01:ランクアップ
ラミナリア臨海宮では、二日目の夕方まで待った時点で第五層にも第四層にも探索者が居ない状態になっていたので、第五層のボスを仕留めて祭壇から宝珠を取得、海水も結構な量を収納してから精算を済ませて下級ロビーに帰還した。
迷宮の外は、ロビーからだとちょっと見えないけど、今回ギルドに来た夜から日付すら変わっていない夜のはず。
(迷宮の中で二日のんびりしてても外ではせいぜい三分程度しか経過してないってのは、わかっててもなかなかの違和感だね)
(ですね。……そういえば、迷宮や公共設備以外で時間の流れが速くて、こう、落ち着いて休める部屋とか、ないんでしょうか)
(んん……そういうのは、流石に制限してるんじゃない? 外では夏休みぐらいの時間しか経ってないのに中では一〇〇年、なんて空間が当たり前にあったら人間関係ぐっちゃぐちゃになるでしょ、多分)
(……夏休みは、四〇日ぐらいでしたっけ。ええと、一〇〇〇倍だとしたら、中は四〇〇〇〇日……本当に百年を軽く超えてますね。わぁ……)
(…………だからまぁ、制限されてるんじゃないかなってね)
歩きながら頭の中でウィッシュと話しているうちに、気づけば受付の前まで来ていたので切り上げる。
時間帯が違うせいか、受付に控えているのは以前登録した時とは別の受付嬢だ。
「こんばんは。何かご用でしょうか?」
「こんばんは。探索者のランクを上げられるようになっているそうなので、そろそろその手続きをお願いしようかと」
「それでは、探索者組合証明札をお願いします。はい、確認させていただきま……凄い成果ですね……これ、そのまま中級まで上げられますよ? というか何でこんなに溜めてたんですか?」
「それなら……まぁ、中級になれる確信はありませんでしたが、下級ロビーの迷宮を一つしか探索したことがない状態で下級ロビーに来られなくなりそうなのはどうかと思ったからですね」
探索者は初級、下級、中級、上級、超級の五段階。ロビーは下級、中級、上級の三つに分かれていて、それぞれのロビーから向かえる迷宮は別のもの。
そして、下級ロビーは初級および下級探索者向けのロビーだ。
「あぁ、探索回数は少ないんですね……そういった理由であれば下位のロビー利用も十分認められるとは思いますが、確かに、このやり方の方がスマートかもしれません。ランクアップは、下級まででいいんですか?」
「はい。中級は、中級ロビーの迷宮を何回か探索してからにしたいところですね」
「承知しました。……更新が完了いたしましたので、証明札をお返しします。中級へのランクアップも可能な状態なので、更新の際にはまたお気軽にお申し付けください」
「はい、ありがとうございました。それでは」
無事に更新された組合証明札を受け取り、受付から離れ――このまま帰ってもいいけど、中級ロビーをちょっと見てみることに。
探索者ギルドを通り抜けると入れる探索者の街を通って、今度は左手側にある探索者ギルドの建物へ。
この左手側の建物は、一応非常口ぐらいはあるものの、それ以外で街の外に出られる構造にはなっていない。そんな建物の中にあるのが、中級ロビーの一つだね。右手側の建物の中にも中級ロビーがあって、そっちの転送先に中級の中では高難度な迷宮が揃ってるらしいけど、今は用はない。
中級以上のロビーに通おうとしたら街の中に住むのが楽そうだけど、地味に高いんだよねぇ。数か月単位で毎日通うならアリかもしれないけど、俺はまだ許容できる範囲なので外から通う予定。
収納している組合証明札が自動で照会でもされているのか、何かの防犯ゲートのような雰囲気のオブジェを通り抜けても何の問題もなく、下級ロビーと似た見た目の中級ロビーに到着した。何となく、ちょっと高級感はあるかもしれない。
ぱっと見でも下級ロビーより人数が多いし、探索者のLvも高い分だけ存在感があって、そう見えてるだけかも?
(……まぁいいや。えっと、中級で一番簡単らしいポアレ草沼宮は……左端か)
(わかりやすい配置ですね)
(そだね。あとは、ちょっと軽装な人が多い感じかな)
(……下級ロビーの方たちが重装備なのでは?)
