81 ユア
ユアの過去のお話
私は、捨て子だった。
生まれてからずっと、幸せとは程遠い虐待のような扱いをされ、10歳になった日に捨てられた。
今どこにいるのか、どちらに進めばいいのか。
フラフラと彷徨って居ると、目の前にモンスターが現れた。
大きな虎のモンスターだ。
口からポタポタと涎を垂らし、私を睨み付けるその姿を見ても、私は何も感じなかった。
というより、「怯える」という事を知らなかった。
喜びも、悲しみも、憎しみも、怒りも。
私は何一つ持ち合わせていなかった。
モンスターが私に飛びかかる。
それでも、私は何も感じなかった。
…あぁ、やっと終われる。
そんな事を考えながら目を瞑り、命が終わる瞬間を待った。
だが、いくら待っても死がやって来る気配がない。
少しずつ目を開いていくと、目の前に誰かが立っていた。
その人は黒いコートを纏い、顔が見えないように深くフードを被っており、手には鮮血の付いたナイフを持っていた。
その奥には、私を襲おうとしたモンスターが、首をねじ切られた形で死んでいた。
黒コートの人物が、私の方を振り向き、近寄ってくる。
「大丈夫かい?」
それは、女性の声だった。
顔はよく見えなかったが、心配しているのは確かなようだ。
だが、私にとっては、余計な事をされたとしか思えなかった。
そんな私を他所に、その人は質問を続ける。
「君、家は?何処から来たんだい?」
「…なんで、助けたんですか。」
「…なんでと言われても…逃げていたら偶々コイツに襲われている君を見つけたから、だよ。」
「…逃げていた…?それって…」
「おっと、君の質問には答えた。私の質問に対する答えを聞かせてくれるかい?」
「…家なんて無い。居場所なんて無い。…私は、捨てられたから。」
私は、正直に答えた。
なぜ素直に答えたのか、私にはよくわからなかったが、そうするべきだと私は思ったのだ。
普通なら、私を哀れみ、慰めようとするのだろうが、その人は違った。
その人は、私の体をじっと見つめた。
栄養の足りていない痩せた体、いくつもの殴られた跡、切られた頬…
私の姿を見たその人は、私にとんでもないことを聞いてきた。
「…君は、親が憎いか?」
「…え?」
「君をこうなるまで傷つけた親が嫌いか?殺したいと思う程に憎いか?」
その人は、私と同じ視線で、私をまっすぐに見つめてそういった。
私は、親の事を思った。
思い浮かぶのは、絶え間無い暴力の日々。
食事もろくに与えられず、目の前で悠々と食事をしている両親をただただ見ることしかできなかった日々。
殴られ、蹴られ、踏まれながら、暴言を浴びせられ続ける日々。
私は、何を思ったのだろうか。
怒り?憎しみ?そんなちんけなものではない。
私は、小さく口にした。
「…殺したい。」
怒りや憎しみなんて、私には無かった。
空っぽな私には、そんな感情が生まれなかったから。
ふっと湧いた殺意すらも、私の体を埋める事はできなかった。
私の答えを聞いたその人は、私を一度見た後、立ち上がってこう言った。
「…君には選択肢がある。孤児院に行き、普通の生活をおくる事。このまま野たれ死ぬのを待つ事。…私の元で暗殺術を学び、君の手で、君の親を殺す事。」
最初のものは、私が幸せに暮らせるかもしれない選択肢だろう。
だが、そんな幸せを望む事など、私には考えられない事だった。
二つ目のものは、元々私が望んでいた事だ。
私が死ねば、それで終われると思ったから。
けれど、私には芽生えてしまったものがある。
純粋なまでの殺意が。
…迷う理由など、何処にも無かった。
「…良いんだね?もう、引き返せないよ。」
私は頷く。
そして、私はその人に連れていかれた。
これが、私の師との、初めての出会いだった。
*
あれから、五年の歳月が立った。
師の指導の元、私は暗殺に必要な知識、体力、身体能力…その全てを鍛え上げた。
時々、師の暗殺任務に連れていかれ、どのように動けば良いのか、自分で考えさせられる事もあった。
