第752話 視認
「今はそうだね。そいつを捕らえて古野白さんや三隅さんに……えっ?」
江良が立ち上がった。
両眼にも消えかけていた光が宿ってる。
この短時間で回復を?
いや、仮にそうであったとしても、全快しているわけがない。
満身創痍は変わらぬはず。
「下がってろ、里村」
「うん」
ならば、追撃するのみ。
もう数回掌底を放てば問題ない。
「……」
再び無表情を貼りつけた江良。
自ら仕掛けることはなく、こっちを注視しながらじりじりと後退していく。
もちろん、逃がしはしない。
ダンッ!
床を蹴り一足で接近。
対する江良も足を止め、左手の刀を振るってきた。
が、さっきまでの速さと鋭さはない。
難なく躱して掌底を叩き込める、そんな一振りだ。
当然、俺の右手は狙い通り正中を……ズレた!
江良は半歩後方!
「えっ? 何?」
前回何度か見たズレをその体でも使えるのか?
「何をしたの?」
「異能だろうな」
「消える異能?」
消えたんじゃない。
常人の眼では追えない動きでズレただけ。
ただ、ズレたといっても僅かなもの。
江良はすぐそこいる。
軽く掌底が届く距離だ。
シュッ!
またズレた。
シュッ!
まただ。
シュッ!
4回の連続。
神速使用に制限はないのか?
「……」
いいだろう。
そういうことなら。
ダンッ!
まずは踏み込み、右の掌底。
ヒュッ!
空振りした状態で半歩跳躍。
左の掌底。
ヒュッ!
再度跳躍。
次は1歩の距離を飛んでやる。
シュンッ!
斜め!
江良が斜め後方にズレた!
それも2歩の距離を。
こいつ、距離も伸ばせると?
「……」
予備動作なくズレることが可能な異能。
その使用に制限がなく距離も方向も自在だとしたら、難易度が違い過ぎる。
短剣や徒手との相性も最悪だろう。
が、それでも。
「有馬くん?」
「大丈夫だ」
やり様がないわけじゃない。
「けど」
俺の手の内を知らない里村は不安顔。
連続の空振りを目にしたんだから当然か。
「ちょっと時間はかかるが心配は無用だ」
「……うん、あっ!」
また江良がズレを。
こっちが仕掛けてないのに3連続で?
ということは……そうか。
この状況でも前回と同じように流れるのか。
「里村はここに残ってろよ」
一言投げて江良を追う。
厠の外へ駆け出した江良の背中は数メートル先。
彼我の速度差も問題なし。
前回とは違い、程なく追いつける。
ただし、追いつく先は。
「ん? 有馬?」
だろうな。
「何慌ててんだ?」
結局、ここも同じ状況になってしまった。
けどな、この先は違うぞ。
「少し離れてろ」
「はあ?」
「説明はあとだ。武上はロビーの端で待機してくれ」
「わけ分かんねえ」
「頼む」
「……あとできっちり説明しろよな」
「ああ」
江良の姿が見えない武上が離れたところで。
俺の目の前にはその江良が立っている。
「……」
前方に江良、後方は正門へと続くロビーの出口。
今回は外への逃走を許しはしない。
ただ……。
こちらでも異世界でも瞬間移動系術式を扱える敵との戦いを経験しているが、そのどれもが使用に明確な制限があった。なのに、こいつにはそれが見えない。
つまり、江良にはまだ余裕があるってこと。
利き腕を負傷してなお余力があるってことなんだろう。
「しっかし、あいつ何してんだ?」
一方、ロビーの端に退避した武上は困惑の面持ちで一人ごちている。
「あの警戒ぶりで遊んでるわけねえしなぁ?」
「……」
「となると、敵の気配を感じてる? まさか! そこにいんのか?」
正解だ。
「異形、いや異能者?」
これも正解。
こっちはその難敵異能者と対峙してるんだよ。
さっきからずっとな。
「姿を消す異能……」
ん?
江良の気配が薄まっていく。
ってことは。
「……」
色を消したような無言無表情の江良が地を蹴る。向かう先は武上と反対方向。そっちから迂回して出口に向かう算段か。
その行動はもちろん読み通り、というか前回通り。
行かせるわけがない。
動線を遮る位置に先回り、短剣を振るう。
キン!
ギン!
刀を扱う江良の手は左のまま。
やはり右ほどじゃない。
が、さっきより鋭さが増している。
キン!
ガキッ!
空間が広がったからか、白刃が描く弧にも無駄がない。
左手による刀閃とは思えないほどだ。
キンッ!
キィィン!
「おい、これ刃物のぶつかる音だよな?」
ロビー端から武上の声が飛んでくる。
「透明な敵と戦ってんのか?」
「……」
白刃の応酬が始まっても、武上の目には何も映っていない?
異能を持たぬ里村ですら目視できていたのに?
そこまで深く術にかかってると?
「有馬ぁ?」
「……今は異能者と戦闘中だ」
「っ! やっぱりか!」
キンッ!
カキッ!
「けどおまえ、そのナイフだけじゃ難しいだろ」
ああ。
簡単じゃないな。
キン!
ガキン!
ガギッ!
「こいつを受け取れ」
ヒュンッ!
武上が何かを投げてきた。
「……」
手に取ったそれは、金属製のパイプのようなもの。
軽く、短く、強度は難だらけ。
それでも、ばれないように魔力を纏わせれば。
パイプと短剣の二刀流なら。
「使えんだろ?」
「ああ」
悪くない。
「感謝するぞ、武上」
「いいってことよ。それより有馬、敵をさっさと倒しちまえ」
了解だ。
「……」
両手に得物を構える俺を前に数歩下がった江良が動きを止める。
「……」
また気配が変化を?
さらなる希薄化?
おそろしいな。
今は知覚できている俺でも油断すれば見失う、そんなレベルじゃないか。
っ、動きだしたぞ。
これまでにないほどの遅さだ。
「……」
遅々としたペースで左方に身を移し。
そのまま前に、俺の3歩横を通り過ぎようと。
シュッ!
ガッ!
「!?」
キンッ!
キンッ!
「視えてるのか!?」
ついに声を出したな。
「これも視えてる?」
「ああ、見えてるぞ」
「ちっ!」
戸惑いの表情で舌打ちする江良。
「……仕方ねえ」
江良の気配が戻ってくる。





