第1話 選択肢
『人生』は選択の連続である。
それは自分のなりたい職業を考えるときも、
自分が行きたい学校を選ぶ時も、
大事な日に遊びに誘われたときも、
恋をしたときも。
『人生』の中で、常にその選択は迫られる。
自分の選んだ選択によって『人生』が左右されるが、
しかしその選んだ先の『未来』を、自分は知ることができない。
これは、『人生』の選択を失敗し後悔をした、一人の人間の物語である。
とても暑い夏の日。
大学に入学して最初の夏休みを迎え、鈴村徹は意気揚々としていた。
「ついに、ついにこの日が来た!」
鈴村はこの日を待ちわびていた。
そう、デートの日だ。
高校時代の鈴村は非モテ、陰キャ、それでいて重度のオタクという要素を持ち合わせ、とてもじゃないが女性が近寄ってくる要素がない存在だった。そんな自分を払拭するべく、長すぎる髪を切り、ワックスをつけ、さらには金髪……にはする度胸はなかったものの、身だしなみには十分気を付けるようになった。
大学デビューである。
しかしながら同じことを考えている男子生徒がそこら中にいるのは当たり前で、入学してから鈴村は新入生の男子生徒と会話をしたが、そのほとんどが大学デビューを果たした生徒だった。
「全く、ライバル多すぎるんだよなぁ」
人間、まずは外見で第一印象が決める。中身の差は知れたことではないが、外見さえ良ければ大体は中身はどうであれ恋愛の第一歩を踏み出すことができる。そんな中で大学デビューを果たした生徒が多いとなると、必然的にライバルが増えることになる。
ただ、鈴村は違った。
鈴村は大学デビューをしただけではなく、様々な生徒と面識を持ち、サークルなどにも体験入部として参加するなどをし、あらゆる手を使って人脈を作り出した。
結果、高校時代にいた友達一人を除くと、大学に入学してからたくさんの友人を作り上げた。
「俺は大学に入学したら友達をいっぱい増やすと決めた」
鈴村の年齢からするとだいぶ遅い決意である。
「だが同時に、彼女も作ると決めたんだ!」
これも遅い決意である。
大体の男子生徒は高校時代に恋愛を経験するものだが、鈴村はそのような経験は一切ない。関わりがなかったからだ。だからこそ、大学デビューには力を入れていた。
そして、大学の入学式からの二か月間、鈴村は人脈を作り出し、そして一つのルートにたどり着いた。
「やっとあいつとデートに行ける……!」
そう言って、鈴村は家を出た。
*
「ふぅ、着いた。集合時間の一時間前だ」
鈴村はデート先である水族館に着いた。曲がりなりにも人生初のデート。遅刻などあってはならないのである。そのため、集合時間の一時間前には着いていようと決めていたのだ。
「この暑さの中一時間待つのはちょっときついが……、彼女とデートできるなら問題なし!」
鈴村は暑いのが苦手である。
もともと陰キャだった鈴村は当然誰かと外で遊ぶなんてことはしなかった。故に太陽光が苦手であり、大学デビューしてこの日に至るまでも克服しようとしていたが、三年間根付いてしまったこの体質はそう簡単に変えられるものではなかった。
しかし、今の鈴村にとってこの暑さは余裕で耐えられるもの。夢にまで見た彼女とのデートの日である。こんなことでへばっていては顔向けができない。
「あと一時間。涼しいところで待つのもいいが、ここは外で待って男らしいところを……」
……できるわけがなかった。
春の暖かさですら耐えられない体である。気温三十五度を超える猛暑日に外で一時間待つなど鈴村には耐えられない話であった。
幸いなことに水族館入口横にショップがあることに気づき、鈴村はそこへ足を運ぶ。
「ふぃ~~~~~。生き返るぅ~~~~~」
冷房が効いたとても涼しい空間に溶け込んでいくように、鈴村の体は回復していった。
「あれ? 鈴村君じゃない?」
「えっ?」
聞きなれた声のほうを振り向くと、彼女がいた。
「……綾瀬……!?」
綾瀬凛。鈴村の初の彼女であり、幼馴染であり、初恋の相手である。
鈴村が通う大学を決めたのは学力でも将来就く職業のためでもない。初恋の相手、綾瀬凛を追いかけるためであった。
綾瀬とは小学校からの幼馴染であり、中学、高校と全て同じクラスだった。もはや運命だと鈴村は確信していた。
しかし、高校三年の春、進路希望を綾瀬に聞いたところ、鈴村の学力では到底及ばない大学への進学希望であることが判明した。受験まで残り一年を切っているタイミングである。
鈴村は悩んだ。綾瀬と同じ大学に行きたい。でも今の学力では到底その大学には受からない。それでも綾瀬と同じ大学に行きたい。
ただ、鈴村には夢がなかった。なりたい職業もあやふやで、将来のことは考えず行き当たりばったりの人生を生きていた。だからこそ、進路はどうでもよかったのだ。それが鈴村の心に火をつけた。
綾瀬はIT企業に就職を希望していた。それでこそ専門学校で良いのでは、と鈴村は思ったが、綾瀬は違った。
綾瀬はIT企業で戦力になりうる知識を大学で得ることで、更に高みを目指すことができると確信していた。綾瀬の進路希望はそれ故のものだった。
一方鈴村も、夢はないとは言えどIT業界には興味があった。鈴村はゲームが大好きで、人を感動させられるゲームを作りたいと考えていた時期もあった。それはもう昔の話であり、当時は進路を決める大きなきっかけにはならなかったが、綾瀬と一緒にいることができる、興味のあったIT業界に進める可能性も見える、といった理由で、猛勉強をして綾瀬と同じ大学に見事合格することに成功した。
「鈴村君ももう来てたんだね! 集合時間一時間前だよ? もしかして楽しみだった?」
「えっ!? あっ、うん、もちろん! 楽しみすぎて夜も寝れなかったよ!」
「私も楽しみだったんだ! 鈴村君と水族館行くの! 寝たのはそうだなぁ……、二時間くらい?」
「みじかっ」
思わず声に出てしまう鈴村だった。同時に心配もしていた。
(大丈夫かな綾瀬……。二時間しか寝てないって相当だぞ……? しかも俺と同じ集合時間一時間前に到着してるって、ほとんど寝てないんじゃないか……?)