そんなある日、ついにその時が訪れた。
―見つかったのだ。私を捨てた親がいる村が。
私の中に、怒りや憎しみは全く無かった。
ただ、純粋な殺意だけが芽生えた。
その日の夜、私は一人で親の元へと向かった。
師は「一人で殺ってこい。お前なら、出来るハズだ。」と言っていた。
私は、得た全ての技術を用いて、暗殺へと出向いた。
親の元へたどり着いたのは、次の日の事だった。
その日は、夜になるまで誰にも気づかれることなく親を監視し、調べ続けた。
五年の訓練のうちに、私の中には「気配遮断」のスキルが備わっていたのだ。
そして、私は知ったのだ。
自分の親が、どれだけクズなのかを。
私を捨てた両親は、また子供を作っていた。
そして、その子供は私と同じように、酷い暴力によって支配されていたのだ。
ただ言うことを聞くだけの、便利な人形。
言うことを聞かなければ、殴る蹴るで躾をする。
―これが、森を愛するエルフなのだろうか。
元々無かったが、生かすという選択肢はその時点で消えた。
夜、見張り以外の者達が油断するであろう瞬間を見計らい、行動を開始する。
気取られる事なく、視界に写る事なく、物音一つ立てる事なく。
どの種族よりも敏感である同族ですら、私に気づくことは無い。
私は、親の元へとたどり着いた。
まだ部屋の中は明るく、中では親が酒を飲みながら食事をしている。
勿論、子供には何も与えていない。
自分達さえよければ、子供なんてどうでもいいのだ。
「…さようなら。」
それは、一瞬の出来事だった。
物音立てる事なく部屋に入り込んだ私は、風をも追い抜く程の速度でテーブルの上へと降り立った。
きょとんとする親を尻目に、私は双剣を振るう。
その一振りは、ただ首を切るのではない。
一瞬のうちに喉を潰し、首の骨を折り、捻るように切り落とす。
声を上げる隙など与えぬ速度で、命を絶つ。
部屋に侵入して僅か三秒。
私を捨てた両親は、無様にこの世を去った。
だが、私は何も感じなかった。
自分の手で、自分を捨てた両親を殺したというのに、何一つ感じるものは無かった。
私は、部屋の隅を見る。
そこには以前の私と同じ、痩せ細り、虚ろな目をした、私の弟にあたるであろう子供がいた。
私はするりとその子に近づく。
―そして、殺した。
師は言った。暗殺を見られた場合、口封じの為にその者も殺せ、と。
だから殺した。
事実上の弟であろうと、私は何も感じないし躊躇わない。
私は、短剣の血を払った後、誰にも悟られる事なくその場を去った。
私が両親と弟を殺して帰って来た。
だが、隠れ家に師の姿は無かった。
任務に赴いたのかとも思ったが、それは一つのメモによって否定された。
師は、すでに暗殺者として生きるのを止めていた。
暗殺任務についていたのは、あくまでも私に暗殺術を教えるため。
これからは、自分で考えて行動しなさい。
そう、書かれていた。
私は、虚無感を抱いた。
自分で考える事などしたことがない。
ましてや、暗殺以外の事など殆ど教わっていない。
だから、私は…
*
あれから、どのくらい経ったのだろうか。
私は暗殺者として、眈々と誰かを殺す生活を送っていた。
依頼者から依頼され、その通りに人を殺し、報酬を貰う。
そうやって、生きていた。
何時何時でも常にフードを被り、顔を覚えられないようにした。
少しでも、生きるために。
ある日、私は依頼の通りに人を殺し、依頼者の元へと戻ってきていた。
報酬を受けとるためだ。
だが、少し様子がおかしかった。
普段なら、かなり警戒されながら入っているのだが、やけにすんなりと入れて貰えた。
嫌な予感がした。
「…報酬を貰いに来た。」
「おぉ、よくやってくれた!えぇっと、いくらだったかな?」
「金貨千枚。」
「そうだそうだ!ほれ、ここに用意した!受け取ってくれ!」
「…そうか。」
私は、一歩足を進めた。
