⑦ Mission In-personal
「うわ!」
「おい、音を立てるな!」
ほとんどの学生はまだ騒ぎの余韻が残るグラウンドに押しかけているらしく、廊下には誰もいなかった。そのうえケネーたちの部屋は不用心にも鍵がかかっておらず、二人はすんなり侵入することができた。とはいえいつ人が来るかわからない。この部屋を出る時に姿を見られるのもまずい。椅子に足を取られて転んだヤクは、慌てて口に手を当てた。起き上がろうとしたところで、ヤクはふと動きを止めた。寝台の下に何かがある。手を伸ばして取ってみると、それは手のひらより少し大きいくらいの長細い透明な瓶だった。中には青い砂のようなものが半分くらいまで入っている。
「なんだろうこれ……何か入っているみたいだけど」
「それは__」
シキはヤクの手から瓶をもぎ取るようにして奪うと、まじまじと中身を凝視した。
「シャトニプシンだ。この色、間違いない」
「シャトニプシン……って、ケネー先輩が使ったって言ってた薬?」
「ああそうだ」
シキは素早く立ち上がると、扉に向かって足を踏み出した。
「ヤク、戻るぞ。これは本格的に再調査の必要が出てきたみたいだ」
「ど、どういうこと?」
廊下に出ると、シキは早足で歩きながら小声で説明した。
「シャトニプシンは確かに動物の精神に一時的な影響を与えるが……主な使用用途は人間用の気つけ薬なんだ。つまり本来は神経の昂りを抑制する効果を持つものってわけだ。だから対象が動物とはいえ、これを投与したためにあんなふうに猛獣が暴れて狂うなんておかしいんだよ。むしろ全く逆の効果が現れるべきだ」
「でも、だったらなんで……」
「素人が薬を買おうとしたって違いなんてわからないからな。ケネーがシャトニプシンのつもりで誤って何か別の薬を入手したんだと思ったんだが……この通り、ケネーはきちんと目的の薬を手に入れている。彼はあの青い小箱に薬を入れて持ち歩き、投入の機会を伺っていたようだから……それを知った誰かが逆手にとって、箱の中身をすり替えたんだ。猛獣の神経を昂らせ、理性を奪う毒薬に……」
「そんなこと……一体誰が……」
「あれ?ヤクにシキ!そんなところでどうしたの?」
階段を降りたところで突然名前を呼ばれて、二人はびくっと体を震わせた。
「ミュ、ミュレット先輩……!」
シキは慌てるヤクを後ろへと押しやると、平然を装ってすらすらと言葉を並べた。
「あの後のことがやはり気になって、何か聞けないかと三階の取り調べ室に行こうと思ったのですが、棟を間違えたみたいで。……ミュレット先輩は?ルゼ先輩はご一緒ではないんですか?」
「ルゼなら部屋だよ。そうか、お前たちも気になるよねぇ。うんうん」
ミュレットは意味ありげに頷くと、シキたちをそっと手招きした。促されるまま二人が階段の影に入ると、ミュレットはいたずらっぽい笑みを浮かべて囁いた。
「実は僕はさっき、その部屋で事情を聞いてきたところなんだ。なんたって当事者だからね。だから詳しい内容はルゼだってまだ知らないんだけど……特別にお前たちに教えてあげるよ」
「えっいいの⁉︎」
「いいのいいの。聞けばヤク、お前が僕の子の暴走を止めてくれたそうじゃないか。これはそのお礼だよ」
「いや、あれは……」
ヤクはそう言いかけたが、不意に口をつぐんでミュレットの言葉を待った。
「何から話そうかな……そう、ケネーだけど、あれ寝起きだったらしいよ」
「へ?」
「医務室に来た時さ。小屋に行って僕の子を放した後、自分の部屋に戻って寝てたって言うんだ」
「ね、寝てた……?なんで?」
ミュレットはさぁ、と首を傾げた。
「もともと気分屋なとこはあったけどねぇ、よくわかんない奴だよ。そもそもあいつがこんなことするなんて思わなかったし」
思わぬ言葉にヤクはびっくりした。
「ミュレット先輩……ケネー先輩と仲が悪いんじゃないの?」
「えっなんで?」
「だって、ミュレット先輩とケネー先輩の家は対立してるって……」
ミュレットはああ、と苦笑した。
「確かに仲良しってわけじゃあないけどねえ。同じ派閥の中でちょっとした競い合いをしてるってだけで、対立してるわけじゃないよ。屋敷が近いせいであいつとは昔っから腐れ縁なんだ」
「へぇ」
「っていうか、対立って言ったらむしろ……」
「あ!そうだ!」
ヤクは突然シキを振り返ると、興奮した様子で捲し立てた。
「わかったよ、ほら、ミュレット先輩の言葉が引っかかるって言ったの!」
「ああ、あれか」
「うん?僕?」
「ミュレット先輩の言う通り、一階に部屋のないケネー先輩が一階の奥から歩いてきたのはおかしい……けどそれなら、なんで一階に部屋があるはずのルゼ先輩が二階にいたんだろう?」
「なんだって⁉︎」
シキが大きな声を上げたのでヤクは驚いたが、話を続けた。
「ほら、騒ぎが起きて窓を開けた時、向かいの部屋にルゼ先輩がいるのが見えたじゃない。僕たちの部屋は二階でしょ?だから当然、ルゼ先輩がいたのも二階の部屋ってことになるわけで……」
「待てよ、お前なんの話をしてるんだ?ルゼ先輩をいつ見たって?」
「え?だから騒ぎが起きた時だよ、大きな音が聞こえてさ……シキくんも見てたでしょ?ルゼ先輩が僕たちに逃げるよう手振りで伝えていたのを」
「ちょっと待ってよ」
混乱する二人に口を挟んだのは傍らでやりとりを聞いていたミュレットだった。
「ヤク、何か勘違いしてるんじゃないか?騒ぎの時って言ったら僕が倒れていた頃だけど、ベスティはその間ずっとルゼと一緒に僕を看病していたと言ってたよ。もっとも彼は途中で寝てしまったようだけど、騒ぎが起きた頃はまだちゃんと起きていたみたいだから」
「ええ?でも……」
ミュレットにまでそう言われ、ヤクは困惑して瞬きを繰り返した。
(確かにあれはルゼ先輩だった。シキくんだって気付いてたはずなのに……)
「……そうか。それであの時……」
シキがぽつりと呟いた。ヤクが聞き返そうとすると、その前に腕を引っ張られる。
「先輩、貴重なお話ありがとうございました」
「え、もういいの?」
「はい、もう十分です。ではまたあとで」
「うん、あとで……?」
ミュレットは釈然としない様子でシキと半ば引き摺られるようにしてついていくヤクとを見送っていた。




