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瑠璃窓の宝石商  作者: 秀人


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13/23

第七話 鳴海硝子の最後の鑑定(前編)

元宝石詐欺師の宝石商が、偽物に隠された真実を鑑る。


第七話「鳴海硝子の最後の鑑定」前編です。

舞台は、十年前に青の王冠が消えた鳴海邸へ。


死んだことになっていた鳴海硝子が語るのは、青の王冠の本当の意味と、白河周吾が辿り着けなかった真実です。

鳴海邸は、山手の坂の一番奥にあった。


古い洋館だった。


白い外壁は夜の中で淡く浮かび、蔦の絡んだ窓枠には長い時間の影が残っている。

門の鉄柵は黒く、ところどころ錆びていた。

かつては多くの人間が出入りしていたはずの庭も、今は静かすぎるほど静かだった。


十年前、青の王冠が消えた夜。


玲央はこの屋敷の中にいた。


正確には、いたと思っていた。


当時の記憶は、ところどころ霞んでいる。


雨。

青い石。

白河の声。

兄の怒った顔。

鳴海家の人々の沈黙。

割れたルーペ。


そして、自分の声。


これは偽物です。


その言葉が、十年経っても消えない。


瑠璃窓から鳴海邸へ向かう車の中で、誰もほとんど話さなかった。


運転席には灰原律。

助手席には玲央。

後部座席には水城怜一。


白河周吾は別車両で、警察の監視下に置かれている。

彼は驚くほど素直だった。

手錠をかけられても、抵抗しなかった。


まるで、それすら物語の一部だと言わんばかりに。


律は鳴海邸の門の前で車を停めた。


「ここですね」


「はい」


玲央は窓の外を見た。


門の奥、洋館の二階に一つだけ灯りがついている。


十年前と同じ場所。


玲央の喉が、少しだけ乾いた。


怜一が後部座席から言った。


「怖いか」


玲央は少し考えた。


「怖いです」


「そうか」


「兄さんは?」


「怖くない」


怜一は静かに言った。


「もう十年、怖がった」


玲央は振り返らなかった。


その言葉だけで、充分だった。


律が車を降りる。


「周囲は警察が確認しています。鳴海邸の敷地内には、現在、鳴海硝子本人と思われる人物と、管理人一名がいるとのことです」


「本人と思われる」


玲央が繰り返す。


「ええ。正式には死亡扱いですから」


「死んでいる人に会いに行くわけですね」


律は玲央を見る。


「あなたの周りでは、最近よくあることです」


「否定できません」


三人は門をくぐった。


庭の石畳は、夜露で湿っていた。

両側には、手入れされすぎていない薔薇の木が並んでいる。

花はほとんど咲いていない。

ただ、枯れかけた枝の先に、赤黒い蕾がいくつか残っていた。


玄関の扉の前で、律が呼び鈴を押す。


しばらくして、扉が開いた。


現れたのは、年配の女性だった。


黒いワンピースに、白いカーディガン。

髪は銀色に近く、後ろでゆるくまとめている。

顔立ちは穏やかだが、目には強い光があった。


玲央は、息を呑んだ。


十年前の写真。

港の見える丘公園の温室跡で見つけた、あの写真。


白いワンピースで風に髪を揺らしていた若い女性。


その面影が、目の前の女性には確かにあった。


鳴海硝子。


死んだことになっていた女。


青の王冠を持って逃げたと手紙に記した人物。


彼女は玲央を見ると、静かに微笑んだ。


「お待ちしていました」


その声は、思っていたよりも柔らかかった。


怜一を見ると、さらに少しだけ目を細めた。


「怜一さんも」


「久しぶりです」


怜一の声は硬い。


硝子は頷いた。


「あなたには、ずっと謝らなければならないと思っていました」


「謝る必要はありません」


「いいえ。あります」


硝子はそれ以上言わず、律を見た。


「灰原刑事ですね」