(それは、そうかも。さて、来たばかりだけど場所はわかったし、帰ろっか)
(はいっ)
もともと帰る気満々で、ついでに寄ってみただけだったからね。
◇
バス停ぐらいの間隔で設置されてそうな転移門から出て、街灯に照らされた静かな道路をしばらく歩き、日照権のような概念が失われてそうな高層建築群の一つに入り、扉の開閉以外ではほぼ音がしないエレベーターで目的の階へ移動し、余裕をもってすれ違えそうな内廊下を通って、3LDKの自分の部屋へ。
なんというか、通販や防音なんかの技術が発達しすぎてちょっと寂しい勢いで静かな街だけど、人の気配はあるらしいから、文字通りのベッドタウンというべきか。
玄関では操作一つで靴の洗浄を完了。ほぼ土足ではないとはいえ、元日本人として外靴を履いたままなのは気になるので、スリッパに履き替える。
「ただいまー、かな」
「はい、私もただいまです」
俺の【物品目録】とは別の収納から、ウィッシュがするっと出てきた。今回操作している身体は希未・変身前だけで、服装はログハウスで休んでいた時と同じ、新型スク水の上に体操服を着た状態のまま、足元だけスリッパに履き替えている。
「えっと……そっちが気に入ったの?」
「い、いえ、あ、その、どちらも大事ではあるんですけど、希未はずっと焦らされている状態だったので、希未を可愛がっていただきたいなと」
「あぁー……それは確かに、その通り……?」
迷宮の中では結局何もしなかったし、わからないでもない、かな。
………………
…………
……
まぁ、あれだね。
砂浜の砂というのは二酸化ケイ素のような硬度の高い粒が多く含まれるので、頑丈な紙に接着剤などで固定すれば紙やすり、圧縮空気で吹き付ければ錆落としとして利用することもできなくはない。粒の大きさが結構バラバラだし、実際にはもっと適した材料を選ぶと思うけど、歯よりは硬いぐらいだから十分な研磨材にはなるんだよね。結構今更な話だけど。
そして、接着剤ほどではなくても十分な粘度がある液体と混ぜたものをどうにかして押しつければ……まぁ、結構ザラザラしながらチクチクもする。
砂も迷宮で取ってきたものをそのままとかじゃなくて、分子レベルできっちり選別した二酸化ケイ素の粒だし、フレッシュゴーレムはゴーレムの核の魔力があれば身体を維持し、修復することもできる。
うん。
希未・変身前の身体に対する結果を何かに例えるなら、ゲームなら自動で発生する追加効果が一段階増えたような……イラストなら、目の奥にハートマークがすぐ浮かぶようになった感じ?
そんな希未・変身前が寝る前に着替えたのは、長袖ハイネックな練習用のレオタード姿。足以外の大部分を覆っている黒い布地は、僅かな動きが光沢でわかりやすく、濡れた際にはまた違った光沢を見せるので目を惹かれた。
レオタードには別途インナーを着る前提で裏地なしのものもあり、希未のこれは――まぁ、それはともかく。体温で温められ、内からの圧力で適度に引き延ばされた伸縮性に富む布地の手触りも心地良かった。
それが部屋で寝る前の出来事であり、寝起きに風呂場でさっぱりしてからふと時計を見てみれば、時刻は既に午後二時過ぎ。出勤時間に縛られているわけではないとはいえ、流石に気になる時間帯……いや、時間は言い訳かな。単純にあれだね、賢者タイムってやつ。
ウィッシュも希未・変身前だけ出して脱衣所の床にぺたんと座っている状態。まぁ、満足気ではある。別の身体を操作してても今は同じ感じになりそうだから、少し休憩した方が良いかな。水気はしっかり取ってあるので、このまま移動しても問題はない。
「ウィッ……じゃなくて、希未ー?」
「っ、ひゃいっ?」
名前付きの身体を動かしている時はその身体の名前で呼んでほしい、って話だからそうするようにしてみたけど、まだあんまり呼び慣れてないし、呼ばれ慣れていない感じ。
「……えっと、リビングに行こうと思ってるところだから、抱えるよ?」
「は、はいっ」
正面から首に腕を回させ、太腿の下に手を入れて抱え上げる。
結構な身長差があるから、希未の身長に近い長さの緩い三つ編みを床に触れさせずに歩くのも難しくはないし、そこまで重くもない。存在力を集めて上げた存在強度のおかげで、元の世界で例えるなら、体感的には一〇キロ入りの米袋を抱えている程度のものだ。
布地や肌に触れてる感触は気になるけど、寝る前から楽しんでいた感触なので精神的な余裕は多少ある。
そんなこんなでリビングへ移動して、さて何をしようか。そういえばちょっと小腹も空いたし、簡単な料理とか?
