わたくしの見学
一月前に大火事に見舞われた貧民街の復興は、滞りなく進んでいるようです。復興にはお兄様も尽力していらっしゃるようでした。お兄様は未来の王太子ですもの、当然の行いです。
子供らしい柔軟な発想力と、幼いながらも国政と民の暮らしにかかわろうとする積極性。焦土と化した区画を自ら慰問するお兄様の姿に、臣民は歓喜の涙を流しています。それでこそノルンヘイムの民ですね。
貧民街は即座に解体・撤去される運びとなりました。そこに住んでいた者達がみな炎に焼かれたのですから、当然の判断です。慰霊の碑を建てた広場を造り、国が補助金を出して整備を行って。かつて貧民街だったそこはもっと清潔で居心地のよさそうな、真新しい区画へと生まれ変わることでしょう――――あの忌々しい“主人公”は死んだのです。
カイはうまくやってくれました。そのカイも、元王弟殿下の所領で現お兄様の所領となった領地のごく一部を内々に下賜されて、たいそうご満悦のようでした。小さな村と森ぐらいしかない、王都から限りなく離れた場所のようですが……それでも自分だけの実験場があると、研究の進み具合は違うようです。さっそくカイは次の研究へと取り掛かっていきました。熱意があるのはいいことです。これからもその力はお兄様のためだけに磨くといいと思います。
シンフィ王子も王弟殿下も死に、もはや王の血を引くのはお兄様のみ。お兄様が王太子として叙されるのは当然の流れでしょう。お兄様が最初に手にする玉座は、すぐその前にありました。あとは、最後の障害を取り除くのみです。
「シグルズ……! 貴様さえ……貴様さえ生まれてこなければ……!」
まあ、怖い。血走った目をした鬼女が、歯を剥き出して唸っています。
「ついに本性を現したな、義母上……否、魔女よ」
わたくしを背に庇ったお兄様が、静かな怒りを湛えた言葉を王妃に対してぶつけます。
集う騎士や家臣達は、事の成り行きを固唾を飲んで見守っていました。今日は王妃のために用意した、裁きの場。さあ皆々様、楽しんでいってくださいまし。
「陛下、発言の許可をいただけますか」
「許そう。シグルズ、前へ」
お兄様はお父様に対して、すでに王妃を告発する上奏文を献上しています。王妃を弾劾する機をうかがっていたお兄様は、今日というこの日をその舞台へ定めたのです。お母様が、亡くなった日に。
一ヵ月の間に万全の準備をし、宮廷人達を招集して開いた会議。はじめ王妃は何故自分がその場に呼ばれたのか理解していないようでしたが、半刻もすれば場の空気も掴めるというものです。化粧が崩れるのも構わず顔を歪めて髪を振り乱す王妃の姿は、醜いの一言に尽きました。
「先月のペルレ宮殿で起きた不審火ですが、あれは王妃殿下の手によるものだと思われます。王妃殿下はオレルス様と通じ、まだ幼いエイルの身柄と引き換えに王太子の座を確約するという密約を公と交わそうとしていました」
「なっ……!」
王妃は青い顔で何か喚き出しますが、官僚が大臣達に配る密書の控えの前ではどのような弁明も通用しないでしょう。カイがペルレ宮殿から失敬してきた密書は、まぎれもなく王妃から送られてきたものなのですから。
その唯一の原本は、今やお父様の手元にあります。妃という立場を越えた後援と、年端もいかない王女を売り渡す契約。場内のざわめきは次第に広がっていきました。
「オレルス様亡き今、このような下劣な密約を公がどこまで了承したかは定かではございませんが……どうやら公は万が一の場合を考慮し、自分の身に何かあった際は王妃殿下からの密書が外部に流出するよう手配をしていたようです。その懸念が見事的中した今、重要な証拠が焼失せずに残ったのはひとえにオレルス様の慧眼のおかげでしょう」
お兄様は朗々と語ります。王妃と仲違いした王弟殿下は王妃に暗殺されてしまいましたが、王弟殿下はあらかじめ事前に密書を別の貴族に託し、それが巡り巡ってお兄様およびお父様のもとに届いた……というのが今回の筋書きです。
密書を託された貴族役は、特に定めてはいませんでした。その者の安全のためだと理由をつければ、こちらが名を伏せていても勝手に推測してもらえますもの。有力候補は中立かつ嫡男がお兄様と親しいラシック伯爵ということになっていました。とうの伯爵は伯爵で、他の貴族がやったのだろうと思っているのでしょうが。
「我が妹、エイルはいまだにデビュタントに至らないような幼い子供です。いかに王族、王の妃とはいえ、これほど小さな子供を食い物にしようなど卑怯にもほどがある。まるで女衒の所業のようだ」
王侯貴族の身ともなれば、政略結婚など当たり前です。とても嫌ではありますが、わたくしもいずれ誰かのもとに嫁がなければならないのでしょう。
