袖擦り合うも
ひたすら頭の中の妄想で書いてます
息をする以外することがない時に
読んでください
いろいろ辻褄があわないときがあるかと思います
先に謝っておきます
すいません
夕方の駅前公園は、まだ少し明るかった。
駅へ向かう人。
買い物帰りの人。
習い事のバッグを肩にかけた子ども。
スマホを見ながら早足で通り過ぎる会社員。
その中で、公園の片隅だけが少し騒がしかった。
「猫おる!」
「上! 上!」
「落ちるんちゃう!?」
子どもたちの声が、わっと重なる。
〇〇は、駅へ向かう途中で足を止めた。
何かあったのだろうか。
見ると、公園の木の下に子どもたちが集まっていた。
その視線の先。
木の枝の上に、小さな猫がいた。
まだ大人ではない。
けれど、生まれたてというほどでもない。
小さな体を枝に押しつけるようにして、怖そうに固まっている。
降りられなくなったのだろう。
子どもたちは心配しているのだが、その声の大きさが余計に猫を怯えさせているようだった。
その輪の中に、一人の男がいた。
「みんな、ちょっと離れて待っててや」
男は子どもたちに声をかけていた。
怒るでもなく、慌てるでもなく、けれど少しだけ真剣な声だった。
「あんまり大きな声出したら、怖がるからな」
子どもたちが、少しずつ後ろへ下がる。
「落ちる?」
「落ちひんようにするから、ちょっと待ってて」
男は木を見上げた。
〇〇は、思わずその場に立ち止まった。
見知らぬ男だった。
もちろん、面識はない。
けれど、大人が駅前の公園で木に登ろうとしている。
それだけで、十分に目を引いた。
男は鞄を足元に置き、木の幹に手をかけた。
「……いけるか」
自分に言い聞かせるように呟く。
そして、木に登り始めた。
子どもたちが息を呑む。
〇〇も、少しだけ目を見開いた。
思っていたより、ちゃんと登れている。
けれど、決して慣れているわけではなさそうだった。
枝に片足をかける時、少しだけ体が揺れる。
「お兄ちゃん、いける!?」
「いける。たぶん」
「たぶん!?」
「大丈夫やから、みんな離れてて」
男は、枝の上の猫に目線を合わせるように体を低くした。
猫はさらに奥へ逃げようとする。
「そっちはあかん」
男は手を伸ばしかけて、すぐに止めた。
無理に掴まない。
焦らせない。
ただ、少しずつ声をかける。
「大丈夫や」
猫は動かない。
「怖いな。そら怖いわな」
男は、枝の上でじっと待った。
子どもたちも、さっきより静かになっている。
駅前のざわめきが、遠くに聞こえた。
〇〇は、その光景から目を離せなかった。
男は、猫を急かさなかった。
早く降りろとも言わない。
捕まえるぞとも言わない。
ただ、同じ高さで待っている。
それが、なぜか印象に残った。
やがて、猫の様子が少し変わった。
小さな前足が、一歩だけ動く。
勇気を出したのだと、見ているだけでもわかった。
「そうそう」
男が小さく言う。
「ゆっくりでええ」
猫がもう一歩、枝の上を進もうとした。
その瞬間。
足を滑らせた。
「あっ!」
子どもたちが声を上げる。
猫の体が枝から落ちかける。
同時に、男も手を伸ばした。
枝が大きく揺れる。
男の体もぐらりと傾いた。
〇〇の胸がひやりとした。
落ちる。
そう思った。
けれど男は、片腕で枝を掴んで踏ん張った。
もう片方の手を猫へ伸ばす。
しかし、猫は枝の端から完全に滑り落ちた。
その瞬間だった。
公園の外側から、すっと長い影が入ってきた。
モデルのような男前だった。
背が高く、動きに無駄がない。
まるで最初からそこに来ると決まっていたみたいに、落ちてくる猫の下へ滑り込む。
そして、両手でやさしく受け止めた。
猫は一瞬だけ暴れたが、すぐに腕の中で固まった。
時間が止まったような一拍のあと。
子どもたちから歓声が上がった。
「すごい!」
「キャッチした!」
「スーパーヒーローや!」
拍手まで起こる。
