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五章 第一話

 翌日、イセリの部屋で朝食をとっている時でも、二人は眠そうにしていた。

 昨日はあの後部屋に帰ってきて言葉少なに夕食をとり、湯浴みも控えてそのまま寝てしまったのだ。そして朝起きると、キリクは全身に走るきしみと痛みが昨日の激闘を思い出させられていた。


「昨日はありがとうございました」


 食後にイセリには紅茶を、自分には濃いめに入れた珈琲を飲みながら、キリクが言う。


「私が出来ることをしただけよ」


 キリクが連れ出された後、用を頼もうとしたイセリはキリクがいないのに気がつき、ニタに確認をとって貰ったところイムニに連れ出された事がわかったのだ。そしてすぐにニタがムロギアにイセリが拝謁するために奔走し、さらにイムニがたまによからぬ遊びをしている事も示唆してくれたのだ。


「ニタにはお礼をしなければなりませんね」


 イセリが来るのが遅れていたら、キリクはここにいなかったかもしれないのだ。


「本当にね」


 キリクが死んでいたかもしれない、そのぞっとするような事実を流し込もうとするかのように、濃いめの紅茶を飲む。


 その後ニタに対するお礼を二人で考えたりしたが、なにも持っていない二人にとり出来ることは少ないと考え、イセリはペンを取ることにした。


 ニタが来てから渡そうかと思ったものの、お礼は速い方がいいと衛兵に直接ニタに会いたいとの意志を伝えると、ニタの待機している部屋へ案内してくれることになった。


 ニタの部屋へいく途中、偶然どこかへ向かっているニタに会うことが出来た。


「イセリ様がこれをニタ様にと」


 キリクの手に握られていたのは、キリクを助けるために行動してくれた事へのイセリからのお礼の手紙だった。


「私に、ですか?」


 戸惑うように受け取るニタ。


「キリクを助けるために素早く動いてくれたでしょう?本当にありがとう。どれだけ感謝の言葉を示しても足りないぐらいだわ。だけど今私はあなたの恩に報いる物を何も持っていないわ」


 少し悔しそうにうつむく。


「だから自分で言うのもなんだけど、なぜか私の手紙は喜んでもらえるらしいの。そして形として私があなたに感謝していることを示したかったの」


 こんな物で本当に申し訳ないんだけど、と消えそうな声で付け加える。


 ニタはまた少し不思議な顔をする。


「最初にあったときも思ったのですが、お二人はなぜ私にお礼を言うのですか?」


 今度はイセリが不思議な顔をする番だった。どう答えて良いかわからないと言うようにキリクに戸惑いの顔を見せる。


「イセリ様は心のこもった行動に対して、分け隔て無く誰に対しても平等にお礼を返されます」


 ニタがそれでも何か言い返そうと口を開きかける。


「誰に対しても、平等に、です」


 キリクがもう一度告げると、ニタは口を閉じ、人なつこい笑顔で答える。


「ありがとうございます。ダマスクの姫に手紙をいただいたと故郷の者が知れば、おそらく驚くとともにすぐには信じてもらえないでしょう。私の宝物にします」


「お礼をしてるのはこっちなのに」


 イセリが言うと、ニタは益々うれしそうに笑い、二人に辞去して仕事に戻っていった。


「喜んでもらえたらしいのは良かったのだけど」


 イセリがあまり納得していないようにキリクの方に向き直る。


「ニタにお礼を言うのが、そんなに変なことかしら?」


 メイドがお茶を運んだだけでもありがとうと言う、イセリらしい答えだ。


「ニタ様は南方の出だとおっしゃっていました。そして帝国だけでなく、教会圏の一部でもそうなのですが、南方の民族は迫害され、奴隷として連れてこられる事がとても多いのです」


