第五十四話 友達になってくれる?
天幕での一件の後、中で何があったかについては、ルカの希望通り周囲には一切詳細が説明されることはなく、他の者たちへは「奇跡的に手当が間に合った」とだけ説明された。
ミリアの傷を知る者も多く、何人かは不審がる様子も見受けられたが、セオやノアがそれ以上の説明をしようとしない様子から、聞いてはならぬことなのだろうと判断してくれたようだ。
そんな中、ルカはサテライトで作っておいた薬のうち、抗炎症剤や抗生物質のバイアルを、テオバルトへと預けておいた。
出所不明の薬の投与については、テオバルトもかなり難色を示したが、実際に目の前でミリアを治療して見せられたことや、バイアル内の薬を少量目の前で飲んでみせたことで、一応投与には合意してくれている。
あとは栄養価の高い食事をとらせ、身体をしっかり休めれば、早晩動けるようにはなるだろう。
ミリアは専用の天幕内でテオバルトの監視のもと休ませることになり、時折リネットが介助を手伝っているようだ。
フィリスは自身の専用天幕に戻り、しばらくはエリナと過ごしていたようだ。だが、疲労もあってか早々に眠ってしまったようで、一人残されてしまったエリナは、天幕の警護に立っていたノアにフィリスが眠ってしまったことを伝え、ルカに割り当てられた天幕を訪れていた。
「あれだけのことをやって疲れてるはずなのに、野営地中に石壁作って回ったんだって? 休まないとほんと倒れるよ?」
椅子に腰掛け、エリナは簡易寝台に寝転ぶルカを半眼で睨んでいた。
テオバルトに薬を預け、ミリアのいる天幕を出てからというもの、ルカが休むことなく野営地の周囲に《石壁》で石壁を作って回っていたと聞いて、文句を言いに来たのである。
「フィリス様を護衛しながら大立ち回りした上に、左足を痛めて歩くのに苦慮してるくせにいちいち小言を言いにくる誰かさんに言われたくないけどな。」
「うっ……」
実際言われたエリナも人のことは言えない。
痛めた左足については、テオバルトがテーピングなどの手当をした上で鎮痛作用のある薬草を準備してくれたお陰もあって、杖をつけばなんとか歩ける程度にはなったものの、細かい切り傷や擦り傷、打撲といった怪我はあるし、疲労も相当あるはずだ。
「ま、細かいことは聞いてねぇし、教えてももらえねぇみたいだが、お前ら相当な働きしたんだろ? ちゃんと報酬の上乗せ交渉しとけよ? 俺も部隊指揮した分くらいは要求してみっかなぁ……」
ルカとは反対側の寝台に腰掛けたアーヴが、口を挟んできた。
考えてみれば一介の護衛というよりはいろいろと動き回り、貢献もしているのだから、アーヴが言うことももっともである。
「まぁ何にしても、だ。」
アーヴが身体を寝台に投げ出した。
あくびを噛み殺しながら、言葉を続ける。
「飯のあとに会議するって言われてんだ。それまでは休もうぜ。」
「そうだな。エリナはフィリス様と一緒の天幕なんだろ? あっちで少し休んでこい。」
「あ……うん。そうだね。」
少し困ったような顔を見せながら、小さくため息をつくと、エリナは椅子から立ち上がった。
杖を支えに、天幕の入口まで進むと、ルカの方に向き直る。
「ルカ、さっきはありがとう。あとごめんなさい。多分困らせちゃったよね。」
自分がミリアを助けられないかと縋ったから、ルカは"自分のことが露見するリスク"を取らねばならなかった。
そのことは謝らねばならないと、きっとそう思ったからわざわざこっちの天幕まで来たのだろう。
アーヴのいる前ということもあり、ぼかした言い方しかできないが、それでもちゃんと口に出して謝っておきたかったのだ。
「……いいよ。最終的には自分で決めて自分でやったんだ。まぁそうだな……悪いと思ってるなら、そのうち一緒にアリスに怒られてくれ。」
「ははっ! そうだね! わかった、一緒に謝ってあげる! じゃあ、また後でね!」
すべて許されたとは思っていない。
それでもルカが自分の判断でやったのだと言ってくれたことは、心の重しを一緒に持ってくれているようで、素直に嬉しく感じられた。
エリナは天幕を出ると、夕暮れ時の野営地を杖を頼りにフィリスが眠る天幕へと戻っていく。
その後ろ姿を見送っていると、アーヴがルカの方へ少し身体を寄せるようにして耳打ちするように話しかけた。
「誰だよアリスって。女か?」
「そんなわけあるか。共通の知り合いだ。ちょっと口うるさいんだよ。」
「……ったく、なんだよそれ。面白くねぇなぁ……」
軽口を叩くアーヴを適当にあしらい、ルカは短い休息に意識を委ねるのであった。
エリナがフィリスのいる天幕へ戻ると、眠っていたはずのフィリスが起きて寝台に腰掛けていた。
「エリナさん、おかえりなさい。ルカ様のところへ行ってらしたの?」
「あ、はい。今日はあれだけ動き回って疲れてるはずなのに、野営地に石壁作って回ってたって聞いたので、ちゃんと休むように言ってきました。」
杖を突きながら、自分の寝台まで進むと、エリナも寝台に腰掛ける。
フィリスに目を向けると、その可憐な横顔にはなんだか不安そうな感情が浮かんでいた。
チラリとこちらを見たが、目が合うとすぐに視線を逸らしてしまう。
こちらから話しかけたほうがいいのだろうか。それとも待つべきか。
何か話をしたいのは確かなのだと思うが、どうすべきだろうかとエリナが頭を悩ませていると、やがてフィリスがその小さな口を開いた。
「あの、エリナさん……」
