緊張感のない戦いの準備
さて、鍛錬場の更に奥にある鍛錬場、もとい魔術実験場とでも呼ぶべき場所の中央に着いた。
斎は野生の勘とでもいうか、結界の異様さを感じたらしく「戦争でもするつもりかよ…」と溢していた。
先を歩いていたクリフォードが振り返り、「さて」と前置きをする。
「イオリ殿には兄上がスキル付与をいたしましたが、ハヤト殿は用意があるという話ですが…」
「ああ。…えーと、伊織、これアクティブ化はどうやるんだ?」
「MP払って生成、もっかい払ってセット、って感じ。とりあえず火だけでいい…んですよね?」
「ええ。…ハヤト殿は四属性に適性があるとのことなので、余裕があれば保険に風属性もお勧めです。同じ光系統の属性なので、闇系統のメルガルト森林とは相性が良い」
「四属性も系統分けするのか…おし、とりあえず火の初級だけ準備できました」
本人にしか見えないパネルを操作するのは初めてのはずだが、そこはやはり現代日本に生きていただけあって、何となくどうすればいいかは直感的に分かる。特にゲームで似たような操作はよくあったものだ。
他の異世界人にしても、若ければ順応するのは早いだろう。隼人はまだ見ぬ同郷の人間もさして苦労しないのだろうなと思った。反面、若すぎる子ならばこの万能感で歪みかねないな、とも。
「それでは早速、魔術を発動させてみましょうか」
クリフォードのその言葉に、年甲斐もなく隼人は目を輝かせたが、先日の雑な講義を思い出して伊織はそっと目を逸らした。
結果から言うと、隼人もほんの数分で火属性の初級術であるファイアバレットを発動させることができた。
今回はクリフォードも術名を忘れずに口にしたので、隼人もそれを参考にした。
少し遠くに置かれた標的に、火球がまっすぐ向かい、そして小爆発する。
クリフォードは手放しで「素晴らしい」と爆発で焦げた的を見ながら満足げに頷いている。
時間としてはほんのわずかのことだし、それにより起こった現象もとても簡素なものだ。だが、隼人は魔術を放った手をそのままに茫然としていた。
「伊織…これは、駄目じゃねえか…?」
「私もそう思った。たぶん10年若けりゃ純粋にときめいてたけど」
「それな。この歳で貰うオモチャにしてはちょっと物騒が過ぎる」
二人とも同じ経験は車の免許でしている。田舎ゆえに自家用車がなければ生活ができないため、憧れ以前に必須な技能であるものだ。
とはいえ子供時代に、運転する親の姿を見て憧れたことがあるのも確かだ。
そうして18歳となり、教習所へ通い、試験を受けて運転免許を取得する。ここまではいい。
実際に自分で運転し始めてから、テレビで事故の特集などを見た時にふと思うのだ。自分はともすればこの事故を引き起こしうるものを操作しているということを。そうでなくとも、単純に見れば鉄の塊である、春先に猫が轢かれているのを見るのは毎年のことだし、人の命を奪うことなども造作はないだろう。
――そんなものを、何の努力も苦労もなく与えられている。
伊織は隼人が自分と同じ結論に至ってくれたことに、少しばかり安堵していた。
「まだ異形に向けるならともかく、ワンチャン人に向ける機会もあるだろ?多分俺無理なんだけど」
「私だって無理だわ。ていうか現代日本人の感性で無理じゃないやついねえだろ」
「そりゃまあ……ここを現実だと理解してればの話じゃねえの」
「あっ…思春期の可能性…」
自分たち以外の異世界人が日本人かどうかはわからない。もちろん年齢もわかったものではない。
だが世界が召喚した前科である斎を考えると、自分たちが例外であり、成人前の少年少女が来ている可能性の方が高いのではないか。召喚する側も、下手に歳を重ねた人間よりも、頭の柔軟な若者が欲しいものだろう。色々な意味で。
この辺りは少し邪推のしすぎかもしれないが。
「ところで、本当にこんな短時間訓練で大丈夫なのかね。明日なんだろ?」
「大丈夫です。もともと討伐自体は術師だけでも余裕をもって行えますから」
隼人が不安に思ってクリフォードに問うが、彼からはそんな漠然とした答えが返ってきて眉を寄せる。
伊織も隼人と同じく最初はそう思っていた。だがアレクシスが今回のことを問題視してない上に、他でもない斎が反対をしていないので「いけるものだ」と無意識に思っていたことに今さら気づいて不安が少し生まれる。
クリフォードの感覚としてはそうなのだろうが、戦闘経験が全くない自分たちが、果たして思惑通りに経験値上げをすることが出来るものか。
そんな迷いを感じたのかは分からないが、見かねた斎が口をはさむ。