その瞬間、何も無かった場所から何十もの人が現れた。
冒険者や貴族等ではない。恐らく、依頼者のお付きの者達だろう。
依頼者が、不敵に笑う。
「…どういう事だ?」
「なぁに、私が長年邪魔だと思っていたあのゴミを処分してくれた事には大変感謝しているんですよ。だから、敬意を込めて、ここで貴方を始末させて貰います。」
「成る程、口封じか。」
「えぇ。生憎、貴方は裏の業界では知らぬ者は居ない、正体も素性も不明な暗殺者。ここで始末すれば、私の名前は瞬く間に広がるでしょう!」
「…そうか…では…」
――死ね。
*
私は、依頼者を殺した。
それだけではない。彼の側に居た者も、屋敷に居た者も、逃げ出そうとした者も、何一つ残さず殺し尽くした。
依頼者を殺すのは、暗殺業界における禁忌。
私は、一日にして信用を失ったのだ。
私は逃亡した。
何処に向かうなど決めず、ただただ遠くに遠くに…
船に密入し、距離を稼ぐ。
船を降りれば、ろくに食事や睡眠を取らず、ひたすら走り続ける。
そんな逃亡生活も、長くは続かない。
すでに体力も底をつき、意識も朦朧としていた私は、その場で倒れ込んだ。
もはや、ここまでか…
そう思った私は、意識を手放した。
*
「………ん…」
どのくらい経ったのだろう。
私は意識を取り戻した。
目を覚ました私が見たのは、見覚えの無い天井。
それに、私が横になって居たのはベッド、しかも、丁寧に布団まで掛けられていた。
私が倒れたのは、森の中だったはず。
訳が分からずにいた私は、あるものが無いのに気付く。
―短剣が無い。
いつも腰に付けていた、二振りの短剣が何処にも見当たらないのだ。
私は飛び起きた。
短剣を探しに外に出ようとした時、部屋の外から物音がした。
恐らく、ここの主だろう。
その読みが当たったように、扉が開いた。
私は、一瞬で詰め寄り背後から絞める。
「む、目が覚め「私の剣を何処にやった。」っと、いきなり脅しか。」
「答えろ。答えなければ…」
入ってきたのは年がそこそこいっているであろうドワーフだった。
私が脅しているのにも関わらず、なぜか平然としている。
「とりあえず、落ち着け。話すことも話せん。」
「………」
「はぁ…そうでもしないと生きていけなかったのか、警戒しているからなのかは知らんがな?恩人に対してその態度は酷いんじゃないかな?」
「………」
私は警戒しつつも拘束を止めた。
ドワーフは数回肩を回した後、私の方に振り向いた。
「まぁ、無理もないじゃろう。森で倒れていたお前さんが、いきなりこんな場所に連れてこられたとありゃ、警戒するじゃろうに。」
「…ここは何処?貴方は誰?」
「ワシはガテツ。ここはワシの家であり、鍛冶場でもある。」
「鍛冶場…では、貴方は…」
ガテツと名乗るドワーフを問い詰めようとしたとき、くるる…とお腹が鳴った。
そう言えば、もう数日間何も食べていなかった。
「ふむ…詳しい話は食事をしながらでもいいかな?」
「…分かった。」
*
結論から言えば、ガテツはとてもいい人柄をしていた。
森で倒れていた私をここまで連れてきただけでなく、私に食事を与えてくれた。
さらに、消えた短剣については、ガテツが整備してくれていた。
整備された短剣を見たとき、私は驚いた。
まるで、新品そのものだったからだ。
それに、整備される前よりも格段に振りやすい。
この恩に、私はどう返すか悩んだ。
一応、私は追われる身だ。ここもすぐに離れるべきなのだろう。
だが、本当にそれでいいのか?
その時、師が残した言葉を思い出した。
―これからは、自分で考えて行動しなさい。
「…暫く、ここに置いてはくれないか。」
私は、そう口にした。
ガテツも驚いた顔をしていたが、少し考えた後、ここに居る事を承諾してくれた。
この日、私は暗殺者としての技を封印すると決めた。
使えば、それは裏切りになってしまうと思ったから。
もう二度と、血塗られた刃は振らないと、私は静かに誓った。