「はい。神奈川県警の灰原です。あなたには確認したいことが多くあります」


「でしょうね」


「あなたは戸籍上、死亡しています」


「知っています」


「その状態で十年間、ここに?」


「いいえ。ここへ戻ったのは最近です」


「どこにいたんですか」


硝子は少しだけ微笑んだ。


「その話は、中で」


彼女は扉を開いた。


鳴海邸の中は、古い木と紙の匂いがした。


玄関ホールには、大きなシャンデリアがある。

だが灯りは落とされ、壁の小さなランプだけが淡く光っていた。

階段の手すりは磨かれているが、使われていない部屋も多いのだろう。奥へ続く廊下には、静かな埃の気配があった。


硝子は三人を応接室へ案内した。


そこには、丸いテーブルがあり、その上に古い布がかけられていた。


黒い布。


瑠璃窓で玲央が使う鑑定布と、よく似ていた。


硝子はその布の前に立つ。


「王冠は?」


律が問う。


「こちらです」


硝子は、部屋の奥に置かれた小さな金庫を開けた。


中から取り出したのは、空の王冠ケースだった。


玲央が眉を寄せる。


「空?」


「ええ」


硝子はケースをテーブルに置いた。


「あなた方が持っている青の王冠は、王冠ではありません」


その一言で、部屋の空気が変わった。


律が目を鋭くする。


「どういう意味ですか」


「そのままの意味です」


硝子は静かに言った。


「瑠璃窓に戻ったものは、王冠の形をした記録装置です。けれど、鳴海家に伝わっていた本来の青の王冠ではありません」


玲央は黙った。


中心のサファイア。

周囲の石。

反射板。

空白。

隠された地図。


それだけのものが偽物だとは思えない。


だが、硝子は「王冠ではない」と言った。


本物ではない、ではない。


王冠ではない。


言葉が違う。


「では、あれは何ですか」


玲央が尋ねた。


硝子は玲央を見た。


「鍵です」


「鍵」


「本物の王冠へ辿り着くための」


律が言う。


「本物の青の王冠は、今どこにあるんですか」


「この屋敷の中にあります」


玲央の胸が静かに鳴った。


本物の王冠。


十年前から、ここに。


「盗まれたのではなかった」


怜一が言った。


硝子は首を振る。


「盗まれたことにしました」


「なぜ」


「守るためです」


その言葉は、これまで何度も聞いた。


椎名誠司も言った。

三鷹正臣も言った。

榊未来の録音にも、その気配があった。


守るため。


だが、そのたびに誰かが傷ついている。


玲央は静かに言った。


「何を守ったのですか」


硝子は答えた。


「名前です」


「名前は石ではない」


玲央が言うと、硝子の目が揺れた。


「読みましたか」


「はい」


「なら、少しは近づいているのですね」


「まだ、遠い気がします」


硝子は小さく頷いた。


「正しい感覚です」


律が低く言う。


「説明してください。青の王冠は何を隠していたんですか」


硝子は椅子に座った。


玲央たちにも座るように促す。


「鳴海家は、長く宝飾品の輸入に関わってきました。表向きは美術品の収集家。けれど、戦後から高度成長期にかけて、家の中には表に出せない取引がいくつもありました」


「密輸ですか」


律が問う。


「密輸、資産隠し、名義貸し、保険を使った偽装取引。どれも、古い時代には珍しくなかったと言えば、逃げになるでしょうね」


硝子は自分の手を見る。


「青の王冠は、その取引の記録を隠すために作られました」


「王冠そのものが暗号」


玲央が言う。


「ええ。ただし、最初は罪を隠すためではありません」


「では、何のために?」


「忘れないためです」


玲央は黙った。


硝子は続ける。


「関わった者の名前を、石に置き換えたのではありません。取引の流れを、石の配置に置き換えた。誰が買い、誰が運び、誰が鑑定し、誰が保険をかけ、誰が保管したか。王冠を見れば、その構造がわかるようになっていました」


