02:中級ロビー
ウィッシュには希未の身体を収納してもらい、俺はいつもの服に着替えるついでに顔も洗って、準備は完了。
もう昼過ぎだけど、今日もまた探索に行きますかねーと、靴を履いて、玄関の扉を開け――
「ッ!?」
「?!」
「……」
「……」
玄関の扉を開けてみたら、丁度目の前の内廊下を、希未より少し小さいぐらいの金髪の女の子が通るところだった様子。床は硬質な素材だというのに、扉や壁の防音性能が高いのか、足音は全く聞こえていなかった。
女の子の方も扉を開くまで全く気づかなかったようで、その青い目を俺の方に向けたまま、互いに数回瞬き。
「あー、えと、こんにちは?」
「え、ええ、こんにちは」
「……や、人が居るとは思ってなくて、たまたま出かけるところだっただけなので、失礼しますね?」
「あ、そうなのね。私も変に身構えちゃってごめんなさいね」
「いえ、気にしないでください」
我ながらちょっとこれはないんじゃないかと思うぐらいぎこちない挨拶を交わしつつ、ぺこりぺこりと頭を下げて玄関扉を閉じる。オートロックだから、扉を閉じれば施錠も完了だ。
何となく居心地は悪いので、エレベーターに向かって真っすぐ歩き、下向きに進むエレベーターを呼び出す操作をアビリティで実行する。
(全く気づかなかった……もう何秒かズレてたらスムーズに行けてたんだけどね)
(何となくですが、気配を消し慣れてたんですかね? かなりわかりにくかったですよ、あの子の気配)
(へぇ。まぁ、Lvも俺より高そうな気はするし、そういうこともあるか)
エレベーターが到着したのでそのまま乗り、一階で止まるように予約を入れていると、さっきの女の子も乗ってきた。
女の子の方も一階で問題なかったようで、操作盤に視線を向けて、扉を閉じる操作だけをした様子だった。
静音仕様かつ二桁階ではあるものの、到着までの時間はそれほどでもない。
女の子の方がエレベーターの出入り口に近かったので、一階に着いたエレベーターからは俺の方が後に降りて……歩幅の差で転移門には先に到着した。
◇
公園に着くと、昼だけあって周囲の人通りは中々に多かったものの、転移門付近が混雑している様子はない。
澱界宮行きの転移門はともかく、一般の転移門には電車やバスのような出発待ちの時間がないからかな。同じ路線で複数の駅を経由したりするわけでもなく、どの転移門からどの転移門に行くにも、利用者個人の任意で、即座に移動が完了するなら、元の世界と比べて混雑が非常に起こりにくいのも頷ける。
(……そういえば、探索者ギルドからの位置関係は覚えてないから、転移門以外では帰れないか。そんなに遠くなかった覚えはあるし、後で地図でも見てみるかな?)
(たしか購入されてましたよね。読ませていただいても?)
(うん、いいよー)
ウィッシュはなんかこう、その気になったら無茶苦茶あれこれできそうだけど、物凄く自重してるなとはよく思うところ。
それはともかく、公園を真っすぐ歩いて抜けて――昨晩も通った道をなぞるように中級ロビーへ移動。
夜よりも人数が多いようで、ポアレ草沼宮行きの転移門は満員らしく、いくつかのパーティーが転移門に入らないまま通路で待機している。
何列かに綺麗に並んでいるわけではないとはいえ、何となくパーティー単位で並んでいるのはわかるので、その最後尾にポツンと立つ。知り合いが居ればよかったけど、リシー達がこの場に居ない時点で俺の心当たりは全滅である。
まぁ、ソロで挑んでる探索者も居ないわけじゃないから、組む必要があるわけでもないみたいだけどね。
俺はLv二〇ぐらいまで上げてあるナイフ型の剣を背負い、リストバンドも二つ装着しているから、今すぐ転送されても問題はない状態。でも、転移門の転送は一〇分ごとだから地味に待ち時間がある。
(ここだけ何回も待たされるようなら他に行くところだけど、どこも同じぐらい並んでるからなぁ……)
(お昼は避けるべきだったかもしれませんね)
(だね)
ぎゅうぎゅうに人を詰めた状態から転送されるのではなく、ある程度の人数に達したところでブザーが鳴る仕組みになっていて、パーティー全員が入れなかった場合は数人戻ってきたりもしている。
ソロなら加わることもできそうだけど、順番を無視している探索者が居る様子はないし、次の次ぐらいの位置だから、迷宮まであと二十数分。
……地味に長いな。
(本を読むにもちょっと微妙な時間で、収納中の装備の手入れは済んでるから……やっぱり本を読むかなぁ。途中で切り上げても気にならない奴……何があるかな?)
