②水と涙
思わぬ頼みにヤクは目を見開いた。
「え?」
「ああなると手がつけられなくて……どうしよう、まさかあんなに怒るなんて……」
「あいつのキレ症は今に始まったことじゃなさそうだけどな」
シキの悪態にセナは首を傾げた。
「うーん、いつもはあれ程じゃないんだけどなぁ……」
そうため息をつくと、セナはまじまじとヤクの顔を見つめた。
「……?」
「言われなくても止めるさ、そういう試験だからな」
「シキくん⁉︎ でも……」
「言っただろ、あいつをぶっ潰すってな」
「何か考えがあるの?」
「もちろんさ」
「そう……」
それでもなお燃え盛る四方に目をやるヤクに、シキはにやっと笑ってみせた。
「ヤク。俺はな、受けた侮辱は絶対に忘れないんだ」
ピンと背筋を伸ばしてシキは左腕を高々と上げた。ヤクもつられて上を向く。シュウゥゥとどこからともなく音がして、冷たく湿った空気が首元を駆け抜けた。
「消火の時間だ短気野郎!」
勢いよく腕が振り下ろされた直後、炎に揺れる木々がジュワリと音を立てた。
「ちっ! 水かよ!」
少年__ハツが舌打ちをする。その間にもシキの作り出した水は木の枝先から幹、根元へと伝わって赤くちらつく火を絶やしていく。
「はっ! こんな程度で勝ったと思うなよ!」
ハツがまたも剣を構えた。その先は一直線にシキを指している。
(危ない!)
ヤクが咄嗟に手を伸ばしたその時だった。
「いい加減にしてよーーーっ!」
まだ煙の立ちこめるグラウンドにセナの声が響き渡った。あたりがぴしゃりと水を打ったように静まり返る。ヤクもシキも、ハツでさえも目を見開いてセナに目を向けた。
「セナ……?」
「はーくんもうやめてよ! いつまで怒ってるつもり!? 僕があんなに一生懸命止めたのに、どうして聞いてくれないの!? いっつも君は僕の言うこと無視して! はーくんなんか……はーくんなんかもう知らないっ!」
そう捲し立てると、セナはわあっと顔を手で覆って座り込んでしまった。シキがぎょっとして固まる。ヤクは慌ててセナに駆け寄った。
「セナくん、大丈夫……?」
「な、なんだよ! オレ別に悪くねーだろ!」
唖然としていたハツがはっとしてやり返す。しかしその声に先程の覇気はなかった。
「……」
「おいセナ! なんか言えよ!」
「……何言ったって、どうせ君は聞いてくれない」
「はぁ!? いつオレがそんなこと言ったんだよ!? 」
「じゃあ僕の言うこと聞いて、もう喧嘩やめてくれる?」
「ああやめるよ! ほら、これでいいだろ!」
ハツはやけになって短剣を投げ捨てた。
「おいセナ! オレはもう剣持ってないぞ!」
「……うん」
セナが弱々しく微笑む。ヤクはそっとそのそばにしゃがみ込んだ。
木々は完全に消火が終わったらしく、初夏らしい草の匂いが鼻をくすぐってくる。ヤクがぼんやりと焦げ跡を眺めていると、隣で小さな笑い声がした。
「? セナくん?」
「ふふ……君って優しいんだね」
「え? セナくん、もう大丈夫なの?」
「大丈夫もなにも」
セナはぱっと顔を上げると、悪戯っぽくウインクしてみせた。
「はじめっからそういうフリだよ。はーくんにはこれが一番効くんだ」
「えぇ!?」
「ったく、そういうのはさっさとやれよ。おかげでこっちは特能の無駄遣いじゃないか」
シキが愚痴るとセナは肩をすくめた。
「ごめんね、でもはーくんが君の力量を知りたがってたから」
「俺の? 何故?」
「さあ? まぁはーくん、強い人好きだから……」
「答えになってないぞ」
「あはは……それにしても、君が水を操る特能者だったなんてね。ちょうどはーくんと反対だねぇ」
セナの言葉にヤクは内心首を傾げた。
(水……? じゃあ前の雷は……)
「おい、話を逸らすな」
「わーっシキくん、人の襟掴んじゃダメだよっ」
「随分と楽しそうだな」
背後から声が聞こえて、一同ははっと後ろを振り返った。
「はーくん……」
いつのまにかハツがそばまで近づいて来ていた。彼は相変わらず燃えるような瞳でヤクとシキを睨みつけていたが、幾分か落ち着いたようだった。
「おいシキ」
「なんだ」
ハツはジリ、と距離を詰めて言い放った。
「今度闘るときは直接対決だ。お前も本気でやれ」
「懲りない奴だな。いいよ、やってやる」
「ちょっと、二人とも……」
二人の顔に好戦的な笑みが浮かんでいるのを見て、ヤクとセナはそっと顔を見合わせた。やれやれ、と言った様子でセナが首を横に振る。ヤクも肩をすくめてみせた。
「帰るぞセナ」
「うん。ありがとうね、えぇと…」
セナがヤク達を振り返って口籠る。
「僕はヤク!」
「シキだ」
「ヤクくんにシキくん! 僕はセナだよ、こっちははーくん!」
「ハツだ!」
「セナくんにハツくん。これからよろしくね」
「うん!」
こくっとセナが頷く。が、ハツはヤクを刺すような目で見つめたかと思うと、すっと目を逸らした。
「はっ、お前によろしく言われる筋合いはねーよ。早く行こうぜセナ」
「え? うん……でもねはーくん、あれ……」
「ハツ・キーツァ・カザリグ! 直ちにこちらへ来なさい!」
試験官が目を吊り上げて声を張り上げている。この場にいる誰もがその存在を忘れていた彼の言葉は、瞬時に今ここで最も重みを持つものとなった。
「やべっ! セナ、帰るぞ早く!」
「帰ったって逃げ場はないよ……」
「あっこら、待ちなさい!」
疲れた様子のセナを強引に引っ張って、ハツは砂煙とともに校舎へと消えていった。試験官もまたそれに続く。
「一件落着だな」
二人取り残されたグラウンドでシキはそう呟いた。
「そうだね……」
「どうした?元気ないな?」
「ハツくん、僕のこと怒ってるのかなぁ…」
別れ際の冷たい言葉を思い出して、ヤクは顔を曇らせた。
「気にするなよあんな奴。ただの気まぐれさ」
「……そういえばシキくん、本当に今度ハツくんと闘うつもりなの?」
「まあな。口先だけかと思ったが、実力は本物だった」
(特能だけじゃない。あれほどのハイマをいとも容易く操る身体能力といい……接近型の対人戦になれば、あいつの戦闘力は今回とは比べ物にならないだろう。あいつ……何者だ?)
つい考え込んでいると、ヤクの不安げな眼差しを感じた。いつもの笑みを返しながら、校舎へとヤクを促す。
「そんな顔するなよ。ずっとずっと先、いつかの話さ」
「……うん」
「さ、お前も疲れただろ?部屋に帰って休もう」
「休み! じゃあ今夜は遊べるねっ」
「何言ってんだ? 試験はゴールじゃないんだ。夜は明日の授業の予習をするぞ」
「そ、そんなぁ……」
ヤクはがっくりと肩を落とした。午後の心地よい涼やかな風が二人の間を吹き抜ける。めしょめしょと嘆くルームメイトに歩調を合わせながら、シキは思わず口元を綻ばせたのだった。