「……ニンジンでもちょっと蒸してみるかな」
日本のスーパーにも並びそうな品質のニンジンが何百本単位であるので、スチームオーブンレンジの容量から考えて二〇本ほど選び、皮を剥いて、片手で軽く水洗いしながらトレーに乗せて扉を閉じ、調理工程を設定する。物理的な操作も受け付けてるけど、アビリティの練習も兼ねて【操作】で済ませた。
「え、切ったりとか、しないんですか……?」
「うん、じっくり加熱する予定だから、表面積をあんまり増やしてもなんだしね」
ニンジンやサツマイモというのは、大体七〇度ぐらいの範囲で働き始めて八〇度ぐらいで失活する分解酵素の働きで甘くなる野菜だから、できればこの範囲はじっくり超えさせたい。そして、調理対象が大きな塊だとどうなるか。温度の上昇が緩やかになって、断面が少なくなる分栄養の流出も抑えられる……と思ってやってたけど、実際どうかは知らない。
一人暮らししていた頃に使っていた電気蒸し器は、便利は便利だったけど調節可能な温度がアバウトだった。調理モードだと普通にガンガン加熱するものの、保温モードでは水温を設定値に保つだけ、というものだったので、適温にしつつ時間がかかりすぎない調整を色々考えた覚えがある。
その頃の苦労は置いておくとして、分解酵素をある程度しっかり働かせたら甘くはなるものの、更にしっかり蒸し上げないと芯が残ったままだったりする点にも注意だね。
で、この世界のスチームオーブン機能がどうかと言えば、一〇〇度以下でも指定した温度に調整した湯気を当然のように循環させてくれる。まぁ、業務用なら普通にありそうだけど、それほど高いわけでもない一般家庭用の調理家電が、当たり前にそんな機能を備えてくれている、というのがありがたい。
ということで、七〇度で二〇分ほど温めて、それから一〇〇度で一五分ほど蒸す、という工程の設定を済ませたら、あとは実行完了まで放置するだけだ。蒸し時間は少し短めだけど、加熱の効率はよさそうだし、味見をして固かったら蒸し直せばいい。
「……えと、ご主人様って、ニンジンお好きなんですか?」
「んー……野菜の中ではそこそこ好きな方だと思うけど、料理の中では普通かな」
「えっ、この量で?」
「いや、こんなにまとめてやるのは初めてだよ? ちょっと調理に時間は掛かるけど、アビリティで保存できるし、アビリティのおかげで手間もなかったし、調理も並べて予約を入れて放置するだけだからやってみた、って感じだね」
「そ、そうなんですか。……自分で作っていた時には、どんな食べ方を?」
「それなら、マヨネーズを付けて丸かじりが多かったかな」
「…………味の予想が、ちょっと、難しいですね……?」
「……見た目はインパクトあるけど、味は甘めのニンジンだったよ? 皮は剥いてるから土臭さもほとんどないし、他のもので例えるなら、繊維が少なくて噛み切りやすいアスパラガス、って感じかな」
このニンジンが令和ごろの日本のものと比べて美味しいかどうかは気になるけど、見た目は大差ないっぽいから多分大丈夫……のはず。
何にせよ、調理に関しては何もやることがなく、ずっと抱えたままというのもあれなので、二人掛けのソファに座って、希未を俺と同じ向きに座らせてから、サイドテーブルにカップとコーヒーを出す。
収納していた淹れたて入れたてのコーヒー……だったらかっこいいかもしれないけど、湯に溶かすだけのインスタントである。収納したままでも劣化はしないとはいえ、買って間もないものを放置して別のを買うのはどうかと思うからね。
「コーヒーって、苦くないですか……?」
「まぁ、そこは慣れだね。水道水やその白湯と比べれば美味い、ジュースより安い、って感じでインスタントコーヒーを飲むようになって……最初はミルクやガムシロップなんかも入れてたけど、そこら辺まで入れると高くなるわゴミも増えるわで面倒になってブラックに落ち着いたねー」
飲むにはまだちょっと熱めかもしれないコーヒーを静かに啜って、凹ませた舌の上を通してただ喉に送るのではなく、口の中に散らしてから飲み込む。
うん。焙煎の香りが皆無の、実にインスタントコーヒーらしいコーヒーだね。
「うぇぇ……こ、これは、美味しさがちょっとわからないです……」
「カフェイン込みで評価してるところも割とあると思うよ。……清涼飲料水も似たようなもので、俺は甘いものは好きだけど、人工甘味料で甘くしただけのカロリーゼロはイマイチだしね」
「え、あれ? 口から直接吸収されるものでしたっけ?」
「その通りだけど……あれ、知らない? 鼻粘膜に直接吹き付ける薬とかもあるし、目薬だって粘膜からだし、湿布とか、消毒薬以外の塗り薬とか……ベロの下に置くことで秒単位での即効性を発揮する舌下錠なんかもあったかな」
「あぁ、皮膚に付いただけで効果がある媚や――」
「いや、それについては効果も即効性もファンタジーパワーありきでしょ、多分」
「むぅ」
「ははは……」
視線を誤魔化すようにコーヒーをもう一口。
香りがしっかりあるコーヒーの方が美味しいのは何となくわかるんだけど、飲み慣れてるのはこっちだから落ち着くような、説明がちょっと難しい感覚。普通のコーラとは明らかに違うことはわかっても、コーラ味のラムネはなんやかんやで美味しい、みたいな……?
