第43話 カリュブディス
「カリュブディス! セレーナを返せ!」
「嫌だ! 落ちていたから私のものだ。レオン! お前も海に落ちろ! 私のコレクションになれ!」
レオンはカリュブディスと言い合いを始めた。
その姿に驚きながらアルフは問いかける。
「えっと……お知り合い?」
「あいつはこの辺の海域から動けないが、船で近くを通ると俺たちを捕まえようとするんだ」
「レオンさんたちの歌声や笛の演奏に魅了されているのでは?」
「演奏を聴かせるから海域を通せって言ったのに、コレクションすると言って譲らない石頭だ!」
話している間にも巨大な足がうねうねと蠢き周辺の海域は急激に荒れ始めた。
荒波が発生し、大型の船でもすぐに巻き込まれて転覆するような渦潮があちこちに出来上がる。
洞窟に近づこうにも次々と足が邪魔をしてくる。
防御魔法を船に掛けていなければ今頃粉々になっていたことだろう。
「あれがカリュブディスか。初めて見たな」
「魔道士! 何とかするって言ってただろ! 見てないで何とかしてくれ」
「確かに言ったけどね。特徴とかも知っているの?」
「あの足……いや正確には腕だが、百本以上あって斬っても再生する。心臓は三つ以上あって、腕にはそれぞれ脳みそがあるから動きが速い。腕に掴まると締め付けられて逃げられない。後は、噛まれると毒で苦しめられてから死ぬ。そして気に入ったものを集めるコレクション癖があるって所だな」
「悪魔並に厄介だな」
想像以上に厄介な相手にアルフは困惑し、対処法に頭を悩ませる。
「下手に刺激すると大津波が発生しそうだし……海面を凍らせると海洋生物への影響があるし……あの巨体を消滅させたり、腕を全部眠らせるには魔力の消耗が激しすぎて今の僕には厳しいし……」
「何をブツブツ言っているんだ! セレーナがあの洞窟にいるんだぞ! 俺は行く!」
「うわっ!? ちょっと待って! 冷静に!」
アルフは船からロープを垂らして洞窟に向かおうとするレオンの服を掴み、慌てて引き留める。
「あの巨大な触手に攻撃されたら即死ですよ!」
「だったら動かないようにしてくれ!魔道士なら出来るだろ!?」
「こんなに要求を突き付けてくる人も久々だな!?」
『ご主人様。真水で海水の塩分濃度を下げてみてはいかがですか。蛸の弱点は真水です』
防音結界を張っていなかったがドロシーが話しかけてきた。
魔物と平然と話すレオンに対して隠す必要も無いと判断したのだろう。
「たしかにあいつは雨が苦手だな。雨の日は海面から出てこない」
「さすがドロシーだ。よし、その手で行こう」
アルフは目を閉じて集中し、片腕を天に向け海域に雨雲を呼び込む。
夜明けが近づいている海が雲に覆われて再び真っ暗になっていく。
頭上ではゴロゴロと雷鳴が轟き始め、次第にポツポツと雨が降り出す。
準備が整った所でアルフは目を開けてレオンに指示を出す。
「今から洞窟を中心に集中豪雨を降らせます。カリュブディスが真水を嫌がって海面に沈んだ隙にセレーナさんを見つけて船に連れ帰って来て下さい」
「ああ。絶対に連れて帰る。待っててくれセレーナ! すぐに行くからな!」
「それじゃあ始めますよ」
アルフが天に向けていた腕を振り下ろすと、一斉に雨雲から大粒の雨が落ちてきた。
雨粒が海面を叩く音に恐怖を感じる程の凄まじい量の雨だ。
「ぎゃあああああああ……! やめろおおおおぉお……!」
叫び声を上げて、それまで無数と思える程に海面に出ていた触手が次々と海の中に潜っていく。
「今のうちに!」
「分かってる!」
海面からカリュブディスが姿を消したのを見て、レオンが船から降ろしたロープを伝い洞窟へ向かう。
雨音が強くて鮮明には聞こえないが、洞窟内に笛の音が響いた。
それに応えるような歌声も。
アルフが集中豪雨を維持したまま待っていると、洞窟の入り口に人影が見えた。
「おーい! 見つけたぞー!」
無事に見つけ出せたのだろう。
セイレーンを背負ったレオンが手を振っているのを見て、アルフは雨雲をゆっくりと霧散させていく。
カリュブディスは雨水を嫌がり深く潜ったようで、洞窟周辺の渦潮は消えていた。
浮かせていた船を洞窟近くの海へ着水させ、魔法で浮遊させてレオンたちを船の甲板へと降ろす。
「ふーっ、ぐしょ濡れだ。乾かしてくれ魔道士」
「僕は便利屋じゃないのですが」
「ベビーシッター中の魔道士なら出来るだろ?」
「はぁ……」
相変わらずのレオンにため息をつきながら、風と火の魔法を使い全員の身体を乾かしていく。
「レオンこの人は?」
「カリュブディスを海に沈めて俺たちを助けてくれた、通りすがりの英雄様だ!」
「……まったく。勝手に呼称を作らないで下さいよ」
「そうなのね! ありがとう通りすがりの英雄様。でも私だけの英雄はレオン、貴方だわ!」
「セレーナ! ああ、なんて愛しい! 君こそ俺だけの天使様だ!」
惚気合う二人にジト目を向けながらも、まるで両親のやり取りを見ているようで苦笑いのアルフであった。