律が眉を寄せる。


「なぜそんなものを作ったんです」


「鳴海家の当主が、いつか清算するために残したのだと思います」


「清算?」


「罪を隠す人間ばかりではありません。隠しながら、いつか明かす機会を待つ人間もいます」


「都合がよすぎる話です」


律の声は冷たかった。


硝子は頷いた。


「その通りです。だから、機会は来ませんでした」


部屋に沈黙が落ちた。


硝子は玲央を見た。


「そして白河周吾が現れた」


玲央は静かに息を吸った。


「白河さんは、その王冠の仕組みに気づいた」


「ええ」


「そして、罪を清算するための記録を、罪を隠すために使った」


硝子は頷いた。


「彼は、王冠を物語に変えました。盗まれた宝物。消えた青。偽物の証言。死んだことになった人間たち」


怜一が低く言う。


「あなたは、それを止めようとした」


「止めようとしました。でも、遅かった」


硝子は怜一を見る。


「あなたを巻き込みました」


「自分で首を突っ込んだだけです」


「いいえ。私が助けを求めた」


怜一は黙った。


玲央は兄を見た。


十年前、兄は何を見ていたのか。


白河の裏側だけではない。

鳴海硝子の側も見ていたのだ。


玲央だけが、中心の青を見ていた。


硝子は玲央に視線を戻した。


「あなたにも、謝らなければなりません」


「私に?」


「あなたの証言が使われることを、私は止められませんでした」


玲央は首を振った。


「私が間違えたのです」


「間違えさせられた」


「それでも、見たのは私です」


硝子は少しだけ目を伏せた。


「三鷹さんらしい言葉を、誰かがあなたに伝えたのですね」


「同じにして逃げるな、と言われました」


硝子は小さく笑った。


「正臣さんらしい」


その笑みには、懐かしさと痛みが混じっていた。


律が問う。


「鳴海さん。あなたは十年前、なぜ死んだことになったんですか」


硝子は答えた。


「白河に殺されると思ったからです」


部屋の空気が冷える。


「でも、白河さんは殺さなかった」


玲央が言う。


「そうです。彼は、私を殺すよりも、消えた女にしたかった」


「なぜ」


「そのほうが、物語として美しいから」


硝子の声は静かだった。


「そして、私もそれを利用しました」


律が顔を険しくする。


「利用した?」


「死んだことになれば、動けると思ったのです。誰にも見つからず、本物の王冠を守り、白河の仕掛けを逆に辿れると」


「結果は?」


硝子はしばらく黙った。


「私は十年かけて、何も終わらせられなかった」


その言葉は、柔らかい声で言われたのに重かった。


怜一が言う。


「それでも、手がかりは残した」


「残すことしかできませんでした」


「十分だ」


怜一の声は硬いが、そこには確かに温度があった。


玲央は二人を見て、少しだけ理解した。


兄と硝子は、十年前から同じ側にいた。


白河を止めようとした側に。


そして、自分はその外にいた。


いや、白河に近い側にいた。


知らずに。


見ようとせずに。


硝子は立ち上がった。


「本物の青の王冠をお見せします」


律が反応する。


「今ここに?」


「はい」


硝子は応接室の壁にかかった古い絵の前へ行った。


絵には、夜の港が描かれている。


暗い海。

遠くの灯り。

そして、空に浮かぶ細い月。


硝子は絵の額縁に触れた。


隠し留め具が外れる。


絵の裏から、小さな金庫の扉が現れた。


律が息を呑む。


「こんな場所に」


硝子は鍵を取り出した。


その鍵は、古い指輪の形をしていた。

小さなサファイアが一つ留まっている。


彼女はそれを鍵穴に差し込む。


金庫が開いた。


中には、青い布に包まれたものがあった。


硝子はそれを両手で取り出し、テーブルの黒い布の上に置いた。


ゆっくりと布を解く。


そこに現れたのは、王冠だった。


瑠璃窓に戻ってきたものよりも、ずっと控えめだった。


中心のサファイアは大きすぎない。

銀の細工も華美ではない。

周囲の石も、必要以上に主張していない。


だが、玲央は見た瞬間にわかった。


こちらが本物だ。


派手さではない。

古さでもない。

宝石の価格でもない。