「見た目だけで相手を決めつけるのは良くない、シリウス様もそうおっしゃっていたわ」


 イセリが話を遮るように言う。


「そうですね。私もそう思います」


 キリクはなぜか自分の事のようにイセリの言葉がうれしかった。


「さぁ手紙も渡せたし、戻るわよ」


 恥ずかしそうにキリクの視線から顔を逸らすように、くるっと回って先に歩き始める。


 部屋に戻ってくると、見知らぬ衛兵が直立不動の姿勢で扉の両側に立っているのが見えた。その制服に付けられた紋章で、ムロギアに縁のある者につき従っている衛兵だと見て取れる。


 キリクが扉を開け中を覗き込むと、ソファーに座った黒髪の女性が、入ってきたキリクとイセリを値踏みするように眺める。


「何かご用でしょうか、えー」


「ハリティア」


 キリクがなんと呼ぼうか悩んでいると、黒髪の女性が答える。


「ハリティア様。よろしければご来訪の理由などをお教え願いますでしょうか?」


 ハリティアは手に持った南国の鳥の羽で飾られた扇子をたたむと、椅子から立ち上がりキリクの前にたつ。


 女性にしては背が高い。それがキリクの最初の感想だった。キリクよりわずかに低いだけの身長に、腰まで伸びたシルクのようなまっすぐな黒髪。少しきつめだが美人と言って差し支えない顔。胸元の開いた全身黒のドレスに身を包んでおり、その豊満な胸とも相まって、こ惑的な魅力を放っている。


「ふむ。悪くはないが、少し頼りない印象じゃのう」


 その言葉にカチンと来たのは、キリクではなくイセリの方だった。


「う・ち・の・キリクに何か御用?ハリティア・ド・ムロギア様?」


 キリクの横に立ち、うちの、と言う部分を強調して言う。


「しかし、ザキリエフに勝ったと言うし、見かけと違って腕は立つようじゃな」


 まるでイセリの声など聞こえないかのように、ハリティアは手を伸ばしてキリクの肩や二の腕を触っている。


「勝手にキリクにさわるな!」


 キリクのベルトを掴み後ろに引っ張ると、立ちはだかるようにハリティアの前に立つ。だがどう見てもその身長差では壁になっていない。


「おや……イセリ姫じゃな?すまん視界に入らないから気がつかなんだ」


 広げた扇子で笑いを抑えるように口元を隠しながら言う。


「……何の用なの、ハリティア姫」


 イセリに仕えて一年と少し、キリクはこんな低い声を聞いたことがなかった。


「別にそちに用などない。わらわが用があるのはキリク殿じゃ」


 そしてイセリの頭越しにキリクの方へ視線を送る。


「わ、私に、ですか」


 二人のやりとりに少し気圧されて一歩下がっていたキリクが、自分の名が出てきたことにぎくりとする。


「そうじゃ。聞けばそのほう、あの剣の息子殿と聞くが、まことか」


 また値踏みをするような視線。キリクは自分が棚に陳列されている商品のような気分だった。


「は、はい、シリウスは私の父ですが……」


 キリクはそれが今さらどういう意味を持つかはかりかねていた。


「シリウス殿は敵ながらとても見事な将だったと、父が言っていたのを聞いたことがある。あの、ほとんど人を誉める事の無い父にそこまで言わせる人物。そしてその息子がザキリエフを打ち負かしたというではないか。興味を持って当然じゃろ?」


 さらにズイと一歩前に出ようとして何かにぶつかり、障害物でもあったかとでも言うように視線を下げると、キリクの前に立っているイセリと目が合う。


「私の頭越しに話を進めるな!」


「それは主人としてか?それとも身長のことか?」


「どっちもよ!!」


 キリクはここまで興奮しているイセリを見るのは2回目で、1回目は昨日の闘技場でのことだった。帝国での捕虜としての生活が、イセリに何らかの影響を与えているように感じられた。


「ならばイセリ姫に請おうかの。明日キリク殿をお借りしたいのじゃが、よろしいかの?」


 その表情には何の疑いもなく、ただ当たり前のことをお願いしているのが伺える。


「そ、それは、キリクが良いと言うなら……」


 イセリはこの直球な願いに、戸惑いを覚えていた。ハリティアからキリクへ好奇心を越えた感情がわずかに交じっているのが見て取れたのだ。


 答えを求めるようにイセリとハリティアの視線がキリクに向かう。


(正解は、正解はどこにあるのだろう)


