2-61話 ヨルが観る者
第二部 撰択編
夏至祭の翌朝。
劍国神殿内は、
清められた空気で満ち溢れていた。
「Raziel。」
「はい、祭祀長様。」
呼ばれ、
控えていた黒髪の青年が静かに歩み出た。
短く揃えられた黒髪。
白い神学生の装束。
日焼けのない肌に、
夜明け前の星を思わせる藍色の瞳。
まだ少しだけ、少年の面影を残している。
祭祀長の前で足を止め、
彼は静かに一礼した。
「これより女王陛下をお迎えし、
日の出の礼拝を執り行う。
お前も、こちらに控えておりなさい。」
「承知いたしました。」
目を伏せ、
Razielは祭祀長の半歩後ろへ、
付き従うように下がった。
朝の光が、
礼拝堂の高窓から静かに差し込み始めていた。
一昼夜眠っていない身体は重い。
姿勢を保つだけでも、
気を抜けば意識が落ちそうだった。
それは、この場にいる誰もが同じだった。
礼拝堂の入口近くには、
神殿連絡局の女が控えている。
その後ろには、
各国から訪れた神学生や留学生達。
本来なら、Razielもあの列にいるはずだった。
だが――
「Raziel。」
「はい。」
短く返事をすると、
Razielは再び祭祀長の傍へ歩み寄る。
離れない。
いや。
祭祀長が、Razielを離さない。
「……。」
目を伏せたRazielの口角が、
ほんの少しだけ上がった。
手に入れた自分の立ち位置。
ここならば、近づけるかもしれない――
望みに、手が届くかも知れない。
その時だった。
礼拝堂の大扉が、静かに開かれる。
「ヨルが来られた。」
途端、神殿内の空気が変わった。
巫女達に囲まれ、
女王がその場に現れた。
巫女達と同じ薄い衣を身に纏い、
女王はゆっくりと歩みを進める。
だが――
神殿の者は、誰も女王を見てはいなかった。
そこにいるのは《ツルギ様》。
女王ではなく、ヨルを宿した器なのだ。
一昼夜に及ぶ祭祀を終えた身体は、
今なお現世へ戻りきっていない。
焦点の定まらない瞳。
歩くのもやっとだった。
Razielは、息を呑んだ。
ヨルと眠る日。
昨夜から続いた、継承者だけの儀式――
一体、何をしていたらこうなるんだ。
「夜の君。」
傅いた祭祀長に、女王は静かに歩みを止めた。
例年よりも、距離が取られている。
夏至祭は本来ならば、
男性王族と男性神官のみで
行う儀式だった。
だが、今年は。
祭祀の中心となる王族自体が、女性だった。
「……ええ、つつがなく。」
巫女達に囲まれた女王は、掠れるような声を落とした。
そして、ふと。
女王が視線を上げた。
「――――」
紫色の、瞳。
視線が重なった。
Razielの藍色の瞳と。
「――――」
瞬間。
清廉な空気が軋んだ。
女王の体が、わずかに強張る。
「………っ。」
Razielの呼吸が、見えない力に止められた。
足元が崩れるような感覚。
空間の重力が増したようだった。
気配が周囲を満たしていく。
ヨルが。
――――動いた。
「……ッぁ……。」
嘘だろ。
自分の呼吸が荒い。
Razielは驚いていた。
自分の、身体の反応に。
僕が?
うそだ。
身じろぎもできない。
身体が熱をもつ。
ありえない。
違う――
これは。
――――なんなんだ。
Razielの身体の奥底で、
確かに何かが動いていた。
「……っ。」
しばらくして。
女王は、巫女達に連れられて静かに歩みを進めて行った。
そして、両脇から支えられるようにして、
祭壇の中央で跪く。
夏至の光を迎えるために。
「Raziel。」
「……はい……。」
祭祀長に呼ばれ、
荒い呼吸を抑えるように、返事を返した。
ただ、それだけだった。
だが、
祭祀長は何かを確認するかのように頷いた。
しばらくして――
東の空から、
最初の陽光が差し込んだ。
最高司祭が立ち上がり、静かに礼拝を告げる。
夜明けだ。
Razielは、祈りの形に指を組んだ。
白い光が、礼拝堂を満たしていく。
その一筋が、Razielの胸元へ届いた。
銀の鎖の先で。
下げられた一つの指輪が、
淡く光を返していた。




