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あと一歩、踏み出したなら。  作者: 姫ちゃん
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美郷と約束をした翌週の木曜日。柚葉は重い体を引きずるようにして図書室へ向かっていた。これほど図書室へ行きたくないと願うのは初めてのことだった。一人で過ごしていた場所が、遊馬と二人のものになって、そしてこれからそれを自ら手放そうとしている。柚葉の心は鉛のようだった。彼の傷つく顔を見ても、私は非情になりきることができるだろうか。もう、この場所に来ないでほしいなんて言葉を彼に投げつけられるのか。しかし考えても考えても遊馬にそうと納得してもらえる理由が見つからなかった。彼は絶対に納得しないだろう。頭のいい彼のことだから、何か事情があるとも考えるだろう。それではダメなのだ。美郷との約束は完全には守られたことにはならない。



悩んだ挙句、柚葉は嘘をつくしかない、と判断した。

自分の中の真実にはこれっぽっちも彼を突き放す理由は見当たらない。それなら、作るほかない。

思いついたのは、自分をも裏切るような、最低な嘘だった。



ガラリ、と図書室のドアを開けた。いつもより、ドアが数倍重く感じられた。

いつもは柚葉の方が先に到着するのに、この時に限って遊馬が先に来ていた。それもいつもの窓際ではなく、カウンターに近い席に座っていた。遊馬は柚葉を見ると、「今日は俺の方が先だったね」と笑った。話を切り出せば、きっと、彼はもう私に向かって笑いかけることはないだろう。妙に、泣き出したくなった。



柚葉は覚悟を決めた。カウンターにカバンを置き、奥に入ることなく、カウンター前に立ち尽くして柚葉は遊馬に話しかけた。


「あの、さ。遊馬君」


「なに?」

遊馬は問題集を解いているらしく、ノートの上をペンがせわしなく動いている。



「もう、来週から、図書室、来ないでほしいの」


柚葉は震えそうになる声を必死に律して、そう言い切った。

ペンがぴたり、と動きを止めた。遊馬の瞳が大きく開かれた。身体は柚葉の方を向くことはない。そして何も話さない。彼はこの時、石像のように動かなかった。

柚葉は怖かった。彼がこの沈黙の後、柚葉に何と言葉をかけるのか。



「・・・・・なんで」

喉から絞り出すような声で遊馬は言った。



「私・・・・・」



そして放った。最低の嘘を。




「私、彼氏ができたの」



遊馬がこちらを向いた。驚きと、どこか焦燥が混じったような顔。いつもからかいに輝く瞳がこの時は深く沈んでいた。彼は今、何を考えているのだろう。きっと、傷つけてしまっている。そう思うと、胸が絞られたかのように苦しかった。それでも、柚葉は続けた。



「彼氏が、できたから、ほら、こういう場所で二人でいてもあれでしょ?彼氏に変な誤解、させたくないの」

遊馬が無言なのに柚葉は焦ってさらに言葉を紡ぎ出す。


「遊馬君だって彼女いるでしょ?バレたら困るじゃない、今までも私彼女さんに申し訳なかったし、これでいいのかって思ってたし!遊馬君は勉強してるだけでも、周りから見たらそうは見えないでしょ?だから、」

もう遊馬君はここに来るべきじゃない。そう言い切る前に遊馬が柚葉の言葉を塞いだ。



「誰?」


「え?」



「だから、彼氏。誰?」

彼はもしかしたら、これが嘘だと既に見抜いているのかもしれない。現に私は彼氏の名前を挙げられない。だって、嘘なのだから。柚葉は言い淀んだ。どうしよう。



「・・・別に言う必要ないよね」


「俺には言えないってこと?」



「そうだよ。遊馬君には教えられなーーーーー」


ガラリ、と音がした。そちらを見ると、一人の男子生徒が図書室に踏み入るところだった。しかし入った瞬間、ただならぬ空気を察知して、足が止まる。



あおい君・・・・・」




                ☆ー☆ー☆ー☆ー☆



水梨蒼と柚葉が再び会ったのは、校舎の中にある自販機の前であった。柚葉は彼の持つ独特な雰囲気と顔ですぐに気づき、先日のことを礼を言った。


「あの!・・・・・先日はありがとうございました」


「いや、別に大したことじゃない。・・・あの後、大丈夫だったか」

何が、とは言わなかったが柚葉のことを心配してくれているのは明らかだった。


「はい、大丈夫です。ありがとうございます」

彼はそうか、とだけ呟いて買ったペットボトルの水をぐいと飲み干した。透明な水が彼の男らしく角ばった喉に流し込まれていく。彼がこの水のように感じられるのはもしかしたら日頃からこのようにして水を摂取しているからなのかもしれない。そう考えると少しおかしかった。


「なに笑ってんだよ、先輩」


「いや、別に笑ってなんか・・・ん?」


先輩?


「ごめんなさい、もしかして後輩?一年生?」


「・・・・・そうだけど」


これまでの柚葉への物言いなどから判断して上級生だとばかり思っていた。まさか、年下だったとは!


