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「あっついにょ~、何にょ、このマグマは。私にケンカでも売ってるにょ??」
ボコボコと煮えたぎった赤銅沼を眺める。
椿は突然、カレーを思いだした。匂いからして食欲をそそられる万能の料理。子供から大人まで人気があったなと椿は懐かしげにしていた。
「カレーみたいなのだったら私でも作れそうなのに。タシュバにも食べさせたいけど、ここにはルーなんてないにょ……その前に、この丸い手じゃ野菜の皮がめくれそうにないにょ。はぁ~」
タシュバと義理の息子に何か料理をと考えてたら、地面に生えてる雑草に目が行き、ウロウロしてしまう。食べられるのかと自問して口に含んでみたら、不味くて吐きだした。放心して口から涎を流していたらタシュバに抱きあげられた。タシュバの呆れたような顔が目に痛い。
「ツキ、危ないから赤沼まで行くな。そして、そこらにある物をむやみに食べない。お腹を壊しても知らないぞ」
「は、は~い、タシュバ」
ここは旦那様の言葉に従うかと思い、逞しい胸にしがみつく。
固い胸元に擦り寄り、ここぞとばかりに可愛さをアピールしておいた。
「ツキ、今は俺の背中におぶさるんだ」
「え」
豪華な刺繍の施されたでかい布、じゃなかった。タシュバが纏っていたマントで包まれろというのである。そのマントをうまい具合にくくり、なんとかおさまった。
「赤ちゃんを背に乗せるような感じですよね、旦那さま?」
「気のせい気のせい、行くぞ、ツキ」
***
「あれは?」
複数の中型竜が待機していた。
タシュバの背から、椿は短い手で怯えた竜達の頭を撫でる。安心させるように宥めると落ちついてきた。
「この竜達はフォルテッダとは違い、まだ未熟。生徒達を溶岩地帯まで運んで来たのはこの子達だったんだな」
竜達の背を撫でていると、地鳴りがする。
空気も振動し、地面も微かに揺れたかと思ったら、激しく揺れ出した。
「グオォォォーー!」
竜の咆哮が聴こえた。中型のフォルテッダも他の竜達と同じく動揺し、タシュバが宥めている。
怯えたフォルテッダをその場に待機させ、椿とタシュバは声のする方に隠れながら近づいた。複数の人間がいる。実習に来ていた、教師と生徒だろう。
「ふへへ、このデカイ大型竜を手懐けれたら、俺は赤竜の騎士隊長になれるんだ! おい、お前達。さっさと足止めしとけ!」
小太りの男性が生徒達をけしかけている。人数がいればなんてことないと思ったがそれは間違いだった。大型竜を見た事がない生徒多数は、その場で動けなくなったのである。歯をガチガチ鳴らし腰を抜かす者、失禁する者、泣きだす者まで出てきていた。
「む、無理です、先生! こんなでかいの、僕らで足止め出来るわけないじゃないですか! どうして、こんな無茶な事を実習に組んだのです。こんなの、父が黙ってるわけ――」
「うるせぇっ!」
肘を顔にぶつけられた生徒は地面に転がりこんだ。口の中を切ったらしい。血が流れ出ていた。
「うっ、ぐっ……」
「ノムイエットの家名を偉そうに出すんじゃねぇ! その名を今、ここで口にすると溶岩の中へ放り込むぞ。かせっ!」
直立不動で動けない、近くの生徒から弓矢を奪い構える。
鱗で覆われていない、剥き出しの喉元目掛けて弓矢を正面から放った。赤竜に刺さりはしたが効き目が全身にまで届いていないらしく、体を動かして怒り猛っている。大きく唸り、尻尾で大地を叩き、爪で何層も引き裂けば、地面は大きく削られていった。
「何だ、痺れ矢が効いてないのかよ! このっ、馬鹿でかい竜はこれだからっ、くそっ、ひとまずここは撤退だ!」
生徒を置き去りにして、撤退しようとする小太りの男性の体が宙を舞った。何が起こったのか。誰もが分からぬまま視線だけを動かす。
「ロンドゴッズ、貴様、それでも竜騎士養成教師か。生徒を危険に晒したばかりか、我が身可愛さで一人で逃亡など。教師の風上にも置けん。黒竜騎士隊長・ノムイエットの名に於いて、今日付けで教師の資格を剥奪する。良いな!」
揺れる地響きの中、黒竜騎士隊長のタシュバは拳を繰り出していた。激しい揺れにも動じない、怒りだけが彼を突き動かしている。凛として大地に立つ姿は、誰にも真似る事など出来なかった。
「父さん!」
よろめきながら立つとタシュバに支えられた。顔を見た安心からか、どちらも表情がやわらいでいる。タシュバの懐から出した清潔な白い布で、エルザードの血を拭っていた。
「エルザード、遅くなってすまない。その、紹介したい女性がいるんだ。聞いてくれるか?」
「もちろんだよ! ん?」
タシュバの付け直したマントの裏に、何かピョコピョコ動くものがある。それが気になりはしたがエルザードは止めた。今、出来る事をしなくてはと呼吸を整える。
「良い子だ――よし、まずは生徒全員をここから退避してくれないか」
「で、出来るかな」
タシュバよりも幾分か背の低い息子のエルザードの頭を撫で、目を見て話した。家で話していたように優しく言葉にする。
「お前は俺の息子だ、出来ない事はないさ。必ず出来る。黒竜騎士隊長、ノムイエットが命ずる。全員、ここから速やかに退避しろ。死にたくなければお前達も、立て!」
腰を抜かしている者達は少しずつ立ちあがった。
自分達は、いずれは竜騎士の名を背負う者。国を守ると希望して養成学校に通っていたのだ。遅かれ早かれ、これからも死線を越えなければならない。それがいつからなど関係なく。
国一番の勇士を誇り、一番の憧れでもある、黒竜騎士隊長から発破もかけられたのだ。生徒達の勇気は湧き、目に力も宿る。赤竜とは反対側の中型竜の元へと、ゆっくりした足取りで戻っていった。
「父さーん! あと一人だよ。もうそろそろ、父さんも逃げて!」
荒れ狂う赤竜の爪攻撃を弾いている父に、精一杯の言葉を投げかける。これで安心だと思ったが、まだ終わりでは無かった。今の掛け声で、赤竜の注意をこちらに引きつけてしまった。
「なっ、エルザード! 逃げろぉーーーーっ!」
赤竜はタシュバだけを敵とみなしていなかった。その場に居るヒトを殲滅する気でいるのである。腹から力を宿し、喉を通って燃え盛る火炎を辺り一帯に浴びせた。周りは火の海となり、黒煙が出る。
その時、雪がはらりと落ちた。
はらりはらりと舞い落ちる。
炎と氷の狭間の世界で、エルザードとタシュバは目を疑った。
「タシュバ、もう良いよね。私の事を息子しゃんに紹介してにょ!」
雪うさぎの椿が氷の盾を作って火炎攻撃を防いでいた。
見事な造形美。盾の中央には獅子が模られていた。そして降り積もる雪。この雪のおかげで炎による被害を最小限に抑えている。雪うさぎの椿にしかできない氷の世界だった。
「タシュバ! 今の内にょ~。こっちに来るにょっ!」
巨大な獅子の盾に目を奪われたタシュバと赤竜は、少しの間動きを止めていた。
その瞬間を狙った椿は、タシュバにこちら側へと促す。
「ツキ! よくやった」
「うへへ、やれば出来るって息子しゃんに言ってたにょ。タシュバや息子しゃんが頑張ってるのに、妻が頑張らない訳にはいかないにょ!」
攻撃対象をこちらに見据えた赤竜が、こちらに向かって突進してきた。だが、地面は凍って赤竜の体が転げる。初めて見る氷の世界に動揺したのか、赤竜は大人しくなった。
「す、凄い、こんな、こんなの見た事ないやっ」
「俺も。竜騎士隊長やってて、ここまで上手く氷を扱う所を見るのは生まれて初めて。いや、ツキに会ってからが何もかも初めてなんだよな」
小さい椿が赤竜を手玉に取る――誰がこの後景を予想しただろう。仕上げとばかりに、赤竜の手足、翼の一部分を氷の息吹きで凍らせた。
最後の足掻きのつもりで口から絞り出した赤竜の炎は、頑強な盾によって塞がれる。なお且つ獅子の口から氷のブレスを見舞いだされれば、防ぐ事もできずに力も尽きた。ついに敗北を認めた赤竜は、無念とばかりに咆哮を上げる。
「グオォォォォーーーー!」
「にょ、今の咆哮は何にょ? 本当の神声はこうにょ!」
赤竜の咆哮は体を伝って振動する。だが椿は確信した。自身の神声の方が数倍大きいと。対抗して口を大きく開けた。
「ツ、ツキ! 今ここであれをするのかっ」
「勝利の狼煙を上げるにょ~♪ せーのっ、ニョ~~~~~~~~~~!」
辺り一面の氷が砕け、結晶は光り輝き、銀世界を作り出した。
椿の神声によって、竜王の元へも一報が届く。タシュバと椿は溶岩地帯に居る事と、赤竜も一緒だと。
大きく口を開け、赤竜にどうだと見せつける。椿とタシュバが勝者だと赤竜の体にしっかりと焼き付かせる事に成功した。