鈴村の頭は今日このために必死に考えたデートプランが台無しにならないか不安でいっぱいだった。いくら水族館デートとは言えど、朝から活動するからには帰路につくのは夕方以降となる。ほぼ寝不足のような彼女を、エスコートできるか不安でいっぱいだった。
とはいえ、開館時間は朝の十時。現時刻は朝の九時過ぎのため、特別朝が早い時間というわけでもない。
かくいう鈴村も一時間しか眠れていないため、お互い同じような境遇なのである。
「…………じゃあ、とりあえずここで待ちますか」
「そうだな。一応レストランはやってるみたいだし、俺なんか飲み物買ってくるよ」
「ありがと」
お互い、少々眠そうな顔をしながら会話をする。そんな中、開館時間を待った。
「いやぁ~、話しちゃったねぇ~」
「そうだな、開館時間も迫ってるし、エントランス行くか」
「そうね」
開館直前までレストラン内で他愛もない会話をし、鈴村にとって幸せな時間が経過していった。
「ねぇ、今日のデートプランとかあるの?」
「ふっふっふっ、覚悟しておけよ綾瀬。今日はとことんお前を楽しませてやる!」
「ふふっ、楽しみにしてるね」
そして、鈴村の大事な初デートが幕を開けた。
*
「いやぁ~楽しかったね~」
腕をグイっと頭の上まで持ってきてストレッチをする綾瀬。鈴村の視線はその綾瀬の胸に行っていた。
「あっ、今変なところ見てたでしょ」
「えっ!? い、いやいや見てないって、そんな……」
「そんな……、何?」
「え、えーっと……」
そんな顔しても隠せてないぞ、と言わんばかりの顔を鈴村に向ける綾瀬。それもそのはずである。鈴村はしっかり下心満載で綾瀬を見ていた。
気づけば時刻は午後五時。閉館時間ギリギリである。そんな時間に二人はまだ水族館の大型水槽の前にいた。
鈴村のデートプランはこうだ。
水族館は午前十時に開館するため、恥をさらさないよう一時間前に現地着。恐らく開館から十五分前ほどに綾瀬が到着すると予想し、
「おはよー。いやー鈴村君早いねー。待たせちゃった?」
「おはよう。いやいや、俺も今来たところだよ。さ、行こうか」
というベタな展開をプランに入れていた。実際のところ、到着後即そのプランは綾瀬が崩してきたが。
その後、水族館内を二人で仲良く堪能。シロクマ、ペンギン、淡水魚など、様々な魚類を堪能し、びしょ濡れイルカショーを鑑賞。ちょっと期待した鈴村だったが、綾瀬はとても良いタイミングで傘を取り出し防水に徹したため、期待は無念に散った。
思い出作りになるものも多く、鈴村の提案により近くの海で取れるサンゴをあしらったキーホルダーを作ることになった。
「このキーホルダー、大切にするね」
「おう、喜んでくれたら嬉しいよ」
鈴村の長年の初恋が叶い、そして初デートに行くことも達成。鈴村にとってはとても達成感のある一日であり、また、今後の将来の大きい一歩を踏み出した瞬間であった。
…………そのはずだった。
「鈴村君、ちょっといいかな」
「? なんだよ改まって」
綾瀬は大型水槽を背に、鈴村に言った。全てがうまくいっている鈴村にとって、今以上に幸せな時間はない。鈴村は咄嗟に、これ以上の幸せな時間が訪れるのではないかと期待していた。
(この感じ、もしかして……)
変な妄想を鈴村はする。
『ねぇ、あのね? 私……、まだ帰りたく……、ないな……』
(こんなこと言われたりして!!)
邪な妄想が鈴村の頭に浮かぶ。無理もない。彼もまだ童貞である。
(しっかりしろ俺! 何のために今まで努力してきたんだ! ほぼ無理な大学をあんだけ猛勉強して合格して綾瀬と同じ大学に入って、幼馴染だったけどほぼ話したこともなかった綾瀬と接触するためにいろんな人脈作ってサークルも覗いて、やっと見つけた綾瀬と同じサークルに入って、今、ここでデートをしてる! 俺の気持ちにも答えてくれている! 何をそんなにビビってるんだ!)
周りから見たらそこに行きつくまでどれだけ時間がかかっているんだ、とツッコミが入りそうな経緯だが、鈴村は鈴村なりに努力をしている。結果も出ている。やり方はどうであれ、かかった時間はどうであれ、彼は今人生の最高地点にいるのだ。
……そう思えるのも一瞬であった。
「あのね、鈴村君。君に言わなきゃいけないことがあるの」
「なんだよ、もったいぶらずに言えよ」
綾瀬凛の口から、その言葉は放たれた。
「私と、別れてほしいの」
「………………え?」
なんと言っていたか、鈴村には理解できなかった。
(え? 別れる? え? なんで? 何がおかしかった? 何か間違ったことしたか? 確かにちょっとエッチなことは期待してたけど、直接的にそんなことしてなかったよな?)