配置の自然さ。


石と金属の呼吸。


長く一つの形として存在してきたものだけが持つ、静かな整合性。


玲央は、思わず息を吐いた。


「これが……」


「本物の青の王冠です」


硝子が言った。


律も言葉を失っている。


怜一だけは、目を伏せた。


「久しぶりだな」


硝子は、王冠を玲央の前へそっと押し出した。


「水城玲央さん」


「はい」


「これを鑑定してください」


玲央は王冠を見た。


十年前の自分なら、きっと怖くて見られなかった。


今でも怖い。


けれど、逃げたいとは思わなかった。


「わかりました」


玲央は白い手袋をはめた。


「ただし、ひとつ条件があります」


硝子が首を傾げる。


「条件?」


「私は、ひとりでは鑑定しません」


玲央は律を見る。

次に、怜一を見る。

そして硝子を見る。


「灰原さん、兄、鳴海さん。全員の前で見ます」


律が頷いた。


怜一も何も言わず、王冠の横に立った。


硝子は静かに微笑んだ。


「それでこそ、最後の鑑定にふさわしい」


玲央は、王冠に向き直った。


本物の青の王冠。


十年前に消えたのではなく、隠されたもの。

盗まれたのではなく、守られたもの。

そして、白河の物語に利用されたもの。


玲央は、中心のサファイアを見た。


瑠璃窓に戻った鍵の王冠とは違う。


こちらの青は、静かだった。


人の目を奪うための青ではない。


そこにあるだけで、十分な青。


玲央はルーペを目に当てた。


サファイアの内部に、自然な内包物が見える。

色帯もある。

古いカットのわずかな歪み。

長年の使用による石座の摩耗。


本物。


だが、問題はそこではない。


玲央は中心から目を離した。


相良怜司の言葉を思い出す。


空いている場所を見ろ。


本物の王冠にも、空白があった。


目立たない。

けれど確かに。


王冠の内側、額に当たる部分。


瑠璃窓に戻った鍵の王冠と同じ位置に、薄い板がある。


玲央は硝子を見る。


「開けても?」


「そのために、お呼びしました」


玲央は慎重に工具を入れた。


板は、驚くほど滑らかに外れた。


中には、細い紙片が入っていた。


古い和紙のような紙。


玲央はそれを広げた。


そこには、名前ではなく、文章が書かれていた。


『王冠は罪を隠すためではなく、返すためにある。』


律が小さく読む。


「返すため……」


玲央は続きを見た。


『石は名前ではない。

石は役割でもない。

石は、預かったものの重さを忘れないためにある。


この王冠を見た者は、価値ではなく、返すべきものを見よ。』


硝子が目を閉じた。


「鳴海家の先代の言葉です」


「先代?」


「私の祖父です」


彼女は静かに言った。


「祖父は、鳴海家が抱えた罪をいつか返すために、この王冠を残しました」


「返すとは、誰に?」


律が問う。


硝子は答えた。


「名前を奪われた人たちに」


玲央は紙片を見つめた。


名前を奪われた人たち。


榊未来。

水城怜一。

鳴海硝子。


死んだことにされた人たち。


あるいは、宝石の取引の裏で消された人たち。


「白河さんは、この言葉を知っていたのですか」


硝子は首を振る。


「おそらく、知らなかった」


「だから、鍵の王冠を作った」


「ええ。白河は王冠の仕組みには気づいた。でも本物の王冠には辿り着けなかった。だから、彼は自分の王冠を作った」


「物語としての王冠」


「そうです」


硝子は玲央を見る。


「あなたが偽物だと言ったのは、白河が作った鍵の王冠です」


玲央は息を止めた。


「では、私の証言は……」


「半分は正しかった」


硝子は言った。


「あなたが見た王冠は、本物の王冠ではありませんでした」


玲央は言葉を失った。


十年前の証言。


これは偽物です。


それは、完全な誤りではなかった。


だが、正しくもなかった。


あれは偽物ではなく、鍵だった。


本物に辿り着くための、白河が作った偽の王冠。


そしてその証言は、白河の物語に利用された。


半分正しく、半分間違っていた。


それが一番残酷だった。


律が静かに言った。


「割れていたのは、証言ですね」


