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千年の神子  作者: 真咲
Chapter 3 -旅路-
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01.不帰の森と冒険者

 ――― ぴちゃん、ぴちゃん。



 遠くで、水滴の落ちる音がする。

 

(背中、痛い…)


 自分は、どこか堅いところに仰向きに横たわっているようだ。ゆっくり、しかし確実に全身に意識が行き渡ってゆく中で、琴子はなんとなくそんなことを思った。

 

(寒い…)


 身体の右半分はぼんやり熱を感じるけれど、左半分は凍えるように冷たい。

 木々の()ぜる音。焚火だろうか…?


 瞼を持ち上げる、その行為すら億劫で。けれど、琴子は思い切って双眸を見開いた。



「あ」


 まず目に入ったのは、心配そうにこちらを見つめる二つの瞳だった。

 途切れた記憶の直前に、”取引”を行った人物 ――― ディアだ。


「大丈夫ですか?」

「ん…」


 相変わらず、どこかのんびりした口調に、わずかに滲む気づかいの色。もうそれに苛立つことはなく、琴子は小さく頷いてみせた。


「すみません…緊急事態だったので、思わず飛び込んでしまったんですが…。コトコさんには刺激が強すぎましたね…。あああ、ほんと、すみません、ごめんなさい、いつも一人だとあんな感じで乗り切っちゃうからって、若い娘さんと一緒の時にあんな無謀な行動を起こすなんて、ダメでした。深く反省してますええ本当に心から!」


 目の前でしょんぼり項垂れ、延々しゃべり続ける男を見ても、正直鬱陶しいことこの上ない。


「もーいいし。過ぎたことだし仕方なかったし。つーか、うざいから」

「うざい?!」


 がーん、とショックを受けているディアをさくっと無視して、琴子はゆっくりと体を起こした。

 薄暗く、湿った空気があたりを包む。洞窟の中だ、ということは分かった。どこだろうか。周囲に視線を配り、首をかしげると、ディアが困ったように笑った。


「ここは、ダーティ・リ・アードの森の中です」

「ダーティ・リ・アード?」

「ええ。あの崖の下の川に落ちた後、僕らはどうやら川下まで流されちゃったみたいなんです」


 獣に襲われたあの森のあたりから、ここ、ダーティ・リ・アードの森までは、どうやらかなり距離があるらしい。領地を超えた…要するに日本で言えば、「川で流されて県境超えちゃった~」というわけだから、推して知るべし、である…。

 ディアもさすがに川に水没した直後は意識を保っていたものの(それでも人間じゃないと琴子は思う)、さすがに流れに逆らえず、琴子を抱えていたという面も含め、次第に体力を奪われて意識を失ってしまったそうだ。そしてそのまま、二人して川下までノンストップ、というわけだ。

 まあ、命が助かっただけでも僥倖だろう。というか、普通あの高さから落ちたら死ぬと思う。水面に叩きつけられて。


「で、ダーティ・リ・アードの森って、何かあるわけ?」

「ええ、まったくもってありがたくないことに、領内一危険な森です」


 間髪いれずのディアの返答に、琴子は苦虫をかみつぶしたように顔をゆがめた。

 ―――― なんだそれ。どういう意味。

 未だ困ったように眉を下げたままのディアに、視線だけで問いかける。ディアは、ひとつ頷いて口を開いた。




 ダーティ・リ・アードの森。

  ――― 通称、不帰(かえらず)の森。


 現領主のモリス・バーキー子爵も匙を投げた、未開の地だ。

 その歴史は古く、話は数百年前にさかのぼる。


 当時、このダーティ・リ・アードの森は、上級魔族の棲み家だったらしい。(魔物もいれば、魔族もいるのだと始めて知った。ファンタジーだ…)

 ちなみに、魔族には上級・中級・下級と存在するらしく、普段魔物と呼ばれるものは下級に当たるそうだ。

 中級・上級魔族は、主に『魔の大陸』と呼ばれる北の大陸に住み、他大陸にはあまりいないため、めったに出逢うことはないのだという。(ちなみにここは、東の大陸なのだそうだ)心からほっとした。そんな危険そうな存在とは正直お近づきになりたくない。

 閑話休題。

 

 ――― 話を戻そう。

 時の領主、オズワルド・バーキーは、この森を他領との交易路として利用しようと目論んでいた。

 ダーティ・リ・アードの森にある川は、三つの領に跨る大河だ。川を利用すれば、迅速に他領へ物資や人を運べる。物と人が動けば、金も動く。より領内が潤うのだ。交易路の確保の重要さを理解していた子爵は、森の主であった魔族へ交渉を持ちかけた。

