五章 第二話
翌日、イセリとキリクはハリティアの用がなんなのか分からないままもやもやとした午後を過ごしていると、アリハルが思いがけない訪問者を連れてやってきた。
「こちらは、その、知人だと伺ったんだけど、カイラギ殿と言う。先の教会との戦いの時、傭兵としてダマスク陣営にいたそうだが、ご存じか?」
少し懐疑的な表情と珍しく兵士を伴っていることと相まって、アリハルが嘘か本当か迷っているのが伺える。
カイラギと呼ばれた男が少し前にでる。
「遅くなってすまない。知り合いだと言ったんだがなかなか信用されなくてな。俺の勝手な思いこみじゃなければ、だが」
年はキリクの父シリウスと同じ三十半ばぐらいで、少しゆったりとしたダブレットをを着ているのだが、胸板が厚くがっしりしている。短い髪と日に焼けた褐色の肌が相まって、さわやかな印象を与えている。
初めてムロギアと謁見した時、キリク達の前に謁見していた男だった。
「カイラギおじさ……カイラギ様!」
あわてて言い直す。
「お?おじさんのままの方が俺はうれしいんだがな」
横の兵士に「いいかい?」と確認してキリクの前に進み出る。
「詳細はアリハル殿に聞いたが、またとんでもない事になっているな。何か必要な物はあるか?」
「いえ、今はそちらのアリハル様に良くしていただいているので」
「私の手の届く限りにおいて、日々の生活に困るようなことはさせません」
アリハルが胸を張る。
「キリクが望まない戦いに駆り出されたりしていなかったら、その言葉ももう少し頼もしく聞こえたかもしれないわ」
二階へ続く階段から声がして、イセリが下りてくる。
「キリク、お客様に飲み物を」
可哀想なぐらいしょげるアリハルを気にせず、椅子に座る。
「で、カイラギ様は、今はムロギア帝にお仕えですか?」
かなりとげを含む口調だ。
「今は大きな戦いもなくなって、傭兵の維持も大変なんだよ?あいつら手を離すとすぐ野盗のたぐいになっちまうからなぁ」
カイラギは傭兵隊を率いていた。平時は解体されるのが常なのだが、カイラギは主要な腕の立つ部下十人ほどは手元に残していた。そのため実際の戦の時大変な戦力として見込まれるため、各国から最上級のもてなしを受けているのだった。
「なら今は敵でしょうから、シリウスおじさまに言伝を頼むこともかないませんね」
イセリの言葉に含まれるとげが鋭さを増す。
「幸か不幸かまだ何も決めていない。食客として滞在を許されているだけでね。ムロギア帝に請われているのは確かだが」
ここでキリクから差し出された珈琲を一口飲む。
「今日は元気そうな顔を見られただけで良しとするよ。あまり長く話し込んで、何か詮索されても気分が悪い。また何かあったら会いに来るよ」
カイラギはキリクから受け取った珈琲を飲み干してカップを返すと、両手でキリクの頬をつかみ両側に引っ張る。
「いたたたたたた!」
「いいか、おまえがイセリ嬢ちゃんを守るんだぞ。他の誰でもない、お前が守るんだ。それがお前を守るためでもあることを忘れるな」
誰にも聞こえないよう小声でキリクにささやく。
カイラギは手を離し何事もなかったように笑いながら「じゃぁまたな」と言って外に出ていく。
「カイラギさん!勝手にイセリさんと会うのはダメですからね!私を通してくださいよ!」
アリハルがカイラギの背中を追う様に外に向かっていう。
「まったく」
まだ何かいいたり無いのか、ぶつぶつ言いながらアリハルがイセリの座っている前の席に座る。
「本当に知り合いで良かったですが、私のいないところで勝手にあったりしてはダメですよ」
「ここから許可もなく外へ出ることも出来ないのに、どうやって会うのかしら」
「あぁー、まあとにかく、父の手前もありますし、その、一部で、強硬な意見なども出ていますので……ね?」
最後の方は消え入りそうな声だ。
お互いに手元にある飲み物で口を潤すのみで、長い間が空くが、アリハルは席から立とうとしない。
「で、あなたはなぜ残っているの、アリハル様?」