玲央は頷いた。


「はい」


怜一が言う。


「でも、割れたままではない」


玲央は兄を見る。


怜一は続けた。


「今、つなげればいい」


玲央は、紙片を黒い布の上に置いた。


「はい」


硝子は、王冠の横にもう一つの封筒を置いた。


「これが、返すべきものの記録です」


律が反応する。


「中身は?」


「鳴海家が関わった取引の名簿。資産の移動記録。保険契約。白河周吾、灰崎透、片桐修一、久世澪子。そのほか、表に出なかった名前もあります」


「証拠ですね」


「はい」


律は封筒を慎重に受け取った。


「正式に確認します」


硝子は頷いた。


「お願いします」


そのとき、屋敷の外で車の音がした。


律が即座に顔を上げる。


「誰か来ます」


怜一が窓へ向かう。


外の門の前に、一台の黒い車が停まっていた。


降りてきたのは、白河周吾だった。


手錠はない。


律の顔色が変わる。


「なぜ……」


すぐに無線が鳴った。


白河を乗せた警察車両が、移送中に事故を起こしたという。

怪我人は軽傷。

白河の姿だけが消えた。


そして今、彼は鳴海邸に来ている。


律が低く言う。


「逃走中の容疑者です。確保します」


怜一が窓から離れた。


「いや」


「何です」


「白河は逃げに来たんじゃない」


玲央は、黒い車から降りた白河を見ていた。


白河は洋館を見上げている。


その顔には、いつもの余裕があった。


だが、それだけではない。


彼もまた、この場所に辿り着きたかったのだ。


「見に来たんです」


玲央は言った。


律が問う。


「何を」


玲央は本物の青の王冠を見た。


「自分が辿り着けなかった真実を」


玄関の呼び鈴が鳴った。


硝子は静かに目を閉じた。


「入れてください」


律が驚く。


「危険です」


「わかっています」


「なら」


硝子は目を開けた。


「この人が作った物語を、ここで終わらせる必要があります」


怜一は扉へ向かった。


玲央も立ち上がる。


律は拳を握り、それから無線で外の警官に指示を出した。


突入準備。

ただし、合図まで待機。


玄関の扉が開く音がした。


白河周吾が、鳴海邸の中へ入ってくる。


足音が近づく。


玲央は、黒い布の上の王冠を見た。


本物の青の王冠。


静かな青。


白河の物語ではない、鳴海硝子の真実が宿った王冠。


やがて応接室の扉が開いた。


白河は、部屋の中を見回した。


硝子。

怜一。

律。

玲央。

そして、本物の青の王冠。


白河の笑みが、初めて完全に消えた。


「見つけたのか」


硝子が言った。


「あなたより先に」


白河は、ゆっくりと王冠に近づいた。


律が遮る。


「そこまでです」


白河は止まった。


王冠を見つめる目は、欲望というより、憧れに近かった。


「美しい」


白河が呟いた。


硝子は言った。


「これは、あなたのものではありません」


「知っている」


「なら、なぜ追ったのですか」


白河は王冠を見つめたまま答えた。


「本物を見たかった」


その言葉に、玲央は胸の奥が冷えるのを感じた。


白河周吾。


偽物に物語を与えた男。

人を死んだことにした男。

証言を割った男。

名前を操った男。


その根にあったのは、金だけではなかった。


本物を見たい。


ただ、その欲望が歪んでいた。


本物を見たいがために、偽物を作った。

本物に触れたいがために、人の人生を物語に変えた。

本物を手に入れられないなら、世界のほうを偽物にした。


玲央は、白河を見た。


「あなたは、本物が好きだったんですね」


白河の視線が玲央へ向く。


「もちろん」


「だから偽物を作った」


「偽物は、本物への敬意だよ」


「違います」


玲央は静かに言った。


「偽物は、本物を奪った人間の言い訳です」


白河は黙った。


その沈黙は短かった。


だが、深かった。


玲央は続けた。


「あなたは、本物を見たかった。でも本物に拒まれた。だから、自分で物語を作った。人を配置し、証言を曲げ、死を演出し、王冠を作った」


白河の目が細くなる。


「ずいぶん言うようになった」


「あなたに教わりました」


