9 名前
ドライアド達と別れてから歩くこと3時間。寝ぐらに帰り着いたのは、日没間際だった。真っ暗になる前に着いてよかったよ。普段、家と大学とバイト先との往復ばかりの足にはかなりキツかったが。水場で軽く身体を洗って一息ついた。
「風呂入りたいよな~」
僕は元々、それ程風呂好きではない。けれど、入れないとなると無性に入りたくなるからフシギだ。
夕食に、貰ってきたレッドボアの肉と、埴輪先生指導で採取した木の実を焼いてみた。僕が食おうとして埴輪に叩き落とされた赤くて美味そうなの木の実、見た目は小さなりんごだが、焼いてみたら味も食感もほとんどジャガイモだった。果肉も皮と同じ赤ってのはちょっと引いたけど。美味いんだけど、せめて塩が欲しいところだ。
他にも、一見岩にしか見えない木の実は、割ってみるとマンゴーのような黄色い果肉で、味もマンゴーのようで甘くて凄く美味かった。
朝食用にレッドボアの肉の残りと、他にも採取したキノコや葱のような野草を、焼き鳥のクシに刺して軽く炙っておく。冷蔵庫なんてないから、生肉を置いておくのが心配だったのだ。
木の実や肉を細かく切るのはカッターでは無理だったので、ゴブリンの落とし物の片手剣を使った。おそらく名のある剣なんだろうが、包丁替わりだ。他に無いのだから仕方がない。落とし物の中にナイフもあったのだが、そちらは錆びついていて使い物にならