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タシュバからの申し出に、どさくさにまぎれて頼んでみた。どうせなら妻にしてほしいと。これは一種の賭けだった。ダメだとしたら、情に絆され、場の雰囲気に呑まれただけだろうと諦めもつく。やはり気の迷いだったと、いつかは来るかもしれない別れの前に、タシュバの反応も見てみたかったのだ。するとどうだろう。ほんのりと赤みを帯びたような顔色になってから、快く頷いてくれたのである。
配ぜん係のメイドは見た。
堅物な印象を持つ黒竜騎士隊長が、頬を染めて青年のように照れているところを。これは脈ありじゃね? と、椿を含めて誰もが確信していた。
めでたい出来事に気を利かせた竜王はメイドに簡単な花束を作らせ、椿に渡すように指示する。速攻で作ったらしい、ピンク色や黄色といった複数色の混ざった花束と、頭にかぶせる冠が椿に手渡された。また、お披露目の時に大きな花束を持たせるらしい。さっそく細かい指示をメイド長に注文していた。
***
「これも食べるにょ。あーん!」
朝食の途中だったので、女性のメイドさんに頼んで果物を持ってきてもらった。葡萄のように丸く皮がめくりやすいようになっていたので、フォークでそのまま突き刺していく。
タシュバの口が開くか開かないかの微妙な開き具合だ。何故か食べようとしないので手元が狂う。どんどん攻めようぐりぐりと、丸い果物をタシュバの口元やほっぺにねじ込むようにしていた。
「あ、あーん……ちょ、皮が残ってる。ちょっと待ってくれ」
「にょ! 忘れてたっ」
雪うさぎの丸い手でめくろうとしたら手がベトベトになった。
見かねたタシュバが濡れ布巾で、丸い手を拭いていく。椿から数個、果物を受け取ると器用に皮をめくっていた。めくったものは椿にいったんあずけ、再度口元まで運んでもらう。
「妻らしく振る舞うにょ! うへへ、私えらいかにょ?」
つぶらな瞳をらんらんに輝かせて、上目づかいでタシュバを見た。顔を赤くし、言葉に詰まったタシュバは口ごもったあと言葉にする。
「(うへへ?)あ、あぁ、偉い。ツキはちゃんと、その、妻になってるよ」
「褒められると嬉しいにょ~」
雪うさぎだらけで過ごす、楽園の夢を捨てたわけではない。ただ、今はこれでいいじゃないかと椿は思うことにした。体格差もあるけれど、愛があれば種族なんてへのかっぱだ。
それを教えてくれたのは旦那様のタシュバ。
椿が抱え持つ不安の垣根を飛び越えて、手を差し伸べてくれたのだ。もう離してなんかやらない。子持ちだろうがなんだろうが、椿はタシュバの妻であり家族の一員でもある。悲しい思い出はもういらない、嬉しい思い出をこれからいっぱい作るんだと奮起した。
「にょっ♪ にょっ♪」
「ここで一組のカップルが出来たんだね。実にめでたい。私はさながら恋の仲人じゃないか。……我が国でお見合いのイベントでも儲けようかな。きっと涙あり笑いありの大歌劇になるだろうね。奇跡の瞬間がいつでも見れそうじゃないか」
椿とタシュバのやり取りを見て感極まったようだ。竜王も瞳を輝かせて、子供心にも似た郷愁を抱いている。何かを始める前の高揚感を、再び感じたらしい。長く生き過ぎるとそういうものに疎くなる。椿を見て、自分にも何かできないかとエネルギッシュになりはじめた。
「決めた! 我が竜国ハルバーンをもっと栄えさせる。資源もそうだが、娯楽関連でも発展させよう。この際聞いておくか。ツキ、君はなにか良い案がない?」
できたてのパンを口いっぱいに頬張りながら咀嚼する竜王。いまは童心にかえっているらしい。フォークをくるくる回して口と鼻の間の上に乗せたりと、行儀が悪い事をやってのけている。鼻歌を歌いながら椿に聞いてきた。
「にょっ! うぅ~ん」
雪うさぎ帝国……は、まだ無理で。
構想を練ってはいるものの、イマイチ魅力に欠けるんじゃないかと渋っていた。でも、どうしても未来を夢見てしまう。
「うさぎカフェ、日光うさぎ温泉……とかにょ?」
「うさぎカフェはなんとなくわかるよ。モフモフな動物を見て癒されるんだろう? なんとか盛り込めないかな。でも日光うさぎ温泉って何?」
温泉の意味は分かるらしい。体の疲れを癒す目的で旅人や住民が使用する施設だと、こちらの世界でも現存している。だが、何故うさぎがそこで出てくるのかと心底不思議そうな顔をする竜王。
椿は説明した。自分みたいな雪うさぎは雪の化身なのに、熱で溶けない事を市民にアピールしたり、見てもらうだけでも癒しになると。
過去に自分が居た世界では、犬・猫・うさぎカフェがあったし、お猿さんが名物の温泉まである。動物好きにはたまらないだろう。
「いろいろと参考にさせてもらうよ。あぁ、今日は実に充実した朝だ。椿とタシュバのおかげだね。脳が若返ったようだ」
「そうにょ? 昨日会ったばかりで、私には違いが分かりませんがにょ」
「そ、そろそろ失礼します。行こうか、ツキ」
「分かったにょ旦那さま。えへへ、抱っこしてほしいにょ!」
遠慮なしで抱っこを強請る。タシュバに両手で優しく抱え込まれた椿は、竜王に会釈して巨大な居間を出た。残された竜王は、椿達の去ったドアを眺めていると独り言をぽつりとこぼす。
「雪うさぎ帝国か……あの子が女王となるかもしれないね。先が楽しみだな」
*****
その頃、タシュバと椿は離れにある東屋の庭園にいた。
室内はぽっかりと陽が当たるようになっているためか、たくさんの花が咲き誇っている。庭師の腕もあるのかちゃんと整備されていて、アーチ状に花が飾られたり、段差で飾られたりと美しかった。
花畑の箇所にくると椿を抱えたままのタシュバは腰を低くして、花を何本か手折る。椿の丸い尻尾に飾り付け、先ほどメイドに作ってもらった冠に差し込むと、またいっそう華やかとなった。
「その、これから夫として至らないこともあるが、そんな時は遠慮なく言ってくれ。俺には過去に妻がいたが、あんまり構ってやれなかったんだ。その、どう言ったらいいのか……あ、いや、椿にはそうじゃなくて、一緒になる事を絶対に後悔させないし、幸せにする。ずっと一緒にいればきっと、もっともっと好きになる! うむ」
椿の額にキスして、頭とピンク色の垂れ耳を幾度も優しく撫でる。今はこれが精いっぱいらしい。タシュバにとっては些細なことでも、椿にとってはほんのりと幸せな気持ちを味わった。
「あ、ありがとにょ、タシュバ。これ以上ない幸せにょ」
綺麗な花畑に囲まれながら、タシュバから聞く事ができたプロポーズ。言葉は少ないが、椿にはタシュバの気持ちが凄く分かる。もう少しこの幸せに浸りたい、でも、どこかまだ不安になる。
不安にさせるのは紛れもなく自分自身。どこかでまた、思い違いをする時がくるやもしれない。応援してくれる竜王とタシュバの為にも、心を強く持とうと決心した。
「家族は皆で幸せになるにょ。これからも一緒に過ごそうにょ」
あたたかい腕に包まれて椿は瞳を閉じる。
隣にタシュバがいる場所こそ椿の場所だと、自分に言い聞かせて庭園を出た。