第九十二話 調査初日
翌朝、朝食を摂った四人は、前日の相談通り二組に分かれて行動することになった。
アーヴとリネットの二人は、街の西側にある領軍の駐屯地の入口前にいた。
普段見掛けない男女の姿に、入口の左右に一人ずつ立っている警備兵の視線が刺さる。
「あ、アーヴさん、これからどうするんですか?」
「どうするって……とりあえず最近王都に上げた報告書の内容を再確認だよ。別に秘密を探ろうとか、そういうことまで考えなくていい。報告書の内容で気になるところがあんなら、そこをちょっと聞くとか、そんなもんだ。」
「え? そうなんですか? おかしな話があれば突っ込んで聞いたりとか……」
「あー、いらんいらん。そういうのはあんまり気にすんな。確認しておきたい話だけ聞く感じでいい。確認した情報をどう考えるかは、後でルカたちが集めた情報と突き合わせてから判断する。」
「その結果でもっと確認が必要ってなったら、明日もう一回、ですか?」
「ま、そういうこったな。さ、行くぞー。」
「わわっ! ちょっと待ってくださ~い!」
警備兵の鋭い視線を気にも止めず、どんどん進んでいくアーヴに、リネットが慌てて追いすがる。
「朝からわりぃんだけどよ、ちょっといいか?」
「何用だ? ここはセルドリアン伯爵領軍の駐屯地だぞ。一介の傭兵に用などないだろう。」
立哨の兵士の表情は堅い。
職務に忠実なのもあるだろうが、アーヴに対する警戒を解こうとはしなかった。
まぁここで軽く距離を詰めてしまえるようでは、領軍の質も知れてしまうのだが。
「いや、騎士団からの依頼なんだ。最近、あんたらのとこから王都に報告した内容なんだけどよ、再確認するって話になったらしくて、後ろの護衛騎士様が派遣されることに決まってな。つーわけで、俺は王都からの付き添い。ほら、依頼書だ。」
「ほぅ……」
アーヴが懐から一枚の紙を取り出して警備兵に見せる。
紙にはセオの名前でリネットの任務を支援するようにと書かれていた。もちろん支援は今回の調査任務のことだが、一見そうとは分からないように書かれている。
「(まぁこういう使い方があり得ると考えてたんだろうな……隊長さん……いや、あの侍女の入れ知恵か。)」
リィゼのような王族や、他の高位貴族が絡むような依頼となれば、依頼を請けた傭兵からはもちろんのこと、依頼書の文章自体から情報が漏れる可能性を考えて"書き方をいじる"ことはある。それに加えて今回の書き方は、明らかに「リネットの立場を上手く使え」と言わんばかりの書き方だった。
「なるほどな……」
依頼書を見た立哨の兵士は、視線をチラリとアーヴの後ろに立っているリネットに向ける。
「あ、えっと……ヴェールスフィア王国軍、護衛騎士団所属のリネットです。先ほど彼が言った通り、直近の報告書の内容についてお話を聞かせていただきたくて……」
リネットは自分の首元に手を入れ、シャツの中に隠れていた金属製のタグを引っ張り出すと、警備兵に見えるようにかざしながら名乗った。
一見アーヴやルカも持っている傭兵タグに似ているが、リネットのそれには護衛騎士団を示す刻印がある。
軍関係者や役人の目には、彼女が護衛騎士団の所属である証明になるのだろう。
「……承知しました。報告書のことなら管理官殿と話すのがいいでしょう。確認して参りますので、しばしここでお待ちを。」
警備兵は少し目を細めてタグを見やると、本物であるとわかったようで、少し態度を軟化させた。
だが、どこか複雑そうな表情を浮かべると、二人にその場で待つようにと言葉を残し、もう一人の警備兵に目配せをして駐屯地内へと消えていった。
「(どう見ても自分より年下の女だってのに、相手の階級の方が上だもんなぁ……いやはや世知辛いねぇ……)」
組織にいる以上、身分や階級の上下というものは避けられないし、理解もするが、感情がついてくるかというと別問題だ。
警備兵の内心を思ってアーヴは小さくため息をついた。
「あの……私、言い方まずかったですかね……」
「いいや。でもまぁ、あんまり下手に出るのは良くねぇな。あのノアって兄ちゃんみたいにはっきりと手短に、が理想だろうよ。」
