10、神が選ぶのかい?
「レイヴンが私を庇ったのは憐れんだから? 」
ああ、確かに違う。そうではなかった。ただ身体が動いた。そして、レイヴンが動いたことをイシスに憐れんだからかと問われたら辛い。
「悪かった。謝る」
「よろしい」
えへへ、と笑いながら彼女が言う。命の危険に晒されていながらも明るさを失わない彼女を尊敬する。レイブンも悲嘆にくれたりはしない。次にどうしたらいいかを常に考えている。だが、明るく楽しく生きているかと言われれば違う。生きるのに、目的の為にいつも必死なだけだ。
「さて、もう一度訊くわよ。黒き獣になる気はない? 」
レイヴンには彼女が何を言っているのか、ちっともわからないが、伝説の魔物にでもなれるなら、それはそれでいいのかも知れない。圧倒的な力を手に入れる事が出来るなら、人間でないとしても……。
「力は欲しいな」
生まれてこの方、レイヴンに与えられたモノで幸せなものは何もなかった。優しい両親も、地位も財産も、才能も何もなかった。人から魔族の子と呼ばれるだけの、黒い髪と黒い瞳以外には何もなかった。
いや、大事に大切に思っているものはある。彼の仮初めの、違う、真実の家族。
その唯一の群青を守ることすらままならい。
「なら、私はアータルの星になる。あなたは黒き獣になって」
アータルの星と言うのは、先程の昔語りに出てきた踊り子の事だろうか?
「乗り気になってきてくれたわね。アータルの星ってのは、アータル族の象徴であり、巫女であり、戦士なの。そして、いつの日か黒き獣と出会い、世界をひっくり返すのよ。私はその星の第一候補」
「神が選ぶのかい? 」
イシスは首を振る。
「星は代々受け継がれていくの。はるか遠い記憶と、悲しい定めと、荒れ狂う能力を。今のアールマティが次のアールマティを選ぶのよ」
巫女の名前をアールマティと呼ぶのだろう。
ならばと思う。嘘か誠かわからん話だが、アータル族にそんな言い伝えがあるのなら、なって良い。たまには夢を見たいから。
「星は選ばれる。黒き獣は? 」
「私はね、黒き獣を探していたの。だって私は星になる」
「自信家だね」
「黒き獣が目の前に現れたのは、私が星になるからよ」
「一晩寝たら強くなってるってのが一番いいな」
ああ、いい夢が見れそうだ。お伽噺ってのはこうでなきゃいけない。頭の中で自分の身体が黒き獣に変わっていく。鋭い牙が光輝く、大きな黒い獣。鋭い牙と鋭い爪だけが、白く目映いくらいに黒い身体から生えている。イシスを背に乗せて、大草原を駆ける。あっという間に、世界の果てまで跳べる。
「どうせ逃げて生き残るのが目的なんだったらさ、もう少し先を考えようよ。ただ逃げるんじゃなくて、自由に楽しく、生きようよ。世界をひっくり返すのとか楽しそうじゃない? 」
※ ※ ※
細く明るい線が広くなる。眩い世界。温かさを感じながら、イシスは目を開いた。狭い寝床にいつまでもいたいと思うのはこの朝の静けさと寒さ。自分が布にしがみついてるせいで彼には寒さが堪えたに違いない。そう思って左手を見ると寝床は空だった。
「あいつは……」
イシスは、レイヴンが昨日の話をただの昔話と、夢物語と思っていたのは気付いていた。だが、勝手にいなくなるとはどう言うことだ? 彼女は自分が馬鹿にされた気がした。何も出来ない、ただ歌を歌うだけの人寄せパンダにしか思われていなかった事に腹が立った。
左手に感じる温もりはまだ時間が経っていないことを示していた。当然、彼女は素早く立ち上がり、テントを出て辺りを見回す。街の大広場の一角に彼女達の一座は場所を借りている。ここから一番近くの外壁を考える。多分、普通に門番のいるところなんて通らない。
昨晩、準備したモノを布に包んで持ち、外壁に向けて駆け出す。もう明け方近くとはいえ、陽の出ていない暗がりに人気はない。起きたばかりで全速力。息は当然切れた。
だが、彼を死なせる訳には行かない。彼は間違いなく『黒き獣』になれる。
イシスの直感でしかない。差別され、蹂躙されるのが常のアータルの民を守る人間は彼が初めてではない。影に日向にアータルの民を護ってくれる者達は確かにいる。例えば、大道芸の一座の座長だってそうだ。座長自身は別にアータル人ではない。どこかの、かつて、帝国に滅ぼされた一族の出身だと聞いた事がある。
しかし、座長は『黒き獣』にはなれない。座長はいい人ではあるが、悪魔にはなれない。
だが、レイヴンはなれる。彼は悪人だ。実際に今回の事件の犯人では無さそうだが、彼は自分が生き残る為なら、躊躇いなく人を殺せる。実際に賞金稼ぎを殺している。躊躇なく。悪人で、悪魔でありながら、同時に彼女を救うという不可思議な行動を取る、彼こそ『黒き獣』に相応しい。
日干しレンガで作られた高い城壁まで来てしまった。赤茶けた色はそう赤くないが、歴史がこの壁を赤い壁にしたのだ。幾度も外敵を打ち払い、その度に血で朱くしてきた。一度も打ち破られた事のない壁。
城壁付近には誰もいない。壁のみが静かに立っている。
日が出るのと同時に、沈黙が支配する城壁に金属音が響く。いや、城壁の下。右手の地下からだ。
こんな高い壁を乗り越えるのは難しい。さらに目立つ。見張りもいるだろう。だから、地下の……これは下水道か。音の反響の仕方で推測する。
イシスは下水道への入り口を探す。




