1. 野心
「モーリスは賢い」
「モーリスは優秀」
「モーリスは神童」
ウェントワース伯爵家の三男として生まれ、いつの間にか、周りがそう噂するようになった。言葉を発するのも、文字を覚えるのも、兄たちよりずっと早いと親も感心していた。
けれど自分は、幼い頃からどこか冷めた人間だった。おもちゃの取り合いで兄たちが喧嘩するのを、静かに眺めていた。それが気に食わなかったのだろう。兄たちは僕に色々と"ちょっかい"を出した。だが、兄たちを少し"懲らしめてやる"と、今度は腫れ物に触るように、僕とは距離を置くようになった。
だが両親は封建的だった。周りがいくら僕のことを持ち上げても、ウェントワース伯爵家を継ぐのは兄のエドワードと早い段階で決められていた。自分の道は自分で切り開かないと、この先兄にこき使われ、領内で飼い殺される運命だと悟った。
文字を覚えてからは書庫に籠ることが増えた。将来は文官として王宮の中枢に入り、国政を動かすのも悪くないと思ったからだ。田舎の家門から文官を輩出したとあれば、大変名誉なこと。きっと家族も喜んで僕を王都に送り出すだろう。
ここで一つ問題があった。もともとウェントワース伯爵家は蔵書の多い家ではない。13歳になる頃にはその全てを読み終えていた。家庭教師から得られる知識も大したことはなかった。
そんなある日、両親の会話を盗み聞いた。
「今日の夜会はどうだった? 何か面白い話はあったか?」
「グレイストーン家のプリシラ様の縁談がまたうまくいかなかったとうかがいましたわ。無気力でまともな社交も難しいとか。"白痴令嬢"なんてひどい言葉を使う方もいらして……」
「噂では5歳で頭を打って、あのようになられてしまったとか。閣下もなんとかプリシラ様に婿を取って領を治めさせるつもりだそうだが、本人があれではさすがになあ」
「でも、プリシラ様は一人娘ですわ。本当にどうなさるおつもりなのかしら」
グレイストーン公爵家は遠戚で、我が家の寄親だ。その家の一人娘が無気力で怠惰というのは以前にも聞いたことがあった。
「最悪、遠戚から養子を取ることも考えているとか」
その父の一言で、僕は閃いた。
グレイストーン公爵に取り入り、手中に収めれば、苦労して文官にならずとも、兄たちにこき使われる未来を回避できる。
僕は早速両親に相談した。ウェントワース伯爵家の書庫の本は全て読みつくした、将来文官として国に奉公するために、さらに学びたい。グレイストーン家は寄親で、王家の傍系にあたる由緒正しい公爵家である、ぜひあの家で勉強したいと。僕の訴えにいたく感動して、両親はすぐに公爵閣下に手紙を書いてくれた。
「喜べ、モーリス。公爵閣下がお前を書生として、屋敷に迎え入れてくれるそうだ」
「父上、母上ありがとうございます。僕、頑張ります」
こうして僕はグレイストーン公爵家の書生として潜り込んだ。
「おお、君がモーリス君か! 話には聞いているよ。その歳で将来を考えさらに勉強したいとは、なんと殊勝なことか。うちのプリシラに爪の垢を煎じて飲ませたいくらいだ。プリシラも君からよい影響を受けてくれたらよいのだが」
グレイストーン公爵は頭を抱え、ため息交じりにそう言った。やはり公爵は娘の行く末が気がかりなようだ。
公爵閣下は居間にいた娘・プリシラも紹介してくれた。1歳年下らしい。プリシラは先ほどまで寝ていたようで、昼過ぎだというのに金髪のところどころに寝癖がついていた。そしてあくび交じりに、公爵閣下の声に振り返った。可憐な美少女だが、噂通り"怠惰"という言葉がよく似合う子だ。
「プリシラ、今日から書生としてうちで預かることになったモーリスだ。兄だと思って仲良くするように」
「プリシラ様、よろしくお願いします」
だが僕を見るなり、みるみる彼女の顔面から血の気が引いた。
「あ、あら。あなた、モーリスというの?」
プリシラ嬢は明らかに警戒した素振りで、真っ青な瞳を疑り深くこちらに向ける。僕の"野心"を見透かすかのように、終始その笑顔は引きつっていた。
「どうした、プリシラ? モーリスはうちの血縁でも優秀だと話題なんだ。お前も勉強を教えてもらいなさい」
「お父様。私、勉強は好きじゃないの。自室に戻りますわ」
「そ、そうか」
彼女は訝しげな表情を浮かべたまま、居間を後にした。