「ほあぁ……アーヴさん、いろいろご存知なんですね。」
「……まぁ、それなりに年食ってるからな……」
素直に感心して見せるリネットの視線を避けるように、アーヴは苦笑いしつつ顔を背けた。
アーヴ自身、これまでの経験上、年下に顎先で使われることもあれば、年上に指示を出さねばならなかったこともあったのだ。どちらも決して気持ちの良いものではないが、組織、ましてや戦いに身を置く可能性のある集団の中では、感情など二の次にせざるを得ない。
そうしてしばらく待っていると、先程の警備兵が戻り、すぐに二人を管理官のいる執務室へと案内してくれたのだった。
一方その頃、ルカとエリナは港に足を運んでいた。
「うわぁ……」
桟橋の向こう側、見渡す限りに広がる海を前に、エリナは言葉を失っていた。
どこまでも遠くまで広がるコバルトブルーの世界と、繰り返し寄せては返す波の音。そして鼻腔をくすぐる磯の匂い。
山の麓にある村で育ったエリナにとって、人生で初めて見る大海は、想像を大きく超える壮大さだった。
「週末教室とか旅人さんの話で聞いてはいたけど、実際見ると大違いだね……」
「そうだな……」
エリナがふと隣に立つルカを見やると、彼も呆然としたような表情になっていた。
ルカ自身も海というものを知識としては知っているが、エリナと同じで実際にその目で見るのは初めてだったからだ。
「へへっ……」
大体のことは知っていて、いつも教えられ、気付かされてばかりの自分が、今この瞬間は同じものを見て同じように感じている。
それが少し嬉しくて、エリナは白い歯を覗かせて笑う。
その様子を見て、ルカも頬を緩ませた。
「この海の向こうって、陸とかあるのかな?」
エリナが何気なく頭に浮かんだ疑問を口にした。週末教室では住んでいる村の周辺や王都あたりの地理について学ぶことはあるが、他の国の地理や世界地図のようなものを教えられる機会はなく、エリナは海の向こうがどうなっているかを知らなかったのだ。
「海の向こうか……あの先には――」
ラボで見た世界地図を思い出したルカが、海の向こうについて口にしようとした瞬間だった。
「嬢ちゃん、あの先はな、何もねぇよ。ずーっと海だ。俺ぁな、あの空と海の境目ぐらいまで船で行ったことがあるけどよぉ。そこまで行っても先はずーっと海だったんだ。なんでもルメリアの南と王都の東には島があるらしいが、そんだけだぞ。」
二人のすぐ近くで、漁船を桟橋に係留していた漁師の男の声がした。
エリナの言葉が聞こえたのに答えてくれたらしい。
「あ、そうなんですか?」
「おうよ。さては嬢ちゃん、山の方の出身だな? 海の向こうはずっと海だ。それ以外はなぁんにもねぇってのが海の常識よ。」
「(南の大陸の存在は知られてないのか……)」
『(えぇ、そのようですね。かなり離れているので、遠洋航海に堪えられるだけの船と技術がなく、見つかっていないのでしょう。)』
ルカの知る限り、今いる北半球の大陸ほどではないものの、南半球に大陸がある。もちろんラボやサテライトが蓄積し続けていたセンサー情報からその事実を知っているというだけだが、まだこの世界の航海技術や観測技術では南半球の大陸は見つかっていないのだろう。
「そうなんです! 私、生まれて初めて海を見て感動しちゃって! すごく広くて大きくて、びっくりしちゃいました!」
「がははっ! そうだろうそうだろう! 海はいいぞ! 知りてぇことがあるなら何でも聞け! 俺が教えてやらぁ!」
エリナの様子に漁師の男は気をよくしたようで、楽しそうに大口を開けて笑う。
これは、いい調子だ。
「兄さん、せっかくだからこの子に教えてやってほしいんだけど、最近はどんな獲物が水揚げされてるんだい?」
「あぁん? 今の時期だと一番揚がるのはサルドだな。他はセルナやヴェルカあたりが旬なんだが……」
男の口から出てきたのは、昨夜四人で食べた食事にも使われていたものだ。
アリスの話によると、サルド、セルナ、ヴェルカはそれぞれイワシ、サバ、スズキの近縁種らしい。
だが、どうにも男の言葉は歯切れが悪い。
「……調子が良くないのかい?」
「いや……なんつーか、水揚げ量も減ってるんだけどよぉ……食えないやつが結構混ざっててなぁ……」
