わたくしの計画
今日は元王妃の処刑の日です。罪状は王弟暗殺。かつては王の妃だったということもあり、処刑と言っても内々に済ませるだけのものですが。
「楽しみですね、お兄様」
「そうだな、エイル。しかと義母上の最期を見届けてやらねば」
畏れ多くもお兄様と手を繋ぎ、監獄塔の最上階にあるという処刑部屋へと向かいます。お兄様はお父様の名代として、わたくしはお兄様の付き添いとして。処刑の見届けに、お父様はいらっしゃらないようです。お兄様がいるので、わたくしとしては構いませんが。
「ぁ……あ、ああああああっ……!」
わたくし達が着いたころには、もうすでに死刑執行の準備が整っていました。牢の前には官吏と官僚が二人ずつ、それから法務大臣が立っています。牢の中には三人の死刑執行官と、彼らに囲まれながら椅子に座った女が、あんぐりと口を開けてわたくし達を見ていました。
椅子に縛りつけられてはいますが、腕はまだ自由です。確か、身分の高い者の死刑の場合、名誉の自死が許されているから……でしたかしら。けれど震えだした彼女の目からは、はらはらと大粒の涙がとめどなく零れ落ちています。これから王命により死を賜る者の態度にはとても見えません。
お兄様が執行人に指示を出しました。執行人の一人が恭しく一礼し、杯を女に差し出します。しかし女はそれを受け取りません。それどころか子供のようにいやいやと首を横に振り、激しく暴れ出す始末。慌てて牢の中にいた執行人達が取り押さえましたが……滞りなく処刑を終わらせるのは難しそうですね。
「死にっ、死にたくない! 嫌だ、やめろ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……! わたくしを……わたくしを見るな、フレイヤぁ……!」
取り押さえられてもなお、女はじたばたともがいています。執行人達が諦めて、女に手枷を嵌めました。そして女の口に自分達の手で毒を注ぎ込もうとした、その時。
「見るに堪えんな」
お兄様が、動き出しました。
「お前達、下がっていいぞ」
「殿下? まさか恩赦をお与えになるおつもりですか!?」
お兄様が牢の中へとお入りになると、法務大臣が顔色を変えます。お兄様はそれに応えず、腰に佩いていたレイピアを抜きました。執行人達は顔を見合わせたものの、ひとまず壁際に下がりました。聞き分けのいい方々で何よりです。
「なりません殿下! これは国王陛下のご命令であり、」
「何か言ったか、大臣?」
「いかに王太子殿下といえど――」
お兄様はわずらわしげに振り返ります。法務大臣の言葉は、途中で消えてなくなりました。お兄様のレイピアが、女の左目を貫いていたからでしょうか?
「で、殿下……? 何を、なさって……」
「苦痛を与えているだけだろう? 痛覚が燃える感覚を刻み込みながら死ねるようにな」
大臣の問いに答えるお兄様は、次は右目をお潰しになっています。レイピアを引き抜いたら、おめめも一緒に出てきてしまいました。何かがちぎれて、べしゃりとおめめは落ちました。
あらあら、潰れてしまっているじゃありませんか。一度床に落とすぐらいですから、お兄様には召し上がる気などないのでしょうね。あの女の一部がお兄様の血肉になるなんて、このわたくしが絶対に許しませんけれど。
女の絶叫だけが響きます。お兄様は一瞥もくれずにレイピアを軽く清めて、鞘に納めなさいました。案の定、お兄様はその潰れたおめめを踏み潰します。お靴が汚れてしまいました。わたくしが舐め取ったほうかいいのでしょうか。
二本のダガーを取り出したお兄様は、そのまま女の背後に回ります。そのうちの一本で肌の上をなぞるように皮膚を削ぎ、もう一本は悲鳴を上げているせいかはしたなく大きく開かれたその口の中に強く押し込んで。女がもがけばもがくほど、舌で押し出そうとすればするほど、その口は赤く染まります。舌も口腔もずたずたで、とても吐き出せないようでした。
ダガーで頭頂を貫いてからしばらくすると、だんだん声も聞こえなくなりました。どうやらお兄様は、ダガーはあの女への餞にしてさしあげるようで……あら? へたりこんでいる方や、粗相をしてらっしゃる方がいますね。大人なのにはしたないです。
「終わったぞ、エイル」
「お兄様、帰ったらまずはレイピアの消毒をいたしましょう? あの女の血と脂で穢れてしまいましたもの。そんなもの、エイルは使われたくありません」
「悪い悪い。そうだな、ぬぐった程度で落ちるものでもないか」
戻ってきたお兄様についた返り血をハンカチでぬぐおうとすると、お兄様は軽くかがんでくださいました。お兄様はお優しいです!