 『森の側近くの村で、もっとも美しい娘を(にえ)を捧げる』と。

 魔族は上機嫌でその交渉を呑んだ。魔族はその娘に懸想していたのだ。魔族は大層娘を大切にした。娘を慈しみ、愛した。

  ――― しかし、それは子爵による罠だったのだ。

 常日頃から、魔族を忌嫌っていたオズワルド・バーキーは、贄の娘に魔族の心を攫ませると、その隙をついて、魔族を殺した。

 魔族はいまわの際に、肺腑をえぐられたような仄暗い双眸を娘とオズワルドへ向け、絶望と憎悪を滲ませた声で、言った。

 『たとえこの肉体が朽ち果てようとも、この地に安穏は決して訪れぬ。我が血統を持ってこの地を支配し、我が魂を持ってきさまと娘と脈々と続くその血族に、終わりなき苦痛と悲劇を』

 喉の奥から絞り出すように呟かれたその言葉に慄いたオズワルドと娘は、魔族の亡骸と共にその棲み家に火をかけ、すべてを灰に帰した。しかし、ここから悲劇は始まるのだ。


 まず娘が死んだ。他領へ嫁ぐ途中、夜盗に襲われたのだ。しかし、夜盗に殺されたわけではない。娘は数十人の男に凌辱された後、奴隷商に売られた。奴隷商は、娘を下級貴族へ売った。

 下級貴族は特殊な性癖のある50代の男で、あるときは娘の首を締めながら娘を犯し、あるときは娘の爪を剥ぎながらその悲鳴に狂喜した。娘は男に買われて2年で死んだ。娘の遺体は、片目が無く、両手足の爪は剥がれ、髪はざんばらで顔は腫れあがり、左足と右手首の骨は折れ、胸や背には無数の火傷と鞭のみみず腫れの跡が残っていたそうだ。


 オズワルド・バーキー子爵家は、3人いた子供のすべてを喪った。

 長男は、留学先で魔獣に襲われ死んだ。臓腑はすべて投げ出され、四肢は引きちぎられ、遺体は見る影もなくひどいものだった。二男は、領内で起こった原因不明の謎の疫病にかかり死んだ。この疫病は皮膚が腐敗し死に至る奇病だった。布に患部がわずかに触れるだけでも激痛を伴い、子爵の屋敷では、二男の最期の時まで苦痛に泣き叫ぶ声が絶えなかったという。末の娘は、子爵がもっとも愛した子どもだった。しかし、娘を殺したのは子爵だった。狩りに出かけた最中、あやまって散弾銃で娘を殺した。娘は三日三晩苦しみ、父であるオズワルドに怯え死んだ。その後、子爵は狂ってしまった。

 しかしバーキー子爵家は脈々と絶えずその血を引き継いでいる。オズワルドが狂ったあとは、その弟が。その弟が病に倒れたあとは、その息子が。その息子が妻に毒殺されたあとは、その妻が。その妻が愛人に殺されたあとは、その娘に。その娘が甥に騙され売られたあとは、その甥に。

 バーキー子爵家は、没落した今も血と怨嗟と死の影を纏い、存在し続けている。永久に解けぬ呪いと共に。


 そうして、魔族の棲み家であったこの『ダーティ・リ・アードの森』は、今なお、魔族の血と呪いが色濃くのこる場所なのだという。

 森には多くの魔獣が棲みつき、夜は月明かりすら照らさない。一歩足を踏み入れれば、帰ってきたものは誰もいない。地元の住民も近づかない森なのだ。


「言霊ってやつかしら…」

「え?」


 一通り話を聞いて、ぽつりと呟いた琴子に、ディアが不思議そうにこちらを向く。言葉は力を持つ。時に、深い感情や願いによって紡がれた言葉は、意味をなす。

 まあ、事実がどうであれ、魔族がどんな力を使ったかなど琴子に分かるはずもない。

 領主と娘は自業自得だ。その一族にはご愁傷様としか言いようがなかった。


「とりあえず、この森って、他にくらべて半端なく魔獣の数が多いんです。で、夜歩きまわるのは危険極まりないので、ひとまずここで一晩過ごして、明日、日が昇ってから森を抜けましょう」

「そうね…」


 小さく息をついて、琴子は再び冷たい地面に身体を横たえた。いまだ全身が気だるいのだ。微熱があるのかもしれない。

 ディアは、どこからか拾ってきたのだろうか、親指大の木の実の皮をナイフで剥き始めていた。バナナの葉のような大きな葉っぱに、剥かれた木の実が瞬く間につみあがっていく。なんというか…器用な男だ。

 ある程度の量を剥き終わったら、それを葉でつつみ、上から石ですりつぶす。もともと料理が苦手ではない琴子にとって、ディアの一連の手つきは慣れたものに感じた。だからだろうか、自然と言葉が口をついて出る。