ですが、だからといって適齢期に達していない子供を娶ろうと……あるいは、その縁談の世話をしようとすることが褒められる行為であるわけではありません。その年の差が親子ほど離れていればなおのことです。
白い目が王妃に突き刺さります。継子を義弟に売ろうとし、挙句その義弟を殺した女。何故この女は、そのようなことをしたのか。その答えを導き出すのは、宮廷人にとってはたやすいことでしょう。だって大人達は、王妃と寵姫の確執を知っているのですから。
「それほどまでにシグルズとエイルが……フレイヤが、憎かったか。しかしそなたのその憎悪は、余に向けるべきものだ。それは、何の罪もない子供達の将来を摘み取ろうとし、オレルスの命までも奪っていい理由になりはしない」
ひそひそとかわされる侮蔑の囁き声は、お父様の沈痛な言葉の前にぴたりとやみました。お父様はまっすぐに王妃を見つめています。
「違うのです! わたくしは、そのようなことは知りませぬ! これは何かの間違いで、」
「黙れ! ……我が妃ながら見苦しい。十年前、フレイヤ暗殺の下手人として捕えたのはそなたの乳姉妹だったな。思えばあの時、そなたへの疑念を明確にしておけばよかったのだ。そうすれば、このような事態は招かなかった」
王妃の生家は、国内ではそれなりの勢力の家柄です。大貴族の姫だった王妃のことは、王としてのお父様も邪険にはできなかったのでしょう。
一方のお母様は、辺境の小領地の姫に過ぎません。人としてお父様が狂おしいほど愛していたのがお母様だったとしても、王として冷静な判断を下せる程度の分別はあったようです。
……いいえ、違いますね。お父様はきっと、お母様を喪ったあの時に、大衆の前で王の仮面を外せなくなってしまったのです。お母様亡きあと、お母様への愛はお母様を奪った者への怒りではなくお母様を喪った悲しみに変わったのでしょう。お母様の面影を残すわたくし達を可愛がる時だけが、お父様が人に戻れるわずかな時間だったのかもしれません。
ああ、なんて歪で強欲なお父様。王としての自分と人としての自分を両立させて正当化しようとするあまり、同じ口で矛盾を語るのです。だってお父様という人間は一人しかいないのに、二つの役割を背負おうとするなど無理があるではありませんか。
いっそのこと、はっきりおっしゃってしまえばいいのに。「王妃に対しては義務感しかなく、シンフィにも最初から興味はなかった」と。
お父様が期待していたのは、最初から最愛の女性との間の子であるお兄様だけで。シンフィ王子のことなんて、きっと王妃に丸投げだったのでしょう? お父様は見る目がおありです。仮にお兄様とシンフィ王子に同じ教育を施し、同じ態度で接していたら、シンフィ王子の出来の悪さが今よりもっと浮き彫りになってしまいますから。
「陛下、貴方の目は曇ってしまわれた。すべてはあの魔女の呪いのせいで。わたくしのこともシンフィのことも顧みず、あの毒婦とその胎から生まれたおぞましき生き物どものことばかり……!」
あらあら。お父様の妻だというのに、お父様のことをよく理解できていなかったのですね。お父様はきっと最初から、こういう方だったのに。
以前のわたくしには、お父様のおかしなところがわかりませんでした。けれど王族として王宮で過ごすようになった今ならわかります。お父様は、王の器ではなかったのでしょう。
お父様は、生まれついての人だったのです。それでも若かりし頃のお父様は、王になることを強要された。お父様は、王家の嫡男なのですから。
人でありながら王だという、決して相いれることのない生き方を強いられていたお父様。そんなお父様を解放してくれたのが、きっとお母様だったのでしょう。
辺境出身のお母様には宮廷における明確な身分が、立場が、後ろ盾がありません。だからこそお父様は、お母様の前でだけはただの人で在れたのです。一国の王ではなく一人の人間としてご自分を認めてくれたお母様こそを、お父様は愛したのです。
それは、王には不要の感情でした。国の頂に君臨し、人を導く立場にある王が、人として認められたいなど。
無力な羊を可愛がり、自分に懐く羊を愛し、自然と共に生きる羊の姿から何かを学び、守られながらのどかに過ごす羊に呆れながらも羨みもする羊飼いはいるでしょう。ですが、だからといって本気で羊になろうとし、四つん這いになって草を食む羊飼いなどいるはずがありません。いるとすれば、それはただの狂人です。そのような者に羊飼いは務まりません。
狂人を羊飼いとして祀りあげるから、このような悲しいすれ違いが起きてしまうのです。早く楽にしてさしあげたほうが、お父様のためなのでしょうか?
