるのが見えた。

その鳥は、クルクルと旋回しながら水平線の方へ飛んでいき、しばらくすると闇に呑み込まれて見えなくなった。



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