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兄・その一

 兄の専門は、言語学であり文献学であり、そして古代史研究だった。

 以前は法学を志していたのだが、関心は徐々に国語と文学の歴史的発展へと移っていく。挙句、古い文献の研究に生涯を捧げる所存を、当時の恩師に書簡で打ち明けるに至ったのだ。

 斯くの如き経緯もあって、目下、弟と共同で取り組んでいる畢生の事業、《昔話収集》にも、学問的性格を求めるのは当然だと云えた。当該活動は兄にとって、文献学研究に他ならない。

 その点、兄弟の立場や考え方に画然たる隔たりがあったのは、否めないところであろう。

 兄弟の手掛けるのは昔話の収集であり、創作ではない。従って、二人の編纂する童話集には、従来のそれらとは異なり、各話とも可能な限り原話の儘の形で収録される――というのが建前だった。しかし実際には、弟の手によって、内的及び外的描写、登場人物の台詞などが適宜、書き足され、猥褻な、あるいは尾籠な記述が削られるなど、大幅な加筆修正がなされていた。

 では、弟の加筆作業に兄が断固反対だったかというと、必ずしもそうではない。寧ろ、考え方の違いはあれ、一定以上の理解を示していた。主な購買層たる都市部の富裕層に配慮し、学問的資料でなく、児童書という位置付けにしたい版元の意向を反映させるなら、生々しく刺々しく、時として毒々しい採取した儘の原話は、どうしても修正の対象になる。そんな中、原話の繊細な持ち味を損ねず、版元の要求に卒なく応える弟に、兄は心から敬意を払っていた。

 しかし――と、兄は思う――、今回、採取してきた一連の物語は、出来ればこの儘、無修正で新版に収録したい。不適切な箇所は多々あろう。有り体に云うなら、これまで扱った中で図抜けて不謹慎で、不穏当で、不道徳な連話ではなかろうか。それでも兄が、無修正での収録に拘泥するのは、これらの説話に物語の未来が懸かっている、と云っても過言ではないからだ。

 取材源である、あのご婦人は明言した。ここから、無数の物語が生まれますから――と。

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