鈴村の頭からはイルカショーの時の都合の悪い記憶は消えていた。
それでもなお、いくら考えても今回のデートの間違いが思い当たらなかった。
綾瀬は魚が大好きだ。だからこそ鈴村は、最初のデート先を水族館にした。一言で「魚が好き」と言っても、それは魚釣りであったり、魚の鑑賞であったり様々である。そのため、鈴村は綾瀬が魚の何が好きなのかを様々な方法で探った。
結果、水族館が正解だと判明した。
少し暗い顔をしながら、綾瀬は続けた。
「今日のデート、楽しかったよ。とっても。水族館に連れてきてくれたのも、私がお魚見るの好きだからだよね?」
「え、あーうん、それはそうだけど……」
「ありがと、私の好きなもの覚えててくれて。幼馴染なのに、鈴村君って私のことあまり知らないよね。中学も高校も一緒だったのにあまり話さなかったし」
ふと、鈴村に一つの結論が浮かんだ。
接点の無さ。
遡れば小学校からの付き合いという幼馴染という優位性を持ちながら、大学に入学するまでほとんど会話という会話をしたことが鈴村と綾瀬にはなかった。
そのため、綾瀬にとっては鈴村はただの幼馴染であり、特別な存在の幼馴染ではなかったのだ。
引き換え鈴村は、言ってしまえば一方的な片思いである。小学校の時に知り合ってから一目ぼれしたが、全く勇気が出ず話しかけにもいけなかった。しかし離れるのは嫌なので、同じ高校、大学を受験。見事合格し離れ離れになることは防げた。
しかし、防げたのは物理的に離れていくことのみ。心の距離はそもそも微塵たりとも近づいていないのである。
「私ね、小学校の時に鈴村君と知り合って……。あれ、なんで知り合ったんだっけ」
綾瀬にとってはそこからの問題だった。
*
鈴村は小学生時代、親の都合で放課後になっても帰宅することができなかった。というのも、実家には姉がいたが姉は勉強熱心で常に一人でいた。一方鈴村の性格は真逆で、勉強なんて放ってゲーム三昧。宿題をまともにやったこともなかった。結果的に姉に怒られてやる羽目になっていたが、それくらいに性格は真逆だった。
両親はともに多忙だったため、鈴村の面倒は殆ど姉が見ていた。
鈴村が小学三年生の頃、ついに姉の堪忍袋の緒が切れた。鈴村姉が高校受験を間近に控えていた時期である。
「あんたねぇ、あたしが今どれだけ大事な時期かわかってんの!?」
「わかってるよ! ごめんってば早紀姉ちゃん! ごめんって!」
鈴村早紀は受験を控えた不安によるストレスと、その中でも徹の面倒を見なければいけないストレス、さらに無神経な徹の行動に常に腹を立てていた。
鈴村本人もわかっていた。この時はタイミングが悪かったのだと。受験は大変だと、多忙ながら両親が教えてくれたのを覚えていた。
「もういい! あたしこの家から出てく!」
「待ってよ早紀姉ちゃん! 待ってって!」
「ただいまぁ~……、って早紀!? どうした!?」
「お父さんお帰りなさい! お母さんもお帰り! 私今日でここから出てくから! 徹のこと頼んだわよ!」
「えっ!? ちょ、早紀ちゃん?!」
この最悪なタイミングで両親が帰宅。同時に早紀はこのストレスから解放されるべく、全ての荷物をその場でまとめてその日のうちに家から出ていった。
「ひっぐ、ひっぐ、早紀姉ちゃん、ごめんなさい、僕の、僕のせいでっ……」
「あなた、これはもうどうしようもないわ……。私たちも忙しいから徹の面倒見れないし……」
「くそっ、早紀と連絡がつかん! あいつスマホの電源切ったな……。……なあ徹、何があったんだ」
鈴村は両親にあったことを全て、包み隠さず話した。
「……なるほどな。早紀も大変だったわけだ」
「でも徹が悪いわけじゃないのよ? 私たちがちゃんと、……家にいれば……」
顔を隠して泣き始める母。その姿を見て、鈴村は絶望していた。
「とりあえず、明日から徹を施設に預けよう。僕らが返ってくるのも遅くてもこの時間だ。施設に預けておいて迎えに行けばひとまず安心だろう」
「でも、早紀がどこに行ったか……」
「いずれスマホの電源をつけて誰かに連絡を取るだろう。あいつは行動力は凄まじいから本当に独り暮らしを始めるだろうが、居場所くらいはわかると思う」
父の謎の自信に不安を持ちながらも、鈴村の施設入りが決まった。
綾瀬との出会いは、その施設に入った時だった。
鈴村は鮮明に覚えていた。ただ、綾瀬はそのときのことを鮮明に覚えていない。
「俺、鈴村徹。お前は?」
「私? ……凛。綾瀬凛だよ」
鈴村には先ほどまで暗かった顔が美しい笑顔になった綾瀬の顔が忘れられなかった。
*
「えっと、お、覚えてない? ほら、小学生のときに行ってた施設でさ……」
「施設? ……あー、あそこかぁ。懐かしいな。そっか、そこからだったっけ」
鈴村の幸福度は下がった。
「俺さ、あの時から、ずっと綾瀬のことが好きだったんだ」
「うん、知ってるよ。大学入って数か月で私のこと見つけて、すぐ告白してきたんだもん。最初はびっくりしたよ? でもあの熱烈な告白受けちゃったら、誰も断れないよ」
「じゃ、じゃあなんで、別れるなんて……」
「うーん、何だろう。悪くはないんだけどさ。やっぱり鈴村君のこと、幼馴染とは言ってもあまりわからないことが多くて……」
