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わたくしの未来

 星の綺麗な夜でした。宮殿のバルコニーからは、婚礼の正装に身を包んだお兄様が、同じく着飾ったリーヴァの手を取って馬車から降りてくる様子が見えました。パレードから帰ってきたのです。

 今日はお兄様とリーヴァの結婚式です。国中が歓喜に包まれ、若き賢君とその傍らに立つ美しく勤勉な妃を祝福していました。もちろんわたくしもその中の一人です。

 ……だって、お兄様が選んだ女ですもの。たとえどれだけ気に入らない存在であったとしても、その性質や能力を認めてはあげます。わたくしにだってそのくらいの度量はありました。


「エイル、これからどうする?」

「しばらくは滞在する予定ですけれど、折を見てヘズガルズに向かうつもりです。あまり留守にはできませんもの。ロキはノルンヘイムに預けていきますから、世話係兼教育係としてきちんと見守ってくださいな」


 傍らに立つカイに頼むと、カイはマスク越しでもわかるほど露骨に嫌そうな顔をしました。


「君主としてのありようを教えられる存在が、ヘズガルズにいるとは思えませんもの。ヘズガルズの情勢が安定したら迎えに来ます。……たとえ居場所が違えど、わたくしはずっとロキのことを想っていますのよ? ですから、心配なさらないで」


 抱いていたロキを預けます。カイはこわごわとした様子で受け取りました。

 ロキはすやすやと眠っています。カイの腕の中でわずかに身じろぎしましたが、起きたわけではないようです。一瞬慌てて、すぐにほっとするカイの様子は見ていてとても面白いですね。


「貴方はノルンヘイムに残るのでしょう? 誰かと結婚するつもりもないと、お兄様から聞きました。わたくしもヘズガルズで寡婦を貫くつもりですから、お揃いですわね」

「……あのさ。これは嘘じゃないけど、僕はやっぱり――君のことが、好きなんだよ。でももし君が、僕と再婚したいから一緒にヘズガルズに来いと言っても頷かなかった。仮に僕が君に求婚して、ノルンヘイムに残るように言ったとしても、君は絶対に頷かないのと同じようにさ」

「あら、よくご存じですこと」

「何年幼馴染やってると思ってるんだ?」


 カイが笑ったのが雰囲気でわかります。勝ち誇った様子が気に入りません。


「一人の人間が背負える役割は一つだけだと君は言う。でも人間は、もっと複雑でいいはずだ。その感情から生まれる役割も、役割ごとに芽生える感情も。……君はシグの妹で、ロキの母親で、僕の不義の恋人で、ノルンヘイムの王妹で、ヘズガルズの未来の王太后で、エイルだろ? その肩書(なまえ)ごとに違った役割と、感情があっちゃ駄目なのか?」

「……」

「あくまでも比重と優先順位の問題だ。どの役割(かお)も、普段は表に出せないだけできっとある。その中で僕と君が一番優先したものは、多分他人には理解されないものだろう。……だけど、いくつもの役割と感情を心の中で両立するのは矛盾しないと、僕は思うよ」

「心にとどめておきますわ。……ところでそれは、強がりをやめた貴方なりの意思表示と受け取って構いませんのよね?」


 返事を待たずにマスクを下ろします。ロキを起こしてしまわないように、静かにキスをしました。

 青白い肌はすっかり赤く染まっていましたが、月光はカイの肌を焼きません。カイごときがわたくしに勝とうだなんて、百年早いのです。


「ふふ。弟と妹、ロキはどちらを欲しがるかしら」


 すやすやと穏やかな寝息を立てるロキの柔らかな頬を軽くつつきます。ぷにぷにとして気持ちいいです。カイがそわそわしているのは、噛み癖を抑えているからでしょうか?


「カイの目で、この子が弟と妹のどちらを欲しがるか判別できませんの?」

「無茶言うな。そういう使い方はできないよ。僕が視えるのは、あくまでも人の本質だけだ。生きざまを見抜くだけで、未来の予言ってわけでもないし。誰もが望む通りの生き方をするわけじゃないだろ」

「なら、ロキからは何が視えますか?」

「……この子は、少し変わってる(・・・・・)。僕の目でも捉えきれないぐらいにくるくると色が変わるから。うまく言えないけど、そうだな、見様によって輝き方の変わる宝石みたいだ。でも、それこそこの子の本質なんだろ。それに、どれだけ色が変わっても生まれ持った役目は変わらない――この子は、何かを終わらせる子だよ」


 だけど、僕らの子だ。カイは力強くそう言い切りました。

 終わらせるものが何であろうと、その結果どうなろうと。たとえ自らの手でこの子を殺すことになったとしても、カイはこの子を愛するのでしょう。もちろんそれは、わたくしも同じです。