「あれだ、トワイライトオンラインに案山子いたろ。あんな感じの魔物しかいねえんだ、あそこ」
「案山子って何だっけ、TOってまた懐かしい…」
「えー……テンベルク辺りのトレントだっけ。斎、お前クソ古いゲームでいきなり例えんのやめろ」
トワイライトオンラインとは、オンラインゲーム黎明期である十年以上前にサービスが開始されたもので、規模こそピークを過ぎたものの、未だにサービスが続く大型ゲームである。例にもれず三人も一時期プレイしていたが、学生からの卒業など、環境の変化とともに離れてしまったゲームのひとつだ。
その中に出てくるトレントというムービング・オブジェクト――ゲーム中ではMOBと呼ばれるモンスターは、火属性にやたらに弱い上に非移動、短射程のため、遠距離職の序盤のレベル上げによく狩られていたのだ。
「だってオンゲーでもねえと例えるやつがいねえんだもの」
「特徴言やいいだろ…いやもういいわ、一瞬で伝わる俺らも同類なんだし。まあ…あれなら少しは安心かな…?」
「私も聞いてなかったから不安だったんだけど、今のでめっちゃ安心したわ」
「お前はむしろ積極的に聞けよ」
隼人の溜息に斎も同意するように頷く。伊織は昔から流される傾向があると二人も知っていたが、まさかここにきてまで流されるままだとは思わなかったのだ。
しかし隼人はこれに不安を覚えるのだが、斎はといえば「自分が来たからまあいいか」という楽観である。なんだかんだで斎が妹に激甘であることを隼人は忘れていた。
「それより、メルガルト森林ってとこにはどうやって?結構離れてたりするんですか?」
「ああ、数分でやや深部まで着きますよ。転送陣が設置されておりますので」
「はァ!?昔は半日がかりで向かってたのに!?」
「兄上が効率化のためにと設置されまして。事実、この歳で兄上も俺もレベル100を超えているのはその恩恵とも言えましょう」
「……やっぱあいつ俺の血縁だなあ……根っこの考えがマジで俺そっくり……」
額を抑える斎は、アレクシスのことが実の孫であることをじわじわと実感しているようだった。
つまりは無理をしない効率重視タイプである。最大最高の結果を求めるのではなく、できるだけ低リスクで、そこそこのリターンを拾うという考えだ。
ともあれ、昔のように移動時間がかからないのであれば準備もそれほど必要はない。特に戦闘経験のない二人がいるのだから、避けられる面倒は有難く受け取っておくべきだろう。
それと、だ。
ちらりと妹と年下の友人の姿を見る。
「保険に風属性も、って言ってたよな?」
「ま、保険は多いほどいいよね」
まだ休むには早い時間だ。隼人と伊織はもう少しの保険を求め、ちょっとした実験をしようとしていた。
二人してこの魔術を「過ぎた玩具」とは評したが、好奇心がないといえばウソになる。それに、自らの安全を守るためという大義を見つけてしまえば「道具」として呑み込めるともいうものだ。
最初は普通に別属性の魔術訓練だと思っていたクリフォードだったが、二人のやっていることを見て顔をひきつらせていた。
その成果自体は素晴らしいものであるし、兄に報告をせねばならないものだ。しかし魔術を得て浅い…どころか、隼人に至っては半日の二人が達したものだとは、この世界の住人であるクリフォードとしては納得しづらいものだったからである。
思わず頭を抱えたクリフォードを見かね、斎が肩を叩く。
「残念だが、あの二人は今後もあんな感じでいらんことをするぞ」
「ええ……?」
内容はまったく慰めるようなものではなかったが。
翌日の朝。
アレクシスと斎が並んで転送陣の前まで見送りに来ていた。
しかし昨夜のうちにクリフォードから伊織と隼人のしでかしたことを聞いたのだろう、その表情は微妙なものを見る目だった。
「それじゃあ、行きましょうか。クリフォード殿、今日は隼人ともどもよろしくお願いします」
「……ええ、よろしくお願いします」
すでに疲れたような声を出すクリフォードを不思議に思うものの、伊織と隼人は転送陣の前に立つ。
転送陣という名前のわりに、見た目は門のようなつくりをしていて、くぐることで転送が完了するといったタイプのようだ。
操作パネルのようなところにクリフォードが手をかざすと、門になっている空間に波紋が浮かぶ。さながら液体ガラスのようだ。
伊織はそれに少し不安な顔をしているが、この門を普段使いしている人間がいるのだから大丈夫だろう、と自分に言い聞かせる。
「それでは行きますよ、お二方」
クリフォードの先導に、伊織と隼人は頷くことで返事をすると、彼に続いて波紋の先へと足を踏み出した。