カイラギに向けていたとげが残っているようなしゃべり方だ。
「あぁ、そうでした」
アリハルが手をぽんとたたき、冷えた雰囲気を変えようとする。
「明日は姉のハリティアとキリクさんがお出かけするとか」
キリクはこの雰囲気の時にまずい話題が出たと渋い顔をし、イセリは目を一段すぅっと窄める。アリハルはおや?っと思ったものの、そのまま話を続ける。
「それで、もしイセリ様がお一人で残られて何の用もないのなら、私もイセリ様をお誘いさせていただければと思いまして」
イセリが窄めた目を片方だけぴくりと上げ、ちらりとキリクの方を見ると、こちらを伺っていたらしいキリクと目が合う。そしてキリクの周りにはわずかな動揺を示すように、纏った色が揺れている。思わずイセリの口元に笑みがこぼれてしまう。
「先日の屋台を集めてくれた時みたいに、楽しそうな所へ連れていってくれるのかしら」
思わずキリクの反応を見たいが為だけに、興味のある振りをしてしまう。
「それはもう!近くにあるオアシスまで出かけて、そこでまた楽しい食事などをしましょう!」
イセリの口元にわずかに浮かんだ笑みを、自分からの誘いによるものと勘違いして、自然勢いに乗るアリハル。
「オアシス?魚もいるの?」
「魚、ですか。いますよ。子供の頃はそこで釣りなんかもしましたし」
「釣りも出来るのね。それは良いわ」
「では釣り道具も持っていきましょう!釣った魚をすぐ料理できる準備なども必要ですね」
アリハルはイセリが釣りに興味を持ったことが少し意外だったようだが、イセリがそれを望むなら、たとえ魚がいなくてもオアシスに放流する勢いだ。
「そうと決まれば早速準備に取りかからないと!」
アリハルは同意を得たという喜びにあふれた、輝くような笑顔で立ち上がる。
「え、まだ行くとは」
「では明日の朝にまた!楽しみにしていてくださいね!」
立ち上がった勢いそのままに扉を開けて出ていく。
「ちょっと!まって……」
イセリの言葉が閉められた扉にむなしく跳ね返り、制止しようと挙げられた手が宙をさまよう。
イセリは少しおろおろしたように横目でキリクを眺める。おそらくイセリの内心と近い感情を抱いているらしいキリクが、小さくため息をつく。
「……な、何で止めてくれなかったのよ」
内心では八つ当たりなのはよく分かっていた。
(でも、何も言ってくれないのはひどいじゃない)
「あの話の流れでは、イセリ様が興味を持っているものと思ったのですが」
これは少し逃げた言葉だった。キリクの内心はどうあれ、イセリが誰も身内のいないところで他人と過ごすなど、考えられなかった。
だが、この発言はイセリの収まっていないとげを、鋭くさせる効果しかなかった。
「あら、キリクは私がアリハルと仲良くやってくればいいと思っているのね。キリクがハリティア姫と仲良くしてくるように」
「そんなことは!それならハリティア様に明日のことをお断りいたしましょうか」
イセリは一瞬その考えがとても良いことに思えた。だがハリティアといい、アリハルといい、二人とも心の底から楽しみにしていたのが脳裏に浮かぶ。あの二人は囚われの身であるイセリとキリクをもてなすことに、なんの他意も無かった。
「そんなこと……出来ないわ」
しばし気まずい沈黙が流れる。
「キリクはなぜそこまで心配しているの?」
キリクの周りに漂っている色は、強い不安の色を示している。アリハルがイセリに危害を加えることが無いのは分かっていた。どちらかと言えば、好奇心の強そうなハリティアと何があるかの方が心配なはずだ。
「私は、私としては……家令として、目の届かない所にイセリ様がお一人で行かれるのは心配で」
「ええそうでしょう!家令としてでしょうね!私は子供じゃないんだからそんな心配なら無用です!」
イセリは勢い良く椅子から立ち上がると、そのまま上階の部屋に行き、扉を勢いよく閉める。
キリクは、何が良くなかったのかは分からなかったが、イセリの尻尾を踏んでしまったのだけは分かっていた。