「はい、どうしましたか?」
「夕食の後の会議、出られるんですよね?」
「はい、セオ様からは出るようにと言われてますので……」
やっぱり、と呟いて、フィリスはその顔を伏せた。
「エリナさん、貴女に謝らねばならないことがあるんです。その……私自身のことなのですが……」
「ぁ――」
エリナも薄々気付いていたこと。
エディルが「殿下」と呼んだこと、それ以降ミリアやリネットが「姫様」と呼ぶようになったこと。
それは少なくともただの貴族ではなく、姫と呼ばれ得る地位にいるという証左だ。
「昨夜、ミリアが言っていたでしょう? 私は"いろいろとあってうまく友人が作れなかった"って。」
「はい……」
「それはどうも私の立場が問題のようで……エリナさんもお気づきだと思いますが、私の本当の名前は――」
そこでフィリスは言葉を詰まらせた。
その小さく可憐な唇を震わせ、スカートの裾をキュッと掴んでいる。
「――リィゼ……リィゼ=セリオール=ヴェールスフィアと……言います。」
「……っ!」
予想していたことではあった。わかっていた、と言っても良い。
だが、現実に目の前で名乗られてしまったということは、そこに明示的に身分の差があると両者が認識してしまうことに他ならない。
つまりは、いかなる理由があろうとも、身分に応じた態度を取らねばならないということだ。
「あ、あのっ! えっと、も、申し訳………」
兎にも角にも、知らされていなかったとはいえ、エリナからしてみればまずは謝罪しなければならない。
王女と平民という身分差では決して看過することなどできない、そういった失礼な振る舞いはあったはずなのだ。
「やめて……やめてください!」
慌てて膝をついて頭を下げるために寝台から降りようとしたが、フィリスは語気を強めてエリナの行動を制した。
今にも泣き出しそうな顔でふるふると首を横に振る。
「お友達になって欲しいと言ったのは本当なのです。物心ついてから今まで、誰も彼もが私を王女としてしか見てくれなかった……王城に出入りする高位貴族の子女たちも、王立学院に共に通った学友たちも、皆です。だから、"リィゼ王女"本人を知らない貴女なら、身分を隠せばもしかしたら、と思ってしまったんです。対等ではなくとも、地方貴族の令嬢くらいの扱いはしてもらえるのでは、と。」
フィリス――リィゼは腰掛けた寝台から立ち上がると、エリナの目の前まで来てしゃがみ込んだ。
その小さく綺麗な右手でエリナの左手を取り、その上に自身の左手をそっと重ねる。
「夕食後の会議では私自身のことを避けることはできないでしょう。そうしたら貴女は私の正体を知ってしまって、私はまた"王女"として扱われてしまう。私のお友達は……またいなくなってしまう。」
リィゼは顔を伏せている。
エリナの手に重ねられたリィゼの左手は小さく震えていた。
「だからせめて、バレてしまう前に自分から伝えて、謝ろうと思ったの。エリナさん、嘘をついてごめんなさい。」
「そんな……」
エリナの胸中はもちろん複雑であった。
リィゼの言う通り、相手が王女とわかっていて、対等に振る舞うというのは簡単なことではない。普通に考えれば絶対にありえないことだ。
仮に相手がそれで良いと言ったとしても、こちらがそのまま受け入れられるかというとそうではないし、さらには周囲がそれを許しはしないだろう。
だからといって、リィゼ=セリオール=ヴェールスフィアという少女が対等な友達を得られないまま人生を過ごしていくことが、果たして幸せだと言えるだろうか。
少なくともエリナにはそうは思えない。
小さな村の出身でしかなく、友達と呼べるのはリサや年の近い数人くらいだが、それでも彼らがいたからこそ村での生活に彩りがあったことは確かだと断言できる。
そしてそれは当然リィゼにもあっていいはずだ。
なら、自分は今どうすべきか。自分にできることは何か。
エリナが悩んだのは、瞬きほどの時間。決心することに時間はかからなかった。
決心したのなら、あとは行動しなければ。
「殿下、今から失礼を申し上げることをお許しください。」
「ぁ――」
エリナの口から"殿下"と呼ばれてしまったことに、リィゼの瞳は激しく揺らいだ。
水色の瞳がみるみると潤んでいく。
仮初めとは言え、やっと得た友達を今まさに失ったのだと、そう思った瞬間、滲む視界に映るエリナは、優しく微笑んでいた。
他の誰にも聞こえないよう、頬を寄せるようにして、小さく囁いた。
「――リィゼ、私のお友達になってくれる? そうしたら、嘘ついてたの、許してあげる。」
「……! ほ……本当に? 本当にいい……の?」
こくんと、エリナは頷き返す。
潤んだ瞳から溢れたのは、悲しみの雫ではなかった。
受け入れてもらえたという、望外の喜びがもたらす歓喜の涙が頬を伝う。
「もう……ほら、泣かないで。」
「だって、嬉しいんですもの……」
目の前でしゃがんだままのリィゼを隣に座らせると、エリナは彼女の涙を優しく拭い去った。
涙を浮かべながらも晴れやかで花咲くような笑顔に、こっちまで嬉しくなる。
「皆の前では流石に無理だけど、"四人"の時は、いいよね? リィゼ」
「ええ、もちろん。本当に、ありがとう、エリナ」
二人っきりの天幕の中、そこには"王女"も"村娘"もいなかった。
肩を寄せ合う二人の少女の後ろ姿は、何も着飾ることのなく他愛のない会話に興じる、ただの友達同士のそれだったのだから。