(……お料理のレシピ本、とかですかね?)
(あー、そうだね。この世界の普通のレシピも多少は頭に入れておきたいし、そうしよう)
買うだけ買って手を付けていない本はまだあるので、こういう時には便利だ。
まぁ、技術が発達したから野生の獣の生肉だって安全に食べられる……みたいな情報は乗っててもガン無視するけどねー。
塩を入れると甘味が増すなんて話はよく聞くけれど、スイカに塩を振ってみても足された塩味を邪魔に感じるのが俺である。刺身や寿司は普通に食うけど、生特有の旨味だなんて言われたところで実感したことはない。
何を食べても健康を担保できるなら、俺は肉汁のしっかりとした旨味を満腹感込みで味わいたい。……ああ、でも、スイカも寿司も刺身も久々にちょっと食べたいかも。スイカはもちろん塩なしで。
………………
…………
……
転移門のベルを二回聞いて更に少し経った後、大型エレベーターのような転移門に足を踏み入れることができた。
これから更に約一〇分待ったら、ようやくこの転移門が対応する澱界宮、ポアレ草沼宮に行くことができるわけだ。
(アトラクションの待ち時間だと思えば……いや、それでもちょっと長いかな)
(遊園地自体が大人気だった場合、一時間待ちとかもありますよ? 三〇分未満はむしろ短い方ではないかと)
(ええ? 修学旅行で行った東京……いや、千葉県だっけ? あの遊園地でもそんなに待たされた覚えは……あ、修学旅行は平日か)
(ですです。連休中は凄いですよ)
(うへぇ……そういう所と比べたら、一度入れば主観的に何日でも居られる迷宮の方が何倍もマシかな)
(あー……いえ、その、アトラクションの話には乗りましたが、迷宮は直接的に命に関わる環境なので、並べて語るのはどうかとも思うのですが……)
(……まぁ、それはそうか)
アトラクション以外で例えるなら、何だろ? ……電車?
一応、転送を待つ転移門内の人口密度はせいぜいが駅構内程度で、歩き回れる程度の余裕はあるから、満員電車のような不快感はない。転送に掛かる時間だって、主観で数秒掛かる程度だしね。
◇
急に明るい屋外に転送されるのにも、ちょっと慣れてきた。
共生に近い状態にあるウィッシュのおかげで俺は敵意を感知できて、まだ目は慣れきってないけど、モンスターに見つかっていないことはわかる。
(しっかし、下級ロビーの迷宮とは色々違うねー)
(下級ロビーだと、どこも出発地点は固定でしたしね)
(うん)
ポアレ草沼宮の特徴、というほどではないものの、ここは下級ロビーにはなかった、単層型と呼ばれる階層が一つしかない迷宮になっている。
迷宮内に転送される先が大きな石の台座になっている点は変わらないものの、同じ台座がいくつも設置されているらしく、他のパーティーの転送先は別の台座になったらしい。そしてパーティーを組んでいない俺は、まぁ、ソロが他に何人も居たら違ったんだろうけど、ポツンと一人で居る状況だね。
アビリティの【所在確認】で見てみれば、他のパーティーもここと同じように、階層の外側寄りに転送されていることがわかる。パーティー単位だからか、一〇人ぐらいが一か所に集まっている地点もある。
(まぁ、歩いて探索するのは割と無茶な迷宮だと思うから、低空飛行で行くよ)
(はい、お気をつけて)
(うん、ありがとう)
階層が一つしかなくても広さ自体はかなりのもので、規模の表記はB。国と言っても問題ない広さである。【所在確認】で見たところ、海も含めて北海道の陸地より少し広いぐらいかな? そして迷宮の陸地部分がどの程度あるかは不明だけど、半分以上はありそうだから、九州より広いぐらいかな。
規模の表記はかなりアバウトで、元の世界の基準で例えるなら、日本の県一つから本州全体ぐらいの範囲ならB、日本の陸地部分全体からオーストラリアぐらいまではB+、アメリカ北大陸ぐらいでA、ヨーロッパ大陸に近くなればA+、地球と同等かそれより大きければA++、といった感じになっていたはず。
何にせよ、外の時間で一〇分、中の時間で一週間程度の期間で探索しようとしたら、探索元の世界と大差ない身体能力では少し厳しい広さの迷宮ってことだね。
地形に関しては、『草沼宮』なんて名前の割に、起伏に富んだ山も海もある広い土地といった見た目だった。とはいえ、底なし沼なんかは普通にありそうだから、飛ぶ以外の選択肢はちょっと厳しい。
底なし沼にハマっても背泳ぎや匍匐前進で抜けられる、なんて知識を自分でも少し試してみたい気はあるけど、この迷宮でやる必要もないので、ハマったら即座に沼自体を収納して終わらせる所存。
ということで、【物品目録】から無反動で射出できる水を動力として加速できる、動力器を組み込んだ脛当てを装着して宙に浮く。加速性能はそこそこ、最高速度は空気抵抗次第、航続距離はほぼ無限という自慢の一品だ。
(にしても……直線距離でざっと、階層の中心まで二〇〇キロ弱? 中々にぶっ飛んだ規模感だよねぇ)
(フルマラソン四回分以上ですね……移動距離だと、クレアス大迷宮ぐらいになるでしょうか)
(そう考えると、あの迷宮も長かったね。でも、細い通路を通るために直角に何百回も曲がったあの迷宮と比べれば、こっちの方が気楽かな)
(そうですね。あの迷宮はちょっと、目がまわりそうでした)
(あー……立場が逆で俺が見る側だったら確実に酔ってた自信があるよ)
他人がプレイするFPSを何十分か見て酔った経験はある。目の動きに応じて素早く向きが変わる視点を何時間も見続けて耐えられるとは思えない。
……視線の動きはもう少し控えておいた方が良いかな?
