Ⅲ 博多
時代考証などはすべて集英社「アジア人物史 第5巻 モンゴル帝国のユーラシア統一」に拠ります。
1280年、夏。
博多。
対馬を出て、三日が経った。
船が、博多の港に入った。
大きな港だった。
唐船、高麗船、日本の船が、並んでいた。
活気があった。
人が、行き交っていた。
荷が、動いていた。
「賑やかですね」
遼希が言った。
「そうだ」
舜が答えた。
「博多は、昔から大陸との窓口だ」
「多くの物と人が、ここを通ってきた」
「この港があれば、交易はできる」
「日本には、すでに土台がある」
「広げるだけでいい」
阿剌罕が言った。
「なぜ、今まで交易をしなかったのだ」
「怖かったからだ」
舜が答えた。
「大陸の大国と、正式につながることが」
「怖い?」
「日本は、島国だ」
「海に守られていることが、誇りであり、安心でもある」
「外からの力を、恐れる」
「そういう国だ」
港に、出迎えがいた。
九州探題の使者だった。
「大元の使者を、お迎えします」
使者が、頭を下げた。
「鎌倉への通行を、許可します」
「ありがとうございます」
舜が、日本語で答えた。
使者が、驚いた顔をした。
「日本語が、お分かりになるのですか」
「少し、分かります」
使者が、慶円を見た。
「慶円殿、通訳は要りそうですか」
「半分は要りません」
慶円が答えた。
「半分は、要ります」
使者が、笑った。
宿に案内された。
広い屋敷だった。
庭に、池があった。
鯉が、泳いでいた。
「立派な宿ですね」
遼希が言った。
「俺たちを、どう扱えばいいか分からないんだろう」
舜が言った。
「だから、とりあえず、丁寧にしている」
「それでいい」
「丁寧にされているうちに、話を進める」
「分かりました」
「父上は、したたかですね」
「七十年生きれば、したたかにもなる」
翌日。
一人の武士が、訪ねてきた。
竹崎季長という男だった。
肥後の御家人だった。
三十代の、精悍な顔立ちをした男だった。
招かれてきたわけではなかった。
自分から来た、とだけ言った。
「大元の使者に、話がある」
「どうぞ」
舜が言った。
竹崎が、部屋に入ってきた。
舜を見た。
「お前が、使者か」
「そうです」
「老人だな」
「七十を過ぎています」
「なぜ、老人を使者に寄越した」
「俺が、行きたいと言ったからです」
竹崎が、首をかしげた。
「自分から、行きたいと」
「はい」
竹崎は、しばらく舜を見た。
「俺は、前の元寇で戦った」
「そうですか」
「あの時、元の兵と戦った」
「俺の仲間も、死んだ」
「申し訳ありませんでした」
舜が頭を下げた。
竹崎が、黙った。
「なぜ、お前が謝る」
「俺も、この帝国の一員だからです」
「お前は、武人ではないな」
「記録者です」
「記録者が、なぜ使者になる」
「記録者だからこそ、使者になれる」
舜が言った。
「俺は、この帝国が何を求めているかを、七十年見てきました」
「征服ではない。広がりです」
「人が行き来し、物が行き来する」
「それが、クビライ様の望むものです」
竹崎は、しばらく沈黙した。
「証拠はあるか」
「証拠は、俺自身です」
舜が答えた。
「征服を求める帝国が、七十歳の老人を使者に送りますか」
竹崎が、小さく笑った。
「確かに、そうだな」
「俺は、信じていない」
「だが、話は聞く」
遼希が、慶円と話していた。
「慶円殿は、なぜ漢語を学んだのですか」
「大陸の仏典を、読みたかったからです」
慶円が答えた。
「日本にも仏典はあります」
「だが、大陸には、もっと多くの書物があると聞きました」
「そうです。たくさんあります」
「羨ましい」
「交易が始まれば、入ってきます」
「本当ですか」
「はい」
慶円が、目を輝かせた。
「遼希殿は、大陸の書物を読んだことがあるのですか」
「はい。父上の書棚に、たくさんあります」
「父上は、チンギスの時代から書いてきた記録者です」
「チンギスの時代から」
慶円が、息をのんだ。
「七十年以上です」
「すごい」
遼希が、笑った。
「父上は、すごい人です」
「俺は、まだ、その半分も生きていない」
「でも、受け継いでいます」
慶円が、遼希を見た。
「遼希殿、あなたは、なぜここに来たのですか」
「父上について来ました」
「それだけですか」
遼希は、少し考えた。
「対馬に着いた時から、ここが好きになった気がします」
「なぜかは、分かりません」
「だが、何か引き付けられる」
慶円が頷いた。
「私には、分かるような気がします」
「あなたの中に、この土地と通じるものがあるのでしょう」
舜が、竹崎と話を続けた。
「あの時の戦で、何を思いましたか」
「元軍が来た時です」
竹崎が、静かに言った。
「強かった。矢が、一斉に来た。音がした。聞いたことのない音だった」
「怖かったか」
「怖かった」
竹崎が、正直に言った。
「だが、逃げなかった」
「なぜですか」
「この土地は、俺の土地だ。家族が、ここにいる」
「守るしかない」
舜は、記録帳に書いた。
「竹崎季長の言。怖かった。だが逃げなかった。この土地に家族がいるから」
書き終えた。
「俺も、あの戦の話を聞かせてください」
舜が言った。
「あなたの口から、聞きたい」
竹崎が、しばらく考えた。
「お前は、俺の話を、書くのか」
「はい。後世に残します」
「俺の名前も、書くか」
「はい。竹崎季長という名前を、書きます」
竹崎が、少し間を置いた。
「分かった。話す」
竹崎が、語り始めた。
元軍の上陸。
矢の雨。
石火矢の音。
仲間の死。
御家人たちの奮戦。
そして、嵐。
舜は、全てを書いた。
その夜。
舜が、記録帳を開いた。
竹崎から聞いた話を、整理していた。
「俺には、どちらの側も書く義務がある」
舜は、呟いた。
「元軍の側も、日本軍の側も」
遼希が言った。
「父上は、いつもそうですね」
「そういうものだ」
「どちらの側も、記録する」
「それが、本当の歴史だ」
「竹崎殿は、信じてくれますか」
「まだ分からない」
舜が答えた。
「だが、話してくれた。それでいい」
「一歩ずつだ」
波の音が、聞こえていた。
博多の夜が、深まっていた。
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