「食えないやつって?」
「市場に出せないやつだよ。他の魚や生き物に齧られてるとか、明らかに色がおかしいとか、そういうやつさ。」
ルカの問いかけに、漁師の男はあからさまに顔を歪めた。
彼が係留している漁船を見る限り、彼の漁の方法はおそらく投網が中心だろう。漁の仕方や齧られた魚の状況にもよるが、投網を使うような漁ならば、普通は魚の死骸が混じることは少ないはずだ。その数が目に見えて増えているというのは、なんとも気持ちが悪い。
「齧られてるってのはわかるけど、色がおかしいってのはちょっとよくわからないな……」
「だよね。お兄さん、色がおかしいって種類が違うお魚ってことじゃないよね?」
「んなわきゃねぇだろ。こっちはガキの頃から海で魚と向き合ってんだ。間違えるわけがねぇ。気になるってぇならあっちのでけぇ木箱の中を覗いてみろ。市場に出せないやつはあの木箱にぶち込んでおいて定期的に処分するんだ。今なら今朝の水揚げ分が見れるだろうよ。」
男が指差す方に目をやると、確かに大きな木箱がいくつか置かれている。
彼が言うような"市場に出せないもの"の他にも、網に引っかかったゴミや海藻、有毒で食べられない魚など、捨てざるを得ないものを集めるために置かれているのだろう。
海産物を放置している以上、匂いは凄そうだが、見ないわけにもいかない。
「なるほどね。兄さんありがとうよ。またよかったらいろいろ聞かせてくれ。」
「うんうん。すっごい参考になったよ! 今度は美味しいお魚の見分け方とか教えてね~!」
「おうよ。時化てなきゃだいたいここにいるから、いつでも来な!」
漁師の男に軽く手を振り、二人は教えられた木箱の方へと向かった。
わかってはいたが、少し近寄っただけでも、かなりの異臭が漂っている。
季節はもう初夏というより夏に近い。朝晩はいいが、日中の気温は高く、どうしても腐敗の進みは早いのだろう。
「うぅ……臭い……」
「今の季節、水揚げした魚を置いておくとどうしてもなぁ……さっと確認だけして移動しよう。」
「……うん。」
鼻を摘み、顔を背けるようにしながら、エリナが視線だけを箱の中へ向ける。
木箱の中にあったのは、大量の魚だ。半分は齧られた死骸。そして残りの半分は――
「……黒い……?」
漁師の男が言っていた、明らかに色がおかしいという魚。それは単一の種類ではなく、大きさも種類も様々だった。ただその種類本来の色ではなく、総じて"黒い"のだ。
一部だけ変色しているものもいれば、全身が変色しているものもいる。色も黒っぽいという程度のものから漆黒と呼べるものまで様々だった。
黒く変色した部分はよく目を凝らして見ると、その鱗の下にうっすらと赤く血管が浮き出ているのがわかる。
その様子にルカはどこか既視感を覚えた。黒い体表に脈打つ血管が這うさまはまるで……
「(これは……エディルと同じ……?)」
ルカの目に映ったその黒は、バルディアへ向かう途中に対峙した、あの異形化したエディルと同じ黒に見えたのだ。
ルカは一瞬まさかと息を呑んだが、少し逡巡した後、思い直したかのように頭を振った。
「(似てるけど、それ以外に目立った共通点がないからな……)」
片や人間、片や魚だ。普段王都で生活していたはずの人間と大海原にいた魚。
いくらなんでも生物としての根幹が違いすぎて、比較にならない。
「(似て非なるものと思ったほうがいいか……)」
『(関連があったとしても、今は情報がなさすぎます。あっちの二人が集めてくれている情報とも突き合わせてみてから判断しても遅くはないでしょう。)』
「(……そうだな)」
アリスの言葉もあり、ルカはエディルとの奇妙な一致について、頭の片隅に追いやってしまうことにした。
今やらねばならないのはセルディアの現状についての情報収集であって、すでに終わったことに思考を割くのは避けたい。
それに視界の端に映るエリナの表情が、そろそろ限界だと物語っている。
「……エリナ、他も見て回ろうか。」
「う、うん! は、早く行こう! もう、臭くってもう……」
口元を押さえて辛そうにしているエリナに声をかけ、二人は足早に港をあとにしたのだった。