(あ、えっと、私の方は大丈夫なので、気にせず動いても問題ないですよっ)
(え、そう?)
(はいっ。これまでも大丈夫でしたし、あの迷宮が特に優しくなかっただけです!)
(……まぁ、そこは同意。わかった、気にしないでおくよ)
ぶっちゃけ、どうすれば視線の動きを抑えられるかもわからないし、それで色々気にして動きや判断が鈍るのはよろしくない。
通路をわざわざ通る必要がない分、今回はかなり速度を出せているわけだしね。
階層が分かれているわけでもないこの広大な地形のどの辺が『迷宮』なのかと、ちょっと首を傾げたくはなるけども。
(……速度といえば、結局何も用意してないままだったけど、ヘルメットでもちょっと作るかな)
まだ一キロも進んではいないものの、作っておいた方がよさそうな気もするし、近くには丁度視界が通りにくそうな竹林があったので、足を止めて作ってみることにした。
できれば、全体的なシルエットはできるだけシンプルな曲線になるように、顔を覆う透明な板も少し丸みを帯びさせる。あまり厚みを持たせる気はないし、透明度も高めのアクリルとはいえ、視線の通る角度が浅いと透明度や屈折率の影響をモロに受けて見えにくくはなるからね。
何かに衝突した際の衝撃は『防護』のリストバンドに任せるつもりだから、厚みはそれほどなくても良い。重視したいのは空力的な保護だ。元の世界に居た頃、エアコンプレッサーに関連する死亡事故のニュースは何度も聞いて呆れたものだし、顔は何といっても穴が多い。Lvが上がった分だけ耐久力も上がってはいるんだろうけど、高速で移動しても耐えられるかはわからないから、防具は用意しておくに越したことはない、と思う。
(なんかちょっと、機動隊の人みたいですね?)
(……確かに? あぁ、でも、この内側に口と鼻を覆う硬いマスクも着けるつもりだから、そこまで含めると、ちょっと悪役っぽいかもね)
被り心地は、ぼちぼち。重量は軽めに仕上がっているとはいえ、聴覚への影響はそれなりにあるし、目の前の、顔から数センチは離れた絶妙な位置に透明な壁がある状況への慣れが少し足りてない。まぁ、そのうち慣れるとは思うけどね。
(それじゃ、一応完成はしたことだし……って、モンスターに見つかったかぁ。……あれ?)
そのまま襲い掛かってくるかと思っていたのに、何か笛みたいなものを吹き鳴らしただけで、何もしてこない? どういうことだろうと視線を向けてみれば、凶悪そうな表情を浮かべた緑色の小人が俺の方を睨んで、粗末な構造の石槍を構えている。……このモンスターの名前は多分、ゴブリンかな。
(敵意自体は強いままですけど、周囲のことを意識する余裕もありそうですね)
(……だね。というか、理性がある以上に……ボス以外の人型のモンスターが珍しい気が……)
今までボス以外で人型だった例は、ファーバ草原宮に居た、『防護』の宝珠の力を得たヤギ型のボスもどきぐらいだった。ボス以外も普通の動物と比べれば明らかに体格が大きくて、考えなしに、一直線に突っ込んでくるようなモンスターばかりだった。
ところが、今回遭遇したモンスターは真っすぐ突っ込んでくるわけではなく――あぁ、仲間が集まるまで待ってたのか。なるほどね。
横から矢が飛んできたので一歩引き、向き合っていた個体が投げた槍も横に動いて回避した。




