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灰色の段階  作者: 星野レイ
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ミネが声をかけてくれるまで、ぼくは階段の途中で座り込んだまま動けなかった。

ぼくはミネにぐったりと寄りかかったまま階段を登った。

登ってすぐのところに木製のベンチがあり、誰かがそのまま置いていった飲みかけのコーラの缶とコンビニのビニール袋をどけて腰掛けた。

ぼくはミネにお礼を言おうとするが、喉の筋肉がうまく動かない。

「アスカちゃん、無理に喋ろうとしないで。ほら、深呼吸。」

ぼくは頷いて、大きく息を吸い込んで、吐いた。

ミネがぼくの太ももを呼吸に合わせてゆっくりと撫でる。

性的な触り方ではなく、まるで猫を撫でるように。

息を吐き出す際、まるで肺の病気を患った病人のような乾いて濁った音が喉から出た。

何度も深呼吸を繰り返すうちに、手の震えと乱れた呼吸がおさまった。


「大丈夫?」

「うん、ちょっと落ち着いてきた。」

ミネは、心配そうにぼくの顔を覗き込んでいる。

ぼくが喋ったので少し安心したような表情になった。

「急にどっか行っちゃうから、びっくりしたよ。でも、中々ショッキングだったね。」

「…ごめん」

「アスカちゃんも、同じようにどっかのホームから飛び込んじゃうんじゃないかと思ってめちゃくちゃ焦ったよ。あーよかった。」

確かに、ミネがいなかったらそうしてしまっていたかもしれないな、と思った。

ぼくは、太ももを撫でている冷たいミネの手を掴んで額に当てた。

すると、ミネはもう片方の手でさっきと同じように太ももを撫で始めた。

「ぼく、ミネに呼びかけたんだよ。逃げようって。」

「あれ、逃げようって言ってたの?アスカちゃんが何言ってるのか全然聞き取れなかった。」

「その前にも一回、呼びかけた。でもミネ全然気付かないから、それも怖くなっちゃって。」

「ホント?あーでも確かにボーッとしてたかも。ごめんね。私、前も同じようなことあったんだ、神田駅で。なんかその時のこと思い出しちゃってさ。」

「前もあったの?」

「そう。その時はもう夜の十一時くらいだったんだけど、会社員っぽい人が目の前でいっちゃってさ。これで二回目よ、最悪よね。北海道では一度もなかったのに。でも、東京で暮らすってこういうことなのかなぁ。」


さっきの事故が発生してから、もう十分くらい経っただろうか。

京王線のホームに続く階段にはまだ人がいる。

髪が薄い老婆が、ぐったりとした様子で手すりを掴みながら一歩ずつ階段を登ってきている。

その横を、中間管理職をしてそうな中年の男がスマホを耳に押し当て、怒鳴りながら二段飛ばしで階段を上がってきている。

茶髪と金髪の男子大学生と思われる二人組が、逆に階段を降りて行っていった。

多分、事故現場をスマホで撮ってSNSで拡散するのだろう。

女の人のアナウンスが響く。

ただいま、当駅で発生いたしました人身事故の影響で、京王線への乗車を一時見合わせております。

お客様には、ご不便とご迷惑をお掛け致していることをお詫び申し上げます。


「…ねえ、ミネ。」

「何?」

「人身事故で電車が遅延して本気で怒ってる人って本当にいると思う?」

「いるんじゃない?」

ミネは考えるそぶりすら見せずに、軽く言った。

「なんで?」

「そりゃあ、迷惑かけられたからじゃない?」

「そんなの、仕方ないじゃん。死のうと思って行動してるんだから、理性的な判断なんか出来る訳がない。」

「ド正論。でも、どんなにどうしようもないことでも、謝られないと気が済まない人って、結構いるよ。その人達は、自分はこんなに頑張ってるのに馬鹿が電車に飛び込みやがって、ぐらいにしか思ってないよ。自分を守ることで精一杯。」

ミネは、カバンからスマホを取り出してホームボタンを押した後、画面を数回、親指で柔らかく叩いた。

薔薇や椿がプリントされたスマホケースをじっと見つめていると、ミネはホラ見て、と言ってスマホをぼくに持たせた。


Twitterだ。


「人身事故」という言葉がトレンドワードになっている。

SNSというものは、こんな見たくないような言葉も掬い上げて「トレンド」という枠に入れ込んでしまう。

ミネは、何も言わずに体を乗り出してきて、「人身事故」の文字を人差し指でタップした。

「人身事故」という単語を含んだリアルタイムのツイートが画面いっぱいに表示された。

『2019年 10月08日 8時20分現在 8時07分頃に品川駅で発生した人身事故により、国分寺〜立川の上下線で運転を見合わせています。』

『また人身事故、いつ動くかわからないらしい。今日も遅刻でーすww』

『人身事故だるすぎ。』

『人身事故で電車が遅れてんのに、駅員にキレてるやつおって正直不愉快。駅員さんは何も悪くないのに。』

『朝から体調悪いし、昨日の残業で疲れきってるのにここにきて人身事故、最悪。』

『人身事故fuck!』

『最近、人身事故多いなあ。ポンポン人が4んでく。』

『なー、人身事故ダルすぎんか?徹夜明けなんやけど。早く帰らしてくれ。』

ミネはスクロールをする人差し指を止めようとしない。

ぼくに、ずっとこの不快なツイートを見せ続けるつもりなのだろうか。

ミネは、人に迷惑をかけて死ぬ、ということをどう理解しているんだろう。

ミネの顔を見ようとしたが、髪に隠れて見えなかった。


「ねえ…ミネは、どっちなの?」

ミネの人差し指が一瞬止まり、またすぐに動き始めた。

「うーん、どっちもかな。」

ミネの人差し指に、「人身事故」という単語を含んだ大量のツイートが引っ張り上げられる。

『また人身事故かよ。4ぬときぐらい迷惑をかけずに4ね。』

『はぁぁぁぁ、人身事故。』

『品川で人身事故。。タクシーで会社へGO。一人の身勝手な奴のために私の金が減ってゆく〜』

『俺も死にたいけど人身事故はないな。恨まれたくないし。』

『人身事故で遅刻しても、ウチの会社、それ見越して出社しろとか言ってくるからなあ。』

『人身事故起こすにしても品川で飛び込むなよ。。別の駅でやれよ。』

『人身事故なんか起こしたら迷惑かかることがわからないようなやつだから、そりゃ現実でも上手くいってなかったんだろうな。』

『人身事故多すぎ、死にたがってる人が多い。』

『最近、人身事故がない日の方が珍しいよね。』

ぼくは、耐えられなくなって、スマホから目を逸らした。

それに気づいたミネは、スマホをぼくの手から引っこ抜き、京急線が復活するまでどっかで暇つぶししないとね、そう言ってぼくの頬を撫でた。


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