「ここに罪人の処刑は成った。結果的に我が手で裁きを下すことになったが、それはお前達が気にすることではない。これ以上継母の見苦しい姿を見ていられないと、私が自ら申し出たことだからな。その者の亡骸は首だけ斬り落としてどこかのかがりの足しにせよ。首から下は、野に晒して鳥獣に食わせておけ」
「ぎょ、御意……!」
身体だけなら、どこの誰かなどわかりませんものね。このようなつまらない女、手厚く葬る価値もありません。頭部だけでも焼いてあげるのは温情として十分すぎるほどです。
聖鐘教の教えでは、遺体を鳥獣が貪るとその鳥獣に魂の欠片が宿り、再臨の鐘が鳴ったとしても二度と蘇ることがないと言われています。わたくしは聖鐘教の信者ではありませんので、信じてはいませんが……お兄様のご命令は、まっとうな聖鐘教信者であれば目を背けるような行いです。もっとも、お兄様のご命令に背くのであればノルンヘイムの臣民とは言えないでしょうが。
わたくしの祈る神はお兄様お一人とはいえ、わたくし達に加護を与えてくださった邪神には感謝していますし、天から人も王も等しく見守る何か運命のような概念こそが神であるという認識はあります。けれどその神という概念は、間違っても聖鐘教の掲げる導きの三神のことではありません。導きの三神など、わたくしにとっては役立たずもいいところですもの。
創世の鐘が鳴り響いた時に世界は創られ、楽園の鐘が鳴り響く中で数多の生命が生まれては死に、そして再臨の鐘が鳴り響く時にすべての魂の選定が始まり、選ばれた者だけがもう一度鳴る創世の鐘の音を聴く――――この祝福の三鐘こそが聖鐘教の根底にある教えであり、この三つの鐘を撞くものを導きの三神と呼んでいます。
この終末論の何が気に食わないかと言うと、この“すべての魂を選定する方法”とやらこそがあの憎くて仕方ない“悪”、終焉の獣のことだからです。
終焉の獣、その名はスルト。聖鐘教では天使とされているそれの正体は、導きの三神ですら御しきれない悪魔です。聖鐘教の天使という喧伝をすることで、終焉の獣による破壊活動に正当性を与え、聖鐘教と三神の権威を守っているだけにすぎません。実際のスルトは、聖鐘教に所属していないどころか何の関係もないにもかかわらず。
導きの三神も聖鐘教も、スルトの威を借りて世界宗教の地位についたようなものなのです。多くの人を殺し、世界を破壊しつくすスルトは、聖鐘教の謳う終末論の舞台装置にぴったりでした。導きの三神の対となる邪神、すなわちわたくしやお兄様、ついでにカイにも加護を与えた方のほうがよほど善というものでしょう。
物語においてスルトは人の姿を真似てお兄様に近づき、お兄様に奸計を吹き込みます。そしてそこから、お兄様はスルトを利用しているつもりでスルトに利用され……ああ、ああ、まったくもって忌々しい!
終焉の獣が破壊活動を行うのは千年に一度。次は物語が始まる年です。スルトの覚醒と破壊活動は同時期ではないとされていて、物語の中では開始の一年前にお兄様の側近となったという説明がありました。カイであれば、初見の時点でスルトが何かおかしいと気づいたでしょう。実際、スルトの本性を暴いた直後スルトに殺されるという分岐もありました。ですがカイのことですから、お兄様なら問題ないと慢心して、忠告を怠ったのでしょう。その油断は仕方のないものですが、愚かな判断だったと言わざるを得ません。
手駒が奪われるのは、お兄様の本意ではないでしょう。ひとまずカイの生存は視野に入れつつも、スルトの暗躍を阻止しなければなりません。そこで、聖鐘教を徹底的に排除していくことをお兄様に進言する所存です。だって人の姿のスルトは、聖鐘教の聖職者の姿をしていますもの。天使として振る舞う気もないのに隠れ蓑としては利用し倒そうとするなど、つくづく図々しいけだものです。
聖鐘教があろうがなかろうが、スルト自身には大した打撃にもなりません。天使だの選定だのは聖鐘教が勝手に言っているだけで、それでスルトの力や行動に枷を嵌められるわけではありませんから。
聖鐘教を潰しても、スルトは聖職者以外の皮を被ってお兄様に近づいてくるかもしれません。それでも、スルトの擬態の手段を一つ潰せるというのは大きいのです。……認めるのは大変悔しいですが、あれは強大な存在ですもの。スルトを滅せる手段に、あてがないわけではありませんが……せめて、それを手に入れるための時間を稼がなければいけません。
物語に、お兄様が聖鐘教を弾圧する分岐はありませんでした。しかしそれは、(たとえ二心はあったとはいえ)寵臣として控えていたスルトを慮ってのこと。お兄様自身が敬虔な聖鐘教徒でないことは、あの女の亡骸の処分方法からして明らかです。
ですからスルトがお兄様に近づく前に、弾圧を進言いたしましょう。スルトをまだ知らないうえ、王太子となられた今のお兄様なら、聖鐘教の弾圧にも賛成してくれるはずです。理由など、どうとでもこじつけられますから。
*
「おお、シグルズ、エイル。処刑のほうは……滞りなく済んだようだな」
身を清めてから仔細の報告に来たわたくし達を見て、お父様は力なく微笑みます。
「はい。エイルとともに、この目で最期を確認いたしました」
「そうか、そうか。……二人とも、近う寄れ」
お父様は満足げに頷き、わたくし達を手招きします。言われた通り、わたくし達はお父様のもとに歩み寄りました。
お父様は無言でわたくし達を抱き締めてくださいます。その抱擁に、なんの意味があったのか。もし言葉があれば、それはどんなものだったのか。いずれも、わたくしにはわかりません。けれど、一つだけわかるのです――――この方は、もはや王としては在れないのでしょう。