「なら、私の弟子だ」


「いいえ」


玲央は首を振った。


「私は証人です」


その言葉に、白河の表情がわずかに動いた。


玲央は黒い布の上の紙片を示した。


「本物の王冠の中に、鳴海家の先代の記録がありました。王冠は、罪を返すためにある。あなたはそれを知らなかった」


白河は王冠を見つめる。


「知らなかった」


その声には、初めて悔しさがあった。


「私は、そこへ辿り着けなかった」


硝子が言った。


「だから、あなたは負けたのです」


白河は彼女を見た。


「そうだね」


あまりにも素直な返事だった。


律は警戒を緩めない。


白河は続けた。


「だが、負けた物語にも美しさはある」


「まだ物語にするんですか」


玲央が言う。


「するさ」


白河は微笑んだ。


「人は、物語にしなければ罪を見られない」


「違います」


玲央は王冠を見た。


「罪は、物語にしなくても残ります。名前に。記録に。証言に。そして、返すべきものの中に」


白河は静かに目を細めた。


「なら、返してみるといい」


「返します」


律が一歩前に出た。


「白河周吾。あなたを確保します」


白河は抵抗しなかった。


両手を差し出す。


手錠がかけられる。


金属音が、鳴海邸の応接室に響いた。


白河は玲央を見た。


「最後に、ひとつだけ聞かせてほしい」


玲央は黙って待った。


「君は、あの夜の自分を許せるかい」


玲央はすぐには答えなかった。


あの夜の自分。


中心の青だけを見ていた自分。

兄を疑った自分。

白河を信じた自分。

偽物だと証言した自分。


許せるか。


たぶん、まだ無理だ。


玲央は静かに言った。


「許すために、鑑定するわけではありません」


白河が少しだけ笑った。


「では、何のために?」


「返すためです」


硝子が目を伏せた。


怜一が何も言わず、玲央を見ていた。


律もまた、黙っていた。


白河はしばらく玲央を見つめた。


そして、小さく言った。


「それは、私にはできなかったことだ」


その言葉が本心だったのか、それとも最後の演出だったのか。


玲央には、まだわからない。


だが、もうそれを急いで決める必要はないと思った。


白河は連れていかれた。


応接室に残ったのは、青の王冠と、静かな夜だけだった。


硝子は、王冠をそっと見つめた。


「ようやく、返せます」


「はい」


玲央は頷いた。


律は証拠品として封筒と王冠の扱いを確認している。


怜一は窓の外を見ていた。


玲央は、兄の隣に立つ。


「兄さん」


「何だ」


「これから、どうするんですか」


怜一は外を見たまま答えた。


「生きていることにする」


玲央は少しだけ笑った。


「それは、いいですね」


「簡単じゃない」


「でしょうね」


「お前は?」


玲央は、本物の青の王冠を見た。


「店に戻ります」


「白河に用意された店に?」


玲央は頷いた。


「はい」


怜一が玲央を見る。


「いいのか」


「瑠璃窓が何のために用意された場所でも、今は私の店です」


玲央は静かに言った。


「これからは、隠すためではなく、返すための場所にします」


怜一はしばらく黙っていた。


そして、短く言った。


「そうか」


その声には、少しだけ安堵があった。


夜が深くなっていく。


鳴海邸の窓の外には、横浜の灯りが見えた。


十年前と同じ街。


けれど、同じ夜ではない。


青の王冠は、黒い布の上で静かに光っていた。


中心の青は、もう玲央を責めていなかった。


ただ、そこにあった。


本物として。

罪の器として。

そして、返すべきものを示す証として。


玲央は、その青をもう一度見た。


今度は、目を逸らさなかった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。


本物の青の王冠が、ついに姿を現しました。

王冠は罪を隠すためではなく、返すためにあった。


次回、この事件の後始末と、瑠璃窓がこれからどんな場所になるのかを描いていきます。

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