「あれ、私が一年だっていう可能性は?」

ふと不思議に思って聞くと、彼からは予想外の返事が返ってきた。


「ねえよ。だってあんた、図書委員で2年のところに名前書いてたろ」


「なんで私が図書委員なの知ってるの?」

はあ、と彼はため息をついてから、びっ、と柚葉を指差した。


「あんたと俺、初対面じゃないんだぜ?」

柚葉はわけがわからず首を傾げる。完全に彼に関する記憶がない。どこかで出会ったとしても、彼の持つ雰囲気はなかなか忘れられるものではないのだが。

「俺も、一応、図書委員なんだけど」

水梨の言葉がきっかけで、柚葉の記憶に雷光の如き速度で記憶が蘇る。というよりかも埋めてしまった記憶を掘り返したのに近い。

あの日。今年度初めての委員会でのことだ。委員会といっても名簿に名前を書き、曜日の割り当てと基本的な仕事を知るだけの集まりであったのだが、柚葉は水泳の本を開きながら窓の外にあるプールを焦がれるように見つめる男子に確かに、話しかけた記憶があった。内容は忘れたが、それは確かに彼であった。水梨の言う通り、二人は初対面ではなかったのだ。


ぼうっとしている柚葉を横目に見て、水梨はふうっと息を吐き出した。

「・・・思い出した?」

「うん。ごめん。すっかり忘れてた」

えへへ、と笑う柚葉に水梨は目を細めた。ややあってから、問いかける。

「会話の内容、覚えてるか?」

「話しかけたことは覚えてるんだけど、なんでだろう、内容は全然。私、なんていってた?」

「・・・別に。大したことじゃねえし」

柚葉は気になったが、水梨はふいとそっぽを向いてしまったので聞けない雰囲気だ。



「ってか。私先輩なんだけど」

「知ってるよ。で?」

「で?じゃないでしょ!私先輩なんだけど!なんでタメ語なの!」

「別にいーじゃん。妙に気ぃ使うよりは」

「確かに気を使わないのはいいかもだけど!」

「これからよろしくな、『加藤先輩』。俺の名前は水梨蒼。下の名前で呼んでくれりゃあいい」

「勝手に話進めない!」





                 ☆ー☆ー☆ー☆ー☆



こうして少し生意気な後輩ができたのが少し前。そしてなぜかこの後輩が、柚葉と遊馬の張り詰めた空気を破るようにして現れたのだ。彼とは当たり前だが委員として担当する曜日は違う。そして担当外の曜日にこの図書室に足を運ぶことは決してない。誰も来ないのが分かりきっているから、この時間だけこの空間は自分のテリトリーなのだと全員が自覚しているからこそだ。だからこそ、柚葉も安心して遊馬を受け入れていた、はずなのだが。



「蒼くん・・・・・」

呆然として呟く柚葉の声に、遊馬が反応する。


「そいつが彼氏?」


「えっ!?ちっ、違うよなんでそうなるの!!」

驚いて思わず声が裏返るが、遊馬はそれを真実を突かれたことによる狼狽ととったらしい。

水梨は最初こそ目を白黒させていたものの、持ち前の精神力で落ち着きを取り戻した。図書室の中へ彼は踏み込み、遊馬へと近づいた。その目には余裕すら伺える。



「遊馬先輩・・・・っすよね?」


「そうだけど」

荷物をカバンに入れながら素っ気なく遊馬は答える。



「俺と先輩は付き合ってません。ただ・・・・・」


「・・・・・・?」

柚葉は水梨の話の展開が読めない上に、遊馬と話不十分なままで彼が出て行こうとしているのとで頭が混乱していた。

何を口に出せばいいのかわからない。



「俺、柚葉先輩のこと、これから狙うつもりです。なんで、邪魔しないでくれると助かります」


「なんで俺が君の邪魔しないといけないの。勝手にすればいい」

遊馬はいつもの彼とは思えないほど乱雑にものを詰め込んでカバンを肩に引っ掛けて足取り荒く出て行こうとする。

柚葉は足が固まったように動けなかったが、なんとか彼を追う。




「遊馬くん!」

ピタリと遊馬の足がドア前で止まる。彼は柚葉の方をちらりと振り返った。柚葉はこんなにも激しい感情を抱えた彼の瞳を見るのは初めてだった。怒りの炎、悲しみの青ととやるせなさなど様々な感情が瞳に同居していた。想いが色となって現れるかのようだった。

なんて言えばいい。なんて言えば。これで良いはずなのに、約束を果たせるはずなのに、唇が、言葉を模索してやまない。許しを乞う言葉か、真実を告げるか、はてさて彼女の心に眠る彼への想いか。されど、そのいずれも発せられることはなかった。




「ーーーーーーーーーーーー」





柚葉の代わりに、遊馬の唇が動いた。それはきっと、目の前の彼女にだけ届く言葉。少し離れた水梨には聞こえない程度の語気で。呟くだけだったのに、その言葉は彼女の心を深く抉った。

遊馬はドアを開けて歩き去っていった。バン、と強くドアが閉まった音が、遊馬と柚葉の距離を隔てた。物理的にも、心の中でも。柚葉は両手で顔を覆った。これで良かったのだ、と言い聞かせるも、自分の奥底から湧き上がる「嫌だ」と言う烈情がどうしても叫びだしてしまいたいくらいに抑えきれなかった。







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