「わたくし達にとって悪いことではないのを祈るばかりですわね」

「なるようになるさ」


 カイは肩をすくめてロキをわたくしに返し、マスクを元の位置に直します。確かに、それもそうですわ。腕の中で眠る重みとぬくもりを感じながら、わたくし達はお兄様をお迎えするために宮殿の中へと戻りました。


「お兄様、お義姉(ねえ)様、このたびはご結婚おめでとうございます」

「おお、エイル。カイとロキも一緒か」


 側仕え達と共に回廊を進む二人を見つけ、早速淑女の礼を取ります。カイも無言で敬礼しました。しおらしいわたくしの様子が意外だったのか、リーヴァは目を丸くしています。失礼ですね、いくら憎らしくてもいじめたりなどしませんのに。

 お兄様を奪った者とはいえ、この女はお兄様の愛する人なのです。嫉妬のあまりに傷つけたりしたら、お兄様に嫌われてしまいます。この女を傷つけていいのも、お兄様だけなのですから。

 朗らかに笑うお兄様の手がわたくしに伸びます。お兄様は素手ですから、殴ってくださるのかしら、つねってくださるのかしら、それとも叩いてくださるのかしら。


「シグルズ。それ(・・)は、わたしだけという約束でしょう」


 それなのに、その手がぴたりと止まりました。お兄様はロキを一瞥だけして、わたくしの額にキスをしてからリーヴァを見ました。


「心配のしすぎだ、お前は。……それとも、悋気しているのか?」

「ええそう、そういうこと。あなたの関心がよそに向かうのが許せないという、わたしの嫉妬心です」


 リーヴァは澄まし顔でした。……あら? もしかして今、わたくしは、お兄様から苦痛(あい)を与えていただく機会をこの女に奪われてしまったのかしら?


「そうか、そうか。そうだなぁ、王は慈悲の心を持って民と接するべきだが、だからといって恋慕の証をばらまくわけにもいかぬ。くくく、案ずるな。私はエイルを愛護(あい)しているが、恋慕(あい)しているのはお前だけだ、リーヴァ」

「お兄様ぁ!」

「それでいいのよシグルズ。王の顔と人の顔は使い分けていかないと。あなたは確かに王だけど、ごっこ遊びに興じる余裕はあったでしょう? 民は只人だからこそ、王たるあなたについていけない。だからこそ、時にはあなたのほうから民に合わせた施しをしてあげないといけないのよ」

「わかっているとも。我が苦痛(あい)はお前だけのものだ」

「なるほど、シグの手綱をそう取ったか……。あえてシグを尊重する形で、うまく落としどころを見つけたな。僕らには真似できないことだ」


 わたくしの叫びもお兄様には届きません。カイは小声で感心していますが、そんな場合ではないでしょう! これはゆゆしき事態です!

 お兄様はにやりと笑い、リーヴァを軽々しく横抱きにします。「それではな」そのままお兄様達は行ってしまわれました。きっと寝室に向かわれたのでしょう。


「カイ、」

「無理」


 みなまで言っていないというのに、無情にもカイはそのまますたすたと歩いていってしまいます。リーヴァのように横抱きにしなさいとか、今すぐ二人の邪魔をしてきなさいとか、まだ命じていないにもかかわらずです! 傷心のわたくしに、もっと優しくしてくれてもいいと思うのですけれど?

 ちょうどその時、ロキがぱちりと目を覚ましました。わんわんと泣き出すロキをあやしながら、小さい声でそっと語りかけます。


「ロキ、貴方は父親のように冷徹で意地っ張りな大人になってはだめよ。女性には優しくなさい」


 涙で溶けてしまいそうな宵闇の空の瞳が、わたくしをじっと見上げました。わたくしの言葉など、この子はまだ何一つとして理解できていないでしょう。それでも別に、いいのです。

 お兄様には、“その先”を見ていただくことができました。お兄様は、誰にも命をおびやかされることのないまま、宝玉を手にして蘇生の力を行使し、ノルンヘイムの王だけではなくこの大陸の皇帝と呼ぶにふさわしい地位を手に入れ、仮初ではなく真に愛する妃を娶ることができたのです。それこそわたくしの望みでした。わたくしの願いは、叶ったのです。


 そして、わたくし自身も“その先”を手に入れました。願いの先にあったもの。この小さな命こそ、わたくしが自分の目標(ゴール)に辿り着いた果てに見つけたものに違いありません。


 ――――それでも、人の欲望(ゆめ)は尽きないものです。

 お兄様の完璧なる統治。そして、この子のための穏やかな未来。すべてわたくしが叶えてみせます。

 これからも、望むすべてを手に入れましょう。だってわたくしは、お兄様の妹ですもの。

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― 新着の感想 ―
[一言] とても面白かったです。主要人物はみんな揃いも揃って変わっているのに綺麗に幕を下ろされていてすごいと思いました。いつかこどもたちの物語も覗いてみたいと思いました。
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