鈴村はショックで倒れそうだった。
確かに鈴村は大学に入り、人脈を作り、あらゆる手を使って数か月のうちに綾瀬と対等の立場になって彼女になってくれた。その努力は評価されるべきものである。
しかし、それ以前の問題だった。
告白されて、カップルになって、お互い知らないことがあれば時間をかけても知り合っていこう、と鈴村は思っていた。しかし、綾瀬は違う。ただ突然告白されてびっくりし、その場の流れでOKを出してしまったに過ぎない。綾瀬から見てみれば、出会いは小学生からといえど、直接かかわりだしたのは大学に入学して少ししてからの短い期間なのである。ほぼ初対面と言っても差し支えないだろう。
「だからさ、その、彼氏彼女の関係っていうよりかは、友達として過ごしたうえで、君のことをわかっていきたいな、……って。…………あれ? 鈴村君?」
ドサッ、と音を立て、鈴村はその場に倒れた。
「鈴村君!? 鈴村君大丈夫!?」
倒れた鈴村を仰向けにし、力を加えないように、しかし意識を取り戻してほしい気持ちで綾瀬は鈴村の体を揺らした。
(あぁ……、ダメだ、ショックで死にそう……)
鈴村は意識が朦朧としていた。
(俺何で倒れてるんだっけ……。あぁそっか、綾瀬にフラれたんだった)
ショックのあまりほとんど綾瀬の言葉を聞き取れなかった鈴村。しかしこの言葉だけはしっかり聞き取れていた。
『私と、別れてほしいの』
鈴村の頭の中で永遠と繰り返す、悪魔の呪文。
鈴村の頭の中にいる綾瀬が、永遠とその言葉を繰り返し口にしていた。
(もうやめてくれ、もう、やめてくれ……!)
切に願う鈴村だが、その願いは叶わない。
『鈴村君見て! あの映画のお魚がいるよ!』
『うわー蟹大きいね! 何センチあるんだろう……』
『……イルカショーってこんなショーだっけ? 傘持ってきておいてよかった~』
『このキーホルダー、大切にするね』
ふと走馬灯のように蘇る、鈴村の今日限りの記憶。
(あぁ、走馬灯みたいだな。楽しかったなぁ、今日)
泣きそうになる感情をぐっと堪えているが、さすがにこれには耐えきれなかった。
猛勉強して綾瀬と同じ大学入学することが決まったときはそれはそれは泣くほど喜んだが、今の涙は違う。
(俺の、何がいけなかったんだろう……)
うっすらと聞こえる綾瀬の声が、どんどん遠ざかっていくのを感じた。
鈴村の意識は、そのまま消えていった。
*
違う。
違うんだ。
待ってくれよ綾瀬。
待ってくれ。
待ってくれ!
「待ってくれ!!!!」
……鈴村は目を覚ました。
セミの声がとてもうるさい。夏のようだ。
「……あれ? ここ、あれ?」
寝ぼけながらも、鈴村は辺りを見渡す。
「ここ、俺んちじゃね?」
鈴村は、実家のベッドの上にいた。
(ん? あれ? 俺何で実家にいんの? あれ? 俺さっきまで綾瀬とデートしてたよな? あれ? デートしてて、それで……)
別れを告げられたことを思い出す。
「うぐぁぁあああぁぁあぁぁ、なんで、なんでっ……」
涙を流す鈴村。顔がぐしゃぐしゃになるくらい泣いた。
胸が締め付けられる思いだった。
「いっそ死んでしまおうか……」
ひとしきり泣いた後、そんな言葉を口にしていた。
それほど鈴村にとって綾瀬は大切な存在であり、だからこそショックは大きかった。
途方に暮れていた鈴村だったが、聞き覚えのある足音が一階から近づいて来るのが聞こえた。
(あれ? あの足音、このリズム、聞き覚えが……)
ガチャッ、と鈴村の部屋のドアが開いた。
「どうしたの徹? こんな真昼間まで寝てたかと思えば大声出しちゃって」
姉だった。鈴村徹の姉、鈴村早紀。
「さ、早紀姉ちゃん!? な、なんでここに!? 家出したんじゃなかったのか!?」
「なんであたしが家出すんのさ……。確かにあの日あたしは感情に任せて家出しちゃったけど、数週間で戻ってきたの忘れたの? あの日のこと恥ずかしくてあまりあたし思い出したくないんだよね」
(い、家出をしていない!? ……あー、そういやあの事件があった数週間後、早紀姉ちゃんは結局その先が不安になって帰って来たんだっけ)
鈴村早紀は一時の感情に振り回されて一度大規模な家出をしたが、彼女が想像していた以上の孤独感、不安感に苛まれ、家出して数週間で実家に帰宅していた。
両親はさぞ心配していて、帰ってきたときは鈴村徹本人も含めとても喜び、そして謝罪をした。
家出から帰ってきた理由を聞いた鈴村の両親は、鈴村早紀を強く抱きしめて「大丈夫、離れている時間は長いけど、いつも一緒にいるよ」と声をかけていたのを鈴村は覚えていた。
「って、早紀姉ちゃん、なんか若くない?」
「はぁ? 喧嘩売ってんの? そのぐしゃぐしゃの顔さらにぐしゃぐしゃにするよ」
「ご、ごめんってば」
鈴村は大学一年生。鈴村早紀とは六歳差のため、社会人二年目のはずである。
それが今目の前にいる鈴村早紀は、まるで大学三年生の時の容姿であった。
「ごめん、姉ちゃん今何歳?」
「どうやらぶん殴られたいようね……。二十二よ。就活中の大学四年生よ。今さら何を言ってるんだか……」
(……おかしい。何かがおかしい。なんで姉ちゃんが大学四年なんだ? 俺が大学一年だぞ? 社会人二年目のOLじゃないのか?)