それはともかく、じわっと苦みが口中に広がってしばらくすると、また少し脳に効いた気がした。さて、これは口の粘膜からも吸収されたのか、条件反射でそう感じているだけなのか。勿論、口や喉の粘膜から吸収できたとしても極一部だけだろうから、小腸あたりで吸収されるのが大部分なのは確かだけどね。
さっきもそうだったけど、ウィッシュは希未の身体を動かしながら俺の五感を当たり前のように感じ取ってて、器用だなぁとは割と思う。
「っと、希未?」
「……お出かけする前に、ご主人様としっかりくっついておこうかと思いまして」
「なるほど……」
俺と向かい合う形で脚の上に座り直した希未が、両脚を大きく広げた膝立ちみたいな体勢のまま体重を預けてきた。
ま、まぁ、出かけたら主観で何時間か触ることもないだろうし、今は触り心地を堪能するのもいいか。
視点そのまま大きく移動する際の表現を今回からちょっと変更。
それと本編に関わる予定はないですが、調べていたら文章量が増えたので供養。
……色々調べながらざっとまとめただけなので間違ってたらごめんなさい。
スパンデックス(Spandex)
ポリウレタンを含む弾性の強い繊維の英語圏での一般名称。
ポリウレタンは伸縮性に優れた素材であり、スポンジのように発泡させているわけではない繊維は保水量が少なく、通気性や速乾性にも優れる。
水着やスポーツウェアの素材としても使用されることがある。
2WAYスパンデックス
ポリウレタン弾性繊維を主に使用した、縦横どちらにもよく伸縮する布地。あるいはその布地を使用した衣類。
よく伸縮するため、通常の家庭用ミシンでは布が伸びてうまく縫えないことがある。
2WAYストレッチ
ポリウレタン弾性繊維を使用しているとは限らない、縦横どちらにもよく伸縮する布地。あるいはその布地を使用した衣類。
1WAYストレッチ
縦糸に伸縮しにくい繊維を使用したなどの理由で、伸縮しやすい方向が一つに限られている布地。あるいはその布地を使用した衣類。
新体操(Rhythmic Gymnastics)のざっくりとしたルール
個人競技と団体競技がある。
手具を用いた演技を行う。
女子の新体操にタンブリング(宙返りなどのアクロバティックな動き)はない。これはおそらく、体操競技との差別化のため。ただし、柔軟性を見せつけるだけでもダメで、音楽に合わせたスピードやダイナミックさの強弱も求められる。
男子の新体操ではタンブリング必須、団体競技では手具なしなどの違いがある。また、男子新体操はオリンピックの正式種目として採用されていない。
新体操の競技用衣装
新体操の競技用衣装の大雑把な概要としては――
・胴体から胸元部分までは不透明な素材に覆われていること。
・袖の有無は自由。
・脚部のカットは股の折れ目より上にあってはいけない。(ハイレグは×)
・レオタードの上から下着の縫い目が確認できてはいけない。
・審査員が動きを確認できるようにぴったりとフィットしたものであること。
・グループ全員同じデザインであること。(柄物の絵柄のズレは許容)
その他認められていることとして
・ロングタイツをレオタードの上か下に着用しても良い。
・全身を覆う一体化した衣装(ユニタード)でも良い。
・両脚を覆う布の長さと色は左右同じものであること。
・スカートはあっても良いが、骨盤部分より下まで伸びない長さであること。
・足は裸足か体操用スリッパ。(意図せず脱げた場合は減点なし)
――というところ。ただ、細かくルール変更も加わっているようです。
現在では腰骨が隠れない程度のスカートやスパンコールのような装飾も認められていますが、これは2004年ごろからの話のようです。(LEDで光るのは×)
2022年からは、骨盤や股間部分を覆う布は不透明なだけでなく、肌色でもない必要がある(肌色の布でハイレグに見せるのも×)。袖もフィットしたものである必要がある。また、レオタードはタイツを除いて一体化している必要がある(一体化していない手袋、靴下、装飾的なレッグウォーマー、ベルト等がアウト)といった変更が加わったそうです。その一方でネックラインは自由となり、バレエのような細い肩紐のレオタードも認められるようになったとかなんとか。
そして2025年からは、これまで全面禁止だったピアスが、小さくてぴったりとフィットするものなら許可されるようになるそうです? (国際体操連盟(FIG)公式サイト内で公開されている『1.1 - RG Code of Points 2025-2028』18ページ10.3.より)
女子新体操の髪型や化粧
コンパクトにまとまっている必要があり、髪飾りもかさばったり選手を危険にさらしてはいけない。化粧は透明で軽いものである必要がある。演劇用マスクは使用できない。
二次元でありそうなところだと、長髪やハイレグが昔からの基準でもアウト。サイハイやチョーカーなんかとの組み合わせは2022年から(日本国内だと2024年から)アウトですかねー。




