9、悪魔の子
小さなテントの、小さな寝床に、少年と少女が座っている。頭にターバンを巻いたままの少年と、長い赤い髪をした少女とがパンにかぶりついている。
「二人で裏道を逃げた時は布で巻いてもらったが、俺の塒に来た時は、その赤い髪を隠してなかっただろ? カラハタスくらいの大きな都市だ、そりゃ、アータル人もいるにはいる。でも、その長い髪を隠さずに俺の塒まで来る女の子はいない」
レイヴンは、イシスに何故短い日数にしたのかを説明する。彼は彼女を利用して、ここに逃げ込みはしたが、別に彼女を自分の道連れにしたいわけではない。ここで最後まで隠れられる可能性が低いのに、危ない橋を余計に危なくする必要はない。ただ彼女に甘えたのは事実だ。この話を座長にはしなかったのは、今夜にでも何か策を考えたかったからだ。
「あー、成る程。きちんと考えた上でか……遠慮してんのかと思った」
レイヴンはイシスの言葉に笑ってしまう。
「遠慮してないさ。パンもしっかり頂いてる」
「でも、逃げる先なんてあんの? 」
自分の身の心配をしないイシスに、レイヴンは驚く。もちろん、彼女がただの少女なら驚かない。彼女が赤い髪の少女だからだ。疑われただけで、口を割らせる為ならどんな事をされるかわからない。帝国でのアータル人の扱いなんてそんなもの。プリームス帝国自体はアータル人をどうこう言ってないのが建前だとしてもだ。
「一度寝てから考える。きっといい案が浮かぶ」
不思議な少女だ。彼女を悩ませたり、困らせたりする必要はない。レイヴンは今までも沢山の嘘を吐いてきた。こんな嘘がひとつ増えても悪くないだろう。
「すぐ寝れる? あ、寝床使っていいから」
「そうだ。歌は流石にアレだが、何か話でも聴かせてくれ。歌ってなくてもイイ声だ」
単に気休めだ。逃げる場所なんて、この交易都市カラハタスにはない。都市の外に逃げる一手。魔物がいようが、ここにいるよりゃいい。レイヴンはアルキュオネーに万能薬を渡したばかり。1ヶ月の内に何とか事態が動けばよい。
「昔、昔、赤き髪の人々は魔物や獣や悪しき人々に苦しめられていた。ある時、逃げずに戦おうと歌う踊り子がいた。その女に、面白い、弱き者よ、ともに踊ろう、自由を楽しもうと歌う黒き獣が現れた。彼女と黒き獣は、西で魔物を喰らい、東で悪しき人々を燃やした。弱き者の助けとなり、強き者を懲らしめた」
突然、始まった昔話。レイヴンはイシスと出会った時の歌を思い出す。
「アータルの民には有名な話なのかい? 」
「うん。私達が自由に野を駆け、歌を唄い、踊り明かしていた頃の話。何百年前か知らないけど……。でも、確かに受け継がれている話よ。復活すると言われているから……黒き獣が」
プリームス帝国がこの世界で一番の国と言われている。レイヴンは詳しく知らないが、とにもかくにも強く大きな国であることは間違いない。プリム人がその帝国を建国する際に、最後まで争い邪魔をしたのが、赤き髪の人々、つまりアータル人だと言われている。
この世界で目立つその赤い髪が、帝国建国からの仇敵として認識されているのだ。
「黒き獣が復活したら、帝国なんて終わりよ」
「是非、そうなって貰いたいもんだ」
レイヴンは目を閉じている。イシスの昔語りを聞きながら身体を休める。黒き獣の話はアータルの民の希望なのだろう。いつの日にか救いが現れる、そう信じたいのだ。彼は自分の身の上にそんな話がないことを良かったと思うべきだろうか?
レイヴンには救いを信じる事なんて出来なかった。だからこそ、自分の手を汚す事が出来た。金を、力を手に入れられなければ、自由を手にすることは出来ない。
明日は準備をしよう。カラハタスから出て、しかし、カラハタスの近くで、見つからないように機を窺うんだ。
ああ、しかし、機を窺う手段がない。レイヴンは常に独りで仕事をしていた。もちろん、表の仕事をする際はその時のメンバーと力を合わせた。だが、いつもその時限りだ。仲間どころか友人もいない。
彼は周囲の者に自分の黒髪を、黒い瞳を明かせなかった。人を信用することが出来なかったからだ。
何せ彼は、人ではない、悪魔の子なのだ。
本当に悪魔の子なら良かった。夜目が利くとか、人より耳が良いとかではなく、人間離れした膂力や魔力が欲しかった。
「レイヴン、あなたが本当に悪魔の子と呼ばれているなら、黒き髪と黒き瞳を持っているのなら、この際、黒き獣になってみない? 」
眠っていると思っているからだろうか、答えを求めていないかのような質問が投げ掛けられる。
イシスがレイヴンのターバンの上から頭を撫でる。ターバンを取ろうとしているわけではない。彼のターバンの下に隠された黒い髪に語り掛けている。優しく彼女の指先がターバンの縁を撫でる。
「最初の時に気付いていたんだな」
レイヴンの声に、イシスの指先が止まる。だが、指先は離れず、彼女の声が続く。
「気付くわよ、私も紅い瞳をしているんだもの」
「俺は嫌われるのには慣れている。だが、憐れみをかけられるのは慣れてないし、嫌なもんだな」
「レイヴンが私を庇ったのは憐れんだから? 」
ああ、確かに違う。そうではなかった。