男前は少し困ったように笑い、猫の体を確認した。
「大丈夫そうですね」
その声も、落ち着いていた。
少し離れたところで、猫の飼い主らしい子どもが泣きそうな顔をしていた。
男前はしゃがみ、その子の目線に合わせる。
「もう大丈夫ですよ」
そう言って、猫をそっと渡した。
一連の動作が、あまりにもスマートだった。
〇〇はそれを見て、少しだけ息を吐いた。
猫は無事だった。
子どもたちはまだ興奮している。
「かっこよかった!」
「ヒーローや!」
「すごい!」
その少し後ろで、木に登っていた男が遅れて降りてくる。
こちらはスマートとは言いがたかった。
最後の一段で足を滑らせ、ずるっと幹に沿って少しだけ落ちる。
「うわっ」
何とか地面に着いたものの、手は泥で汚れていて、少し擦りむいている。
服にも木の皮や葉がついていた。
子どもたちの注目は、ほとんど猫を受け止めた男前に向いている。
けれど、木から降りた男は、そんなことを気にしていないようだった。
猫の無事を確認して、少しだけ笑った。
「よかった」
その言い方が、〇〇の耳に残った。
誰かに見せるための笑顔ではなかった。
自分が褒められたかどうかでもない。
ただ、猫が無事でよかった。
それだけの笑顔だった。
〇〇は、思わず駆け寄っていた。
「大丈夫ですか?」
男が顔を上げる。
少し驚いたような顔をした。
「ん? あっ、俺ですか」
「手、擦りむいてます」
「ああ」
男は自分の手を見て、今気づいたように笑った。
「ありがとうございます。ちょっと高さ見誤ってしまって」
彼は、汚れた手を軽く振った。
「ちょっとだけ落ちただけです」
「ちょっとだけ、ですか」
「はい。恥ずかしいとこ見られてしもたな」
男は照れくさそうに笑う。
「全然平気です」
平気と言いながら、手の甲は赤くなっている。
でも本人は、痛みよりも猫の方が気になるようで、視線はまだ子どもの腕の中の猫へ向いていた。
そこへ、猫を受け止めた男前が近づいてきた。
「お兄さん、大丈夫ですか?」
男前はやわらかく笑った。
「ナイスクライミングでした」
木に登った男は、少し気まずそうに顔をしかめる。
「そんなええもんちゃうし、登って降りただけや」
「でも、あなたが上で待っていたから、あの子も動けたんだと思います」
「いやいや」
男は手を振った。
「そっちこそ、ナイスキャッチやったで」
男前は少しだけ首を傾げる。
「僕も、キャッチしただけです」
「その“だけ”がだいぶ綺麗やったけどな」
二人は少しだけ笑った。
子どもたちは猫を抱いた子の周りに集まっている。
公園の騒ぎは、少しずつ日常に戻っていった。
〇〇は、木に登った男の手元をもう一度見た。
汚れている。
擦りむいている。
少し不器用で、最後はずり落ちた。
けれど、あの小さな猫が一歩踏み出すまで、急かさず待っていた。
落ちそうになった時には、自分も落ちかけながら手を伸ばした。
そのことの方が、〇〇にはずっと印象に残った。
モデルのような男前は、確かにかっこよかった。
けれど、木の上で待っていたこの人も、違う意味で忘れがたかった。
「ほんまに大丈夫ですか?」
〇〇がもう一度聞く。
男は少し困ったように笑った。
「大丈夫です。ありがとうございます」
そして、少しだけ頭を下げた。
〇〇も頭を下げる。
その時、夕方の風が吹いた。
男の袖についた葉っぱが一枚、地面に落ちた。
ほんの少しのすれ違い。
名前も知らない。
どこの誰かも知らない。
けれどその日、〇〇は確かに見た。
助けを求める小さな声に、足を止める人を。
そして、自分が汚れることより先に、誰かが無事であることを喜べる人を。
駅へ向かう道に戻りながら、〇〇は一度だけ振り返った。
男はまだ、子どもたちに囲まれた猫の方を見ていた。
手を少し擦りむいたまま。
何もなかったかのような顔で。
それでも少しだけ、嬉しそうに。
その姿は、夕方の公園の中に、しばらく残って見えた。