ちなみに鈴村早紀の職業は高校教諭である。
「ね、姉ちゃん、今年って何年?」
「そこにカレンダーあるんだから見ればいいでしょ……」
(そうかカレンダー! 確かに壁にかけてたっけ)
鈴村は早速壁にかかっているカレンダーを見た。
「えっ」
そして、驚愕した。
鈴村は、高校一年生の年までタイムスリップしていたのである。
(えっ、なんで!? 二千十一年!? 今年って二千十四年じゃないのか!?)
鈴村は困惑していた。目が覚めたら三年前にタイムスリップしていたのだから当然である。
「とにかく、今日はパパもママも仕事で帰ってくるの遅いらしいから、あたしが徹の面倒見ることになってるのよ。忘れたの?」
「え? あ、あーそうだったね! 悪いね早紀姉ちゃん」
困惑している顔を隠すように鈴村早紀に返答をする鈴村徹。さっきまでショックで泣き喚いていたのが嘘のようだった。
「昼ごはんはできてるからね。あたしは自分の部屋にいるから、なんかあったら呼んでね」
「う、うん、ありがとう」
そう言って鈴村早紀は部屋から出た。
そして、鈴村徹は感情が抑えられなくなった。
「えっ!? なんで? なんで!? タイムスリップ!? えっ!? 綾瀬とのデートは!? あれ!? 何がどうなってるんだ!?」
鈴村は頭が混乱して答えが割り出せなかった。
「これなんかのドッキリか! 目が覚めたら突然姉ちゃんが出てきてタイムスリップしたように見せかけて、実は家族全員集まるドッキリでしたーみたいな! いやー凝ってるなぁー。あれ、もしかしてテレビとか撮影してんのかな?」
自分の部屋にいるとは思えないほどの挙動不審さで部屋を探し回るも、隠しカメラのようなものは一切見当たらなかった。
「か、カレンダーとかもよくできてるなぁ。いくら三年前とは言ってもそこそこ古いし、こんなに真新しいのがよく残ってたもんだ」
しかしそこで改めて鈴村は思い出す。
「じゃなくて! なんで俺はここにいるんだ! なんで綾瀬との水族館デートから別れを告げられてショックで倒れてタイムスリップしてるんだ! 綾瀬との、……綾瀬とのデートぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ」
泣き喚く鈴村徹。心配で駆けつけてくる鈴村早紀。以降、無限ループの始まりである。
*
「とりあえず落ち着こう。一旦落ち着こう。大丈夫。まだ慌てるような時間じゃない」
当然慌てるにはもってこいの時間である。
鈴村は手をおでこにあて、某探偵のように振舞いながら話を始めた。
「えーまず、俺は大学一年生で、綾瀬と大学最初の夏休みに水族館デートに行った。俺の考えたプランは完璧で、いいムードだったのにも関わらず俺は綾瀬にフラれた」
ここで鈴村の動きが止まる。
「……なんで?」
未だ謎である。
「あんだけいいムードだったし、フラれる要素なんてどこにもなかったはず……。それなのになぜフラれた?」
鈴村は考えうる可能性を可能な限り引き出した。
「考えられるのは……、『デートがつまらなかった』、『本当は他に好きな人がいる』、『そもそもこの関係は遊び』、『俺の邪な考えがバレバレだった』……?」
猛勉強して難関の大学に見事合格した鈴村の頭脳で思いつくのはこれが限界だった。どんなに頭が良くても恋愛では通用しないのである。
「ハッ! もしかして俺がストーカーだと思われてた……とか?」
大学に入ってまともに話し始めたのである。告白した理由を直接伝えたとは言えど、大学に入るまでは事実上の重度の片思い。ストーカーと思われてもおかしくない状況である。
「あああああそれだったらまずい! 変質者だと思われる! でもその変質者からの告白をOKして水族館デートまでしてくれるのなんておかしくない!? なんで!?」
考えれば考えるほど混乱する鈴村であった。
「いや、どこかに何かヒントがあるはずだ……。向こうもOKしたからにはしっかりとした理由があったはず。意識を失う前何か言ってたような気がするんだけど、そこがあまり聞き取れなくて……。大事なことだったらどうしよう……」
まさしくその聞きそびれたこと自体が、鈴村が考えるべき大事なことである。
うーん、うーん、と考えても無駄な時間を過ごしていた鈴村だが、ふと机に視線がいった。
「……あれ? なんだこの本」
鈴村の机の上には、見覚えのない本が置いてあった。
「……? 『人生の選択肢』?」
美しい夜空に大量の流れ星が降り注ぐとても綺麗な表紙の本が鈴村の机の上に置いてあった。
「なんだこの本。俺こんなの買った覚えないぞ?」
鈴村自身、本屋に行くことは殆どなかった。高校時代は根っからの陰キャ、いわばオタクだったのでそういった方面の本を発売日に買いに行く程度である。そのため、鈴村自身がそういった本以外を買うことなどありえなかった。
「あー、もしかして姉ちゃんか? 姉ちゃんも就活中だからなぁ。人生の選択肢を迫られるときもあるよな」
だんだんタイムスリップしてきた自分が順応し始めていることに驚きを感じている鈴村だったが、今は現状整理が最優先だったため細かいことは気にしないことにした。
「しかしこれ作者が書いてないな。出版会社も書いてない。裏見ても……、あれ、バーコードとか値段も書いてねえじゃん」
見るたびにますます怪しく思えてくる本であった。
「仕方ない、姉ちゃんのものか聞いてくるか」
そう言って『人生の選択肢』を手に持ち部屋から出ようとした途端、突然本が光りだした。
「うわっ!? え、何!? 今度は何!? 爆発するの!?」
鈴村が持っていた本の最初のページ付近が光り輝いていた。
「何!? この時代の本って光るの!? そんな最先端だったっけ!?」
そんなことないのは明白である。
鈴村は驚きながらも、その光るページを恐る恐る開いた。
