恋に落ちた。ただ、それだけだった。
僕はダニエル・アダマンタイト。よくいる貴族の息子だ。
僕の家は高位貴族である伯爵の爵位を賜っているが、高位貴族としては準高位貴族のような立場だ。
伯爵というのは、他の高位貴族のように外国との政略結婚はない代わりに、それ以外の仕事を任せられている。そう思っている。
そんな僕には幼い頃から婚約者がいる。
王立学校に入るまで、片手で数えられるくらいしか会ったことのない婚約者が。
婚約者のアンバー嬢とは学校生活の中で交流を深めていくものだ、と僕は思っていた。
思っていて、実際に交流を深めている時にアレと出会った。
一目、見た瞬間からアレを見ずにはいられなかった。
婚約者が隣にいても、目はアレを探し、見つめてしまう。
そうなると、アレのことしか考えられなくなる。
隣りに婚約者がいるにも拘らず、無理をして意識を向けなければ話も続けられない有様。
ただ、惹かれる。
どうしようもなく、惹かれる。
でも、好きになる要素は外見だけで。
その外見も、好みの色の髪や目をしているというだけで、貴族らしく整った好みの容姿をしているというだけで。
僕はアレの存在を無視することにした。
名前を思い出すことも拒否した。世の女性陣がゴキブリをGと呼んで、名前すら呼ばないのと同じように。
しかし、アレはGと同じで、どこにでも出没して、僕の拒絶を受けても諦めず、現れる。
アンバー嬢が言っていた『Gが出たら恐怖だ』ということを身をもって知った。
それなのに、アンバー嬢は『恋をしたのなら、その素晴らしい機会を活かせばいいのに』などと言ってくる。
どうしようもなく惹きつけられても、それだけで。
寧ろ、自分をおかしくする感情を引き出す気持ち悪い物との仲を応援されても困る。
「君はGとの恋を応援されたら、できるのか?」と言って、ようやく、応援する気を無くしてくれた。
婚約者の困った言動が収まっても、アレの言動は卒業まで変わらなかった。
卒業後のことまで考えたら、ここでどうにかしなければいけない。
僕はアレに現実を教えることにした。
「君は僕のことを好きみたいだけど、僕は同じ気持ちじゃないんだ」
「嘘! あんなにいつも見ていたのに!」
「見ていたからと言って、好かれているから付き合うなんて、全員ができるものじゃない。確かに君には惹かれるものがあるけど、それだけだ。昔からの婚約を壊したいとも思わない」
「政略結婚の柵があるなら、家を捨てたって、いいじゃないですか」
「馬鹿か、君は。二人で幸せに? 家事だってロクにできないだろう? お嬢様育ちの君が平民のように働けるとでも思っているのか?」
「あなたの為ならできるわ」
「無理だな」
「やってみなくちゃわからないじゃない」
恋ばかりで現実が見えていない。
そんな馬鹿な女を容姿だけで惹かれてしまう自分が嫌になる。
「都会に出て来た田舎娘が働き口を紹介すると騙されて娼館に売られる世界で、貴族並みの優れた容姿を持つ平民の女性が無事に生きていけると、どうして思えるんだ。容姿の優れた女性は金なり、権力で身を守らなければ、貴族や性質の悪い者に攫われてしまうんだぞ。守ってくれる家(権力)を自分で捨てたんだ。貴族や金持ちに弄ばれるか、娼館に売り払われるか、二つに一つだ」
「そ、それは・・・」
見目の良い平民女性が巻き込まれるトラブルは、何度も父の手伝いをしている時に遭遇した。大概は、領地を治める貴族の容認の下の人攫いで、高位貴族である我が家は近隣の下位貴族が関わる犯罪を調査しなければならないからだ。
貴族家当主は治める領地の裁判をする権利を持っているが、こういった貴族の犯罪は近隣の高位貴族が調査を担当して、国に報告する義務がある。
伯爵というのは、その面倒な仕事をする為にいるともいえる。
「平民に逃げても上手くいかないが、貴族として対処したとしても、婚約者への慰謝料の問題がある。非は不貞を働いた僕ら側にある。それに僕の婚約で始まった事業提携の損失はいくらになると思う?」
「お金、お金って、愛だって大事よ!」
「金銭の損失だけじゃない。事業に関わっていた者たちの仕事を奪うことになる。数多の人々の生業を、一時の感情だけで奪っても、君は平気なのか? そんな心の冷たい女を好きになれる男の頭はどうかしている」
だが、これは真実だ。一時の感情で、婚約を破綻させ、慰謝料だけでなく、事業の縮小で生業を失う人々への補償はお金だけでは済まないということは。
遣り甲斐のある仕事。
遣り甲斐のある職場。
遣り甲斐のある収入。
それらを、最低でも数百人規模で失わせる。
それが、伯爵家の婚約破棄だ。
だから、僕は容姿だけで惹かれたアレを徹底的に無視した。
僕は伯爵家の令息で、数百人の人生を左右する婚約をしている。
その責任を放棄できない。
この時点で恋をしたがるアレとは意見が合わない。
「・・・!」
自分の恋を肯定すれば冷たい女。
誰だって、そんな風には思われたくない。
恋に酔っているアレでも、他人の不幸の上に愛を成就させる冷たい女と言われて、ショックを受けたようだ。
今更、過ぎる。
アンバー嬢は『恋をしたのなら、その素晴らしい機会を活かせばいいのに』などと言ったが、それは婚約を壊さずに『恋を楽しめ』ということだ。
アレはそんなことすら思い至らないから、僕を執拗に追いかけていたのだろう。
つくづく、『恋はするものではなく、落ちるもの』と言われる理由がよくわかる。
落ちた後にどう動くか。
それがわからない人間は、権力者に飼われていた方が幸せだろう。