 キリクの頭の中に色々な答えが浮かんでは消える。


「明日は少し用事がありますので申し訳ありませんが」


 消極的な後退戦を選んでみる。


「じゃぁ明後日ではどうじゃ」


 キリクの背後で扉が閉まる音が聞こえたような気がする。


「わかりました。ですが、いったいどのような御用でしょうか」


 後ろに道がなくなった以上、前に進むしかない。


「それは追って連絡させる。楽しみに待っておるとよいぞ?」


 ハリティアはまた扇子で口元の笑みを隠しながら、部屋から出ていった。


「そんな目で見ないでください。どう考えても断れる状況ではありませんでした」


 イセリがジト目でキリクを見ている。


「楽しみに、ですって」


「何があるかもわからないのに、楽しみも何もありません」


「きれいな人だったわね〜」


(よくない会話の流れだ)


 そう思いつつ、キリクは冷静に振る舞おうとする。


「そうですね。一時期婚約されたとの噂もあったようですが、ハリティア様がお断りになられたとか」


「胸も大きいし」


 その瞬間、開いた胸元から見える、ハリティアの艶めかしくも白い胸が頭に浮かぶ。


「キリクのエッチ!」怒ったように自室に向かい、扉を閉める瞬間に叫ぶように言葉を残していく。


「ち、違うんです、いや、違わないけど、違うんです!」


 何を言っているか自分でもわからなくなってきたキリクだった。




「何よ、キリクったら鼻の下のばしてデレデレしちゃって」


 実際に鼻の下は伸ばしていないし、デレデレもしてはいなかったのだが、最期の一瞬に見せた少しピンクの気配が気に入らなかったのだ。


「……ふぅ」


 ぼすっとベッドの枕に顔を埋める。


 本当はイセリにもわかっていた。キリクがとれる選択肢はとても少なく、その中からキリクが優先する物は、確実にイセリの利益に繋がるものであることを。


 それでも思わずにはいられなかったのだ。もしイセリの為となれば、ハリティアにその身を捧げてしまうのではないか、そもそも今の自分にはキリクの忠誠に報いる物など何もないではないか、と。


 思考が嫌な方へ落ちていくのが、分かっているのに止めることが出来ない。


 なぜシリウスとキリクは自分に仕えてくれているのか。ダマスクという国があればこそなのではないのか。


 そしてそんな考えが一瞬でも浮かぶ自分を嫌悪する。そんな物の為でないことは痛いほど分かっていた。キリクもその父シリウスも、イセリの目には眩しいほどにまっすぐな心を向けてくる。特にこちらに来てからのキリクは、昔と違って心がよく見えるようになっていた。イセリはその変化をとても好ましいものと思っている。


(最初にあったときは、感情を表に出さない面白味もない人だったのに)


 初めて会ったときのことを思い出す。国主代理としてダマスクにやってきたシリウスと共に、イセリの元にやってきたのだ。


(イセリ様、あなたの初めての家来であり、あなたの手足となる者です。何なりとご命令ください)


 そう紹介されたキリクは、無表情で何の感情も見せないままイセリに臣下の礼を取ったのだ。家来と言っても何を頼めばいいのかと思っていたのだが、後に家令件家庭教師だと知らされたときは、少しげんなりしたのだが。


 今にして思えば、キリクは極端に感情を押さえて生活していたのだと分かる。


 そしてあの闘技場の件。ドス黒いあふれ出す感情。


(あれは良くないものだわ。それもかなり)


 キリクに叫ぶように話しかけているところを思い出す。いつものキリク自身の纏っている光は小さくなり、別の人間が乗り移ったようなそんな風にも見えた。


(いずれ戻ったときにでも、シリウスおじさまに相談してみないと。……戻れたら、だけど)

 

 不吉な思いをかき消すように枕の下に頭を潜り込ませる。


(戻るわ、絶対。二人で)

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