わたくしが考えている間に、会議の結論は出たようです。引き立てられていくのは、王妃だった負け犬でした。栄光に縋るあまりにすべてを失った哀れな女の射抜くような目が、わたくしとお兄様を見ています。なんだか呪われそうで怖いです。
*
「まだお昼なのにじめじめしていて、あまり居心地がよくないですわね。でもカイはこういうところ、好きでしょう?」
「そりゃ、真昼の草原なんかよりは落ち着くけどさぁ……」
「むぅ……。動きやすいドレスに着替えてきましたけれど、薄暗くて足下が危ないですね。カイ、わたくしを運びなさい」
「はぁ? やだよ、重いし」
「レディに向かって重いとは何事ですか!」
「あーもううるさい……。黙れ、見つかるだろ。いいか、途中で落としても文句言うなよ」
監獄塔に行ってみたいというわがままは、とても使用人が許してはくれません。そこでわたくしが頼ったのはカイでした。カイと遊ぶふりをして使用人を撒き、ここまで来たのです。
こっそり王宮を抜け出して監獄塔に忍び込んでみましたが、なんだか冒険みたいでわくわくします。この上の階に、あの女がいるのでしょう。
「ここ……みたいだな……」
とある牢の前で、カイが足を止めます。横抱きにしていたわたくしを下ろし、カイは肩で息をしています。
カイに運んでもらったおかげで移動は楽になりましたが、カイはことあるごとに休みたがるのでだいぶ時間がかかってしまいました。相変わらず不健康の極みです。お兄様と一緒に武術のお稽古をしているはずなのに、成果がちっとも見られません。カイもまだまだですね。ドレスだって簡素なものですし、わたくしが重いわけではありません、決して。
牢を覗き込むと、確かにあの女がいました。罪人とはいえ貴人、これまでの生活に比べれば粗末ではありますが、衣食住はきちんと保証されているようです。もっともそれはあくまでも環境の話、囚われている本人はひどくみじめで小さく見えました。
「……何をしに来た?」
らんらんと輝く目が、わたくし達を映します。頬はこけて、髪も乱れて。女は一気に老け込んだようでした。
王弟暗殺の罪を着せられ、家ごと処罰の対象となったのですから、それも当然なのかもしれませんが。彼女が三日前までこの国の王妃と呼ばれていた女であるなどと、誰も信じはしないでしょう。
「様子を見にまいりました。お兄様は王太子の叙任式の準備で色々とお忙しいようですから、わたくしが代わりに」
「王太子? 王太子だと!?」
「きゃっ」
「ッ!」
女は勢いよくわたくしに迫り、牢の鉄格子に掴みかかります。とっさにカイが前に出てわたくしを下がらせてくれましたが、カイがいなかったら女が暴れながら伸ばした手がわたくしに触れていたことでしょう。危ないところでした。
「何故だ!? 何故、何故陛下は……! あああああ、どうしてこんなことに、どうして思い通りにいかない……!」
「完全に気が狂ったみたいだな。まあ、そうもなるか」
「この様子であれば、わざわざお兄様に報告するようなこともありませんわね」
なんだか拍子抜けです。わたくし達からお母様を奪った女が、この程度の小物だったなんて。
「悪魔めが……」
「悪魔だって? エイルが? それともシグが?」
まあ。この女にそれを言われるのは心外です。まるで同意するかのように、カイが面白そうに口角を吊り上げたのも気に障ります。
「いずれシグルズは、シグルズはこの国を滅ぼすことになるだろう! お前達のせいで、フレイヤの血を引くお前達のせいで! もう誰も止められない、わたくしだけが、わたくしだけがフレイヤが魔女だと気づいていて、だからあの女を殺したのに、ちゃんと餓鬼どもも殺しておけば、わたくしは……!」
女は頭を掻きむしって、髪の毛をぶちぶちと千切りながらうわごとめいた言葉を漏らしていました。
「シグルズとわたくし、何が違う? 本当は、本当なら、罪人とされるべきはあいつだろう!? あいつはわたくしを陥れた、邪悪な意思と奸計によって宮廷を掻き乱した! あいつは子供の皮を被った邪な獣だ、生命を呪い世界に災いをもたらす破滅の忌み子だ……! 忘れるなよ、いずれ必ずシグルズを糺す正義の使者が現れる! その時こそあの悪魔の最期だ!」
「おっしゃりたいことはそれだけですか?」
やっぱりこの女はもう、聞くに堪えない雑言の数々しか吐けないようです。どうせならお兄様のお耳に入れるのにふさわしい、意味のあることを聞きたかったのですが。
「貴方とお兄様が同じだなんて、妄言はその程度になさってくださいな。貴方はもうすぐ舞台から退場してしまいますけれど、お兄様は舞台に残りますもの」
「お前……は、お前も、あの妖婦の……」
この女は悪役に過ぎません。わたくし達とは立場が違います。
そう。この世の中は、結果がすべてなのです。
たとえ何をしようとも、最後に立っていた者こそが正しい。それをわたくしは、あの物語で学びました。
もしもお兄様が、生きていたら。お兄様を邪魔する者どもが残らず死に絶え、お兄様の願いが叶っていたら。あの物語の主人公は、お兄様になっていたでしょう。ですからわたくしは、現実のお兄様にその結末をお約束するのです。
「そうそう。貴方の処刑は、お兄様も特等席でご覧になるそうですよ。楽しみですわ、貴方がどんな悲鳴を謡うのか。……どうか、お兄様を退屈させないでくださいましね?」
そう告げると、女は短い悲鳴を上げました。もう、今わたくし達に聞かせても意味がないでしょう。お兄様に捧げるとっておきの断末魔の練習だというのなら、大目に見てあげますけれど。