「――― こういう、野宿みたいなことに慣れてるの?」


 琴子からの突然の問いかけに、ディアは目を丸め、しかし次いでにっこりと微笑んだ。


「そうですね。僕は祖国から出てもう数年、こうして旅をしてますから」


 祖国…。ディアにも、生まれた国があるのだ。当たり前のことだ。けれど、琴子は何故か胸が苦しくなった。自分はディアが、羨ましいのだろうか。妬ましいのだろうか。一瞬の間、ぎゅっと両目を閉ざす。そのまま小さく頭を振って、思考を霧散させた。


「…どうして、自分の国から出たの?」

 

 揺れる焚火の炎の中で、パチンと枝が爆ぜる。

 それは、なんとなくの質問で、深い意味などなかった。けれど刹那、どこか、空気が変わった気がした。


「うーん…理由はいろいろありますが…意味を見出せなくて」

「何に?」

「 ―――――― そこに存在し、生きることに」

「…」


 驚きで、言葉を失ってしまった。双眸を見開いて固まった琴子に、ディアはクスリと笑みをこぼす。


「毎日が退屈で、いきてる意味がわからなかったんです。日常は普遍。何の変哲もない」


 石ですりつぶした木の実が包まれた葉を、焚火の中にそっと落とす。ディアの横顔にかかる炎の影が、何故か色濃く見えた。ディアはじっと炎を見つめたままだ。霞んで消えそうなその横顔に、琴子の鼓動が跳ねた。

 ハッと首を微かに振って、「贅沢な悩みね」と呟くと、ディアもまた、先ほどまでの空気を払拭するように微笑んだ。


「そうですねー。弟にも、馬鹿か、ってよく怒られました」

「…弟がいるの?」


 意外な事実に、目を丸める。

 ディアが兄…。なんというか…想像し辛い。

 思わず黙り込んだ琴子に、ディアは相変わらずのほほんとした笑顔を向ける。

 

「とってもしっかり者の弟なんです。僕はいつも、弟に頭があがりませんでした」


 言葉と表情の端々にディアの弟に対する愛しさが溢れているのがわかる。ほんの少しの羨望に駆られながらも、琴子は沈黙に苦笑を添えた。


「さて、そろそろいい塩梅ですよ~!」


 薪の中へ投げ入れた葉から、良い香りが漂い始める。先ほど、ディアがすりつぶしていた木の実だろう。その匂いに、琴子の腹も、思い出したかのように空腹を訴え始めた。


 と、その時だった。


 ――――― パキッ と、洞窟の入り口辺りで、木の枝が折れる音が響く。


 刹那、ディアと琴子は音の礎へと顔を向けた。同時に、ディアは自身の身体で半分琴子を隠すように前へ出る。琴子もまた、背後に置いてあったディアの外套を手に取りすばやく纏うと、その色を隠すように深く覆った。

 薪の炎が揺らめく向こう側、洞窟の入り口の岩に、何かの影が見える。息をひそめ、じっと微動だにしない。次第に近づく影は、複数…魔物か、それとも…?


 張りつめた空気が、最高潮に達したその時。



「 ――――― 誰かいるのか…?」



 人だ。岩陰から、三人の人間がそっと顔をのぞかせた。魔物でなかったことに、琴子たちも相手の人間も、安堵する。ふっと、強張った身体から力を抜くと、琴子は洞窟の入り口に立つ三人を見据えた。

 一人は、戦士と思しき屈強な体躯の壮年の男。もう一人は、その男の背に抱えられ、意識を失っている、(戦士風の男に比べれば)華奢な若い男。最後は、紺色の外套に身を包み、長い杖を持った魔導士のような若い女。

 全員、服の端々は破れたり解れたりしている。腕や頬などには、擦り傷だろうか? 血が滲み、満身創痍のようだ。おそらく、自分たちと同じように、魔物に襲われ逃げてきたのだろうことが窺えた。


「あなた方も、迷い人ですか? どうぞこちらへ。あたたまりますよ」

「…すまん。恩にきる」


 ディアが声をかけると、壮年の男が困ったように眉をハの字に変えて苦笑する。同時に、隣の若い女も慌てて頭を下げた。

 ふと、二人のその視線が琴子へ向けられると、その目に不審と警戒と、わずかな戸惑いの色が垣間見える。


「そちらは…」


 逡巡は刹那だった。壮年の男が窺うように口を開く。琴子はしかし、二人を見据えたまま沈黙を貫いた。慣れ合う気などない。冒険者風情だが、得体のしれない者たちだ。満身創痍とは言え、戦う術を知る者。さっくり殺されては堪らない。

 そんな琴子の雰囲気を察してか、迷い人はその目に益々警戒の色を強め、足並みを止めた。

 ピンと張りつめた空気がその場を支配する。




 が、しかし。




「照れ屋さんなんです。お気になさらず」






 唖然と口を開いて固まる迷い人と、頬を引きつらせる琴子の間で、ディアの能天気な一言が、その空気をあっさりと破ったのだった。

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