初夏の迷路-4
元々、晴が男の子であるかのように生活しているのはクラス内でも暗黙の了解のになっていた。
制服のスカートは履かず、学校には体操服のハーフパンツで着ていたし、遊ぶのも専ら男子と。
給食後の休み時間には校庭へ真っ先にダッシュしてサッカーに興じ、夜子たちは女子トイレで鉢合わせをしたこともない。
何か事情があってのことだ、と薄々クラスメイト達は勘付いている様子だったが、意地悪な女子達も晴については確定的情報を持っていないらしく、その話題について避けている空気もあった。
しかし今回の水着の件で彼女が本気で性別を越えようとしたことを、皆は目の当たりにしたのだ。
「先生の前でも、あんな風に出来るのって、すごいね。」
夜子は素直な気持ちで晴を賞賛する。
好奇心のみで言っているわけではない、その気持ちを晴も汲んだのだろう、伸びた前髪を弄りながら答えた。
「だって、女の子って弱いでしょ。」
その言葉を聞いて、夜子はふいに、何時ぞやの放課後を思い出す。
授業終わりのホームルームで担任の先生が、この後女子だけ視聴覚室に集まってくださいと告げ、始まった学習のことを。
その際、女子は確かに面倒くさくて不便で大変だ、と落胆したのだ。
「そうだね、わたしもそう思う、けど……」
だからって、男子になろうとしてなれるものだとは想えなかった。
もう五年生なんだから、そのくらい解る。
晴は問題児だが、成績が良い秀才として教師から一目置かれているし、性別を変えるなんて不可能なことぐらい解りそうなのに。
――そういえば、晴はあの視聴覚室での話し合いにきちんと参加していたのだろうか。
夜子は混乱しながら考えていたが、今やもう思い出せない。
「弱いだけじゃないじゃん、稼業を継ぐとか、子孫を残すとか、女の子ってそういう、日本の現代社会制度の点においても不利なことばっかりだし。」
ゲンダイシャカイ、セイド――誰かの受け売りだろうか?難しい単語を発する晴に夜子は、益々意味が飲み込めず、気の利いたことが言えない自分に少し落ち込んだ。
「そうなの?」
「そうだよ、男の子の方がぜーーーーったい良いよね。
僕は、男がよかったって…大母様も、何時も愚痴ってるもん。」
一方的に言いながら、途中で何か思い出したのか悲しそうに語尾が消えゆく晴の言葉を夜子は理解しようと必死で頭を回転させる。
そして、晴の実家が数百年以上続く老舗和菓子屋だったことを記憶の底から蘇らせた。
「じゃあ、悩むよね。」
夜子は何とかその言葉だけを口にした。
正直、晴の言っている話の内容を半分も把握していないと自覚しながら、普段快活な人物が初めて見せる落ち込んだ様子には胸を締め付けられるものがあり、励ます方法がないかと諮詢する。
「あ、そうだ」
そして夜子は閃いた。
自分の通学カバンにくっついている二体のマスコットキャラクターの内、ひとつをチェーンから外して、項垂れる晴へ指し出す。
「これ、あげる。」
言葉は不器用だから何か贈り物をして元気になってもらう、それしか思い当たる慰めの方法がない夜子は、先日新宿で母に買ってもらったキャラクターグッズを渡したのだった。
「これって…女の子のでしょ。」
晴が言うと、夜子はにっこり笑って答えた。
「違うよ、これは男の子だよ。……ほら、美野和さんみたいに男の子の服、着てるでしょ」
確かによく見れば、ズボンらしきものを履いている青い髪の小さな人形を晴は不思議そうに見ている。
「これ知らないの?双子でね、私の持ってる方が女の子なの。ほら、こっちはスカート、可愛いでしょ。」
夜子はこれが証拠だと言うように自分の鞄に下がっているもう一体の人形を見せた。
長いピンクの髪の毛をしたそれは、確かに女の子としか言えない風貌で。
「うふふ、触ってみて。すっごく気持ちいいんだよ。」
夜子は自分の持っている人形の、ピンクの髪の毛を柔らかく撫でながら言った。
「……ほんとだ。」
晴もつられて手の中のものをゆっくり握った。
「ちょっと元気出た?」
やや身長の低い夜子が下から覗き込むように自分の表情を確かめているのに気付いた晴は、顔を赤くして背けた。
「うん。」
「それ、あげるね。」
夜子がもう一度言い、晴は「でも、これって二つで一個なんじゃないの」と眉を潜めた。
「うーん…別にいいんだけど…」
言いながら、夜子は晴の曖昧な表情に気付く。もしかしたら大きなお世話だったのかもしれないということに。
要らぬものを押し付けてしまったのではないかとか、盛り上がっていたのは自分だけだったのではないか。
クラスで皆から嫌われている自分から貰ったものなど嬉しくないのかも知れない、ということに。
「あ、でも、要らないんだったら無理に…」
そこで夜子は自分の非礼を詫びるつもりで言葉をつづけたが、晴は大きな声で「いる!!!」と叫んだ。