そこには、こう記されていた。
【人生の選択肢】
A.この本を鈴村早紀に見せる。
B.この本を燃やす。
C.この本を秘密にする。
「……は? なんだこりゃ」
光っていたページは本の見開き左ページだった。
その左上には、【人生の選択肢】とAからCの選択肢が記載されていた。
それ以外には何も記載されていない、とても不思議なページだった。
「な、なんだよこれ、選択肢? てか、なんで姉ちゃんの名前が書いてあるんだ?」
まさしく今書かれたような感覚が鈴村にはあった。
そう、開く前までは白紙だったのである。
そしてその感覚は、確信に変わった。
「えっ、えっ!? も、文字が勝手に……書かれていく!?」
そのページを見ていると、徐々に開いていたページに文字が追記されていった。
「え、えっと、なんだ……?」
鈴村は追記された文章を読み上げた。
【選択の簡易的結果】
Aを選んだ場合、鈴村徹は鈴村早紀に嘲笑われ、「寝言は寝てから言えよな。あ、さっきまで寝てたんだっけ」と言われる。
Bを選んだ場合、鈴村徹の人生は終了する。
Cを選んだ場合、何も起こらない。
「うーん、ん? 俺の人生が終了する?」
なわけないでしょ、と鈴村は爆笑した。
「うーん、選択肢、ねぇ。どうしようか」
特に悩む選択肢でもなかった。B以外は。
ただこんな不思議な本を目の前にして男の子としての好奇心が抑えきれず、この選択肢の中から一つ選んだら本当にそれが起こるのか、それ以外のことを選択したらどうなるのかと考えていた。
「考えていても仕方ない。AかCのどちらかを選んでみよう。物は試しだ」
そう言って、鈴村は再度考えた。
「しかしまあ選ぶってどう選ぶんだ? 本に向かってアルファベット言えばいいのかな」
鈴村は提示された選択肢が何かはわかったが、選択する方法がわからなかった。
「勝手に文字が追記されていったから、こいつと会話できるのかな。……おーい、この中のどれかから一つ選ばないといけないのか?」
鈴村は本に問いかけた。
反応はなかった。
「無視かよ!」
鈴村はバシーンッ!といい音を立てて本を床に叩きつけた。
少し冷静になり、鈴村は叩きつけた本を拾い上げる。
「しかしまあ選ばないといけないんだろうな。なんたって題名が『人生の選択肢』なんだし」
そう、曲がりなりにもこの本の題名は『人生の選択肢』である。
そして、選ばないといけない理由がもう一つあった。
決してわかるはずのない、記されるはずのない実姉の名前がそこに刻まれているからである。
一般的に販売されている本でもたまに現実にいる同姓同名の登場人物がいたりするが、それは殆どフィクションとして扱われ当人とは無関係、という記載が残される。
しかしこの本にはその記載がどこにもない。表紙にも。背表紙にも。
本の裏表紙にも記載はなかった。
実姉の名前が記載されている以上、この本は鈴村が認識している本とは少し違う、何か不思議な本なのだろうという考えが鈴村にはあった。
「うーん、じゃあわかった。試してみよう」
鈴村は覚悟を決め、提示された選択肢から一つを叫んだ。
「俺はAを選ぶ!」
すると『人生の選択肢』はページに残っていた余白に追記を始めた。
「うわっ!? また勝手に文字が……」
残っていた余白が全て埋まるのを確認した鈴村は、その文章を読み上げた。
【選択の結果】
鈴村徹はAを選んだ。鈴村早紀の嘲笑われる。大学一年生、夏休みのページを読め。
「なんだこりゃ。姉ちゃんに笑われるのは変わらないのかよ。で、大学一年の夏休みのページを読めだと?」
選択肢を選んだかと思えば今度は本に指示され、少しムカついていた鈴村だったが、不思議とこの本のおかげか順応は早く、そのページを開いた。
「えーっと大学一年の夏休み、っと……。ん、夏休み? それって綾瀬とデートした日じゃね?」
ふと、嫌な予感が鈴村を襲った。
「な、なんだよ、これ」
そこにはこう記されていた。
鈴村徹は綾瀬凛と水族館で初デートをし、失恋をする。
「う、うわあ!」
鈴村は怖くなり、本を壁に投げつけた。
「ど、どういうことだ……!? ていうかこのページ、さっきまで白紙だったよな……!?」
確かに先ほど確認したときはこのページはまっさらの白紙だった。しかし今は、つい先ほど追記がされたかのような跡を残してこの記述がされていた。
「お、俺、また綾瀬にフラれるのか!? なんで!?」
よく見ると、他のページにもいろいろと追記がされていることに気づく。
鈴村は恐る恐るそのページを読んでいった。
鈴村徹は鈴村早紀にこの本を見せ、嘲笑われる。
高校二年、綾瀬凛とまた同じクラスになるが話しかけられずに一年が過ぎる。
高校三年春、綾瀬凛が難関大学の受験を考えることを知り、死に物狂いで勉強し、見事合格する。
大学入学後、数か月のうちに綾瀬凛をパートナーにすることに成功する。
そして、記載のある最後のページ。
しっかりと「失恋する」の文字が刻み込まれているのを改めて確認した鈴村であった。
「どういうことだよ……。姉ちゃんにこの本見せるだけでこうなるって、えっ……!? なんでだ……!?」
鈴村自体、この本がどういう仕組みで勝手に文字が追記されているのかがわかってはいないが、これだけははっきりわかっていた。
「……これは、自分の選択によって人生が決まる、題名の通り『人生の選択』を迫られた後のことがわかる本だ。」
鈴村は頭を抱えながら、この本を見つめた。
「でも待てよ、これ選んだってことはもうこの通りに進むしかない、ってことか?」
鈴村にはいくつか疑問点があった。その一つの中に『選んだ選択肢は取り消せないのか』、ということだった。
鈴村は選択肢を提示された後、選択肢を叫んだことによって本に追記がされた。では、その取り消しは可能なのか? 取り消した場合、この未来は変わるのか?
「……物は試しだ」
鈴村は、再び大きな声で叫んだ。
「おい! 今の選択は取り消しだ…………」
「うるせええええええええええええええええ!!!!!!!!!!」
突如として鈴村徹の部屋のドアが開き、鈴村早紀が鈴村徹に向かってドロップキックをお見舞いした。
「グホァッ!!!!!」
「さっきから何なんだようるさいな! こっちは就活の準備でいろいろ準備してるんだから隣の部屋で騒ぐな! 気が散るわ!」
「ご、ごめん姉ちゃん! 悪かったって!」
ひたすらに足蹴りをされる鈴村徹だった。
「なんか壁にぶつかる音はするし! さっきから変だぞ徹! 今年が何年とか今さら聞いたり! あ、あたしの年齢聞くし!」
「だから悪かったって! 俺もよくわからないんだよ、今の状況が!」
「はぁ? じゃあ今の状況説明してみなさいよ」
「だからな姉ちゃん、俺はなんでか知らないけど三年後の世界からタイムスリップしてだな? この本が……」
と、言いかけたところでこの本が示す未来のことを鈴村徹は思い出した。
鈴村徹は鈴村早紀にこの本を見せ、嘲笑われる。
選択をした際の簡易的な結果である。
そして、その後の細かい未来については、選んだ後に追記された。
そう。意中の綾瀬凛との「失恋」である。
(も、もしこの本に書かれていることを選んだら、それは本当に選んだ通りになるのか……!? そうなったらまずい! 一応今は高一みたいだが、結果的に三年後の夏休みにはフラれることが確定していることになる……!)
「で? タイムスリップして? 本が何だって?」
(……まずい…………!)
鈴村徹は、『物は試し』で行動してみた。
「……さっきの選択、取り消し」
小声で、本に向かって鈴村は言った。
すると本は一瞬光り、そして鈴村徹の手元から消えた。
「えっ、あれ、本は?」
「は? 本? 何言ってんのよ徹。あんた本なんて持ってなかったじゃん」
「はぁ?」
辺りを見渡してみても、確かにさっきまで手に持っていた『人生の選択肢』は見当たらない。
「とにかく暴れまわるのやめてよねー。明日最終面接あるんだから。集中させてよね」
「わ、悪かったよ、気を付ける」
そう言って、鈴村早紀は部屋から出ていった。
「……マジで本どこ行った? ていうか、あの本一瞬光ったよな……。俺は眩しくて目閉じちゃったけど、姉ちゃん目開けたままだったぞ……?」
謎が謎を呼んでいた。
「とにかく、姉ちゃんに本のことはバレていないみたいだから、とりあえずフラれる未来はなくなった、で、いいんだよな……」
不安は拭えないものの、自分の選んだ選択肢を本に向かって『取り消し』と言えばその選択を取り消すことができる事実が判明した。
「……まるで魔法の本みたいだな。急に光るし、勝手に文字書かれるし、消えるし。……マジでどこ行ったんだあの本」
摩訶不思議なことが起きている現実を受け入れながら、鈴村は本を探した。
「さっきは机の上にあったよな……。……って、あるじゃん」
普通に鈴村の机の上に置いてあった。
本当に魔法の本なんじゃないか? と鈴村は思ったが、とりあえず今はそれどころではなかった。
「とりあえず本当に取り消せたのか確認しよう。取り消せているなら、この本には何も記載がないことになるからな」
そう言いながら、鈴村は本を開いた。
そして、鈴村はさらに驚くべき光景を目の当たりにする。
「…………マジか」
【人生の選択肢】
A.今から学校へ行き、一年A組の教室へ向かう。
B.高層ビルから飛び降りる。
C.この本を見なかったことにする。
「…………いちいち俺が死ぬ選択肢出してくるのなんなんだよ」
不思議な本である。
「とりあえずもう何が起きても驚きはしないぞ。勝手に文字は書かれるし、取り消せるし、取り消したかと思ったら同じページには違うこと書いてるし。なんなんだ本当に」
しかし、鈴村にとって選んだ選択を取り消せるという事実はとても大きかった。
先ほどのようなこれからの人生に関わる選択を迫られたとき、選んだ選択によっては自分にとって不利益しかない未来が記載される可能性もある。そうなった場合、選んだ選択を取り消してしまえばその選択は選ばず、他の選択肢を選ばなければいい話である。
「…………死ぬ選択肢がどうしても出てくるから実質二択なんだけどな」
鈴村は改めて、本に向かって選択肢を言った。
「俺はAを選ぶ」
すると、本は再び白紙となったページに追記を始めた。……が、先ほどとは随分早く追記が終わったようだ。
「随分早いな。……早いってことはそこで人生終了ってことか?」
と、ふと考えたが、さっきの選択で一番最後のページに記載されていたのは「大学一年の夏休みに綾瀬凛に失恋する」ということであり、そのまま鈴村の人生が終了するとは直接的には書いていなかった。
「……間接的に人生終了だったら話は別だけどな」
ただ、提示された選択肢の中に明確に自分の「死」を示す選択があるため、もし本当に自分の人生がそこで終わるのであれば、確実にそこには自分の死に関することが記載される。先ほどの記載では「失恋する」とまでしか記載されていないため、その後どうなるかはわからない状態になっていた。
「ということはだ。どの選択肢を取るかは俺の自由だが、死ぬことになる未来があるならちゃんと死因なりなんなりが記載されるわけなんだよ。で、今回は追記が早かった。…………やっぱり何もなくそのまま事故で死ぬんじゃね?」
不安が過った。
鈴村はそんな不安を拭い去り、恐る恐る記載されたページを開いた。
「えーっと、何々? 今から教室に行くとどうなるって?」
【選択の簡易的結果】
Aを選んだ場合、鈴村徹は綾瀬凛と出会う。
Bを選んだ場合、鈴村徹の人生は終了する。
Cを選んだ場合、何も起こらない。
驚くべきことが書かれていた。
「綾瀬に、会える……!?」
繰り返すが、鈴村徹は高校時代、非モテ、陰キャ、それでいて重度のオタクという要素を持ち合わせ、とてもじゃないが女性が近寄ってくる要素がない存在だった。
このまま同じことを繰り返せば、どのみち鈴村徹の運命は決まっていた。
しかし、今回は違う。
「今回はタイムスリップ。過去を変えれば、未来は変わるだろ。……でも行くなら髪切らないとダメだな」
そう言って鈴村は、高校一年、最初の夏休み、床屋で髪を整えてから綾瀬凛のいる教室へと向かった。
「そういや行動をしたはいいけど、本はどうなってんだ?」
この本は鈴村の声に反応して選択を決定し、未来が記載されていく。そう判断した鈴村は手に持っていた本を開いて選択を声に出そうとした。
「……あれ? もう文字が追記されていってる。なんで?」
鈴村は行動でAを選んだことにより、本に記載が追記されていく。
【選択の結果】
Aを選んだ鈴村徹は、一年A組の教室で綾瀬凛と会う。そして、綾瀬凛と同室にいた生徒会メンバーの押しに負け、生徒会に入ることを決意する。
記載はここで終わっていた。
「はぁ……? 生徒会? ……あー、そういや綾瀬ってこのとき生徒会書記だったっけ」
綾瀬凛は一年生ながら、鈴村も通う緑ヶ丘学園高等部の生徒会書記を勤めている。
高校入試試験がトップだったが故に入学早々に生徒会から声がかかり、高校一年の春から生徒会で活躍している、ちょっとしたエリートであった。
高校入試試験のトップは綾瀬凛。次いで二位だったのが、紛れもなく鈴村徹だったのである。
「なんだよこの本、別に声出して選択しなくてもその行動をすれば選択したことになるのか」
では、取り消せるのはどこまで行動したらなのか。ふと鈴村は、その一点が気になった。
「今日は試してみることばかりだなぁ。まあ、やってみないとわからないしやってみるか」
鈴村は髪を切った後、高校に向かいながら本に向かって言った。
「おい、その選択取り消しだ」
本は無反応である。
「無視かよ!」
歩きながら本を地面に叩きつける鈴村。遠目で小さな子が鈴村を指さし、「ママー、あの人変なことしてるー」と言っているのが聞こえたが聞こえないフリをした。
「なるほど、声に出してその選択をして、そのうえで行動しなければ取り消せて、行動をしてしまったら取り消せないと、そういう仕組みか」
確かに取り消す前にAを選択した後、鈴村早紀に本を見せるところであったが、すんでのところで鈴村早紀に視認させることはしなかった。そして『取り消し』と呟きながらも宣言したことで、Aを選択したことはなかったことになった。
選択肢を出された後に選択した場合、催眠術にかかったかのようにその選択した未来を突き進み、後戻りができなくなるというわけではなく、その選択した未来を確認したうえで選択するか否かを自分が決めることができる、ということが判明した。
鈴村にとってはとても大きい一歩だった。
「未来がわかるなんてすげえなこの本。これさえあれば、あの未来も改変できる、ってことだよな」
ただ、一つだけ確証のない点があった。
「……これ、選んだら本当にその未来になるのか?」
まだ鈴村が試せていないことだった。
もちろん、選ばなかった選択肢は選んでないので実際にその未来になることはない。それは明白である。だが選んだ未来はどうなるのか。
先ほどは一度は選んだ未来だったが、取り消したことで実際に起こるかがわからなくなってしまった。かといって、自分の死を選んだ場合、もしかしたら即死かもしれないし、時間が経って何らかの理由で死ぬ、というのもありえる。そして、死んでしまってはこのタイムスリップという人生で一番の大チャンスをドブに捨ててしまうということになる。それはどうしても鈴村は避けたかった。
「まあ今から行ってみればわかるか」
そう言って、ついに学校に到着した。
「家のすぐ近くに学校があってよかった。綾瀬を追いかけることだけ考えてたからあまり深く考えていなかったけど、思えばうちから徒歩十分もかからないんだよな、うちの学校」
そう言いながら、鈴村は一年A組の教室の前に立つ。
「…………行くか」
鈴村は教室の戸を開けた。
そこには。
「あれ? 鈴村君、ここで何やってるの?」
「…………綾瀬が、…………いる」
本当に『人生の選択肢』が示した未来の通り、自分の目の前には綾瀬凛と、生徒会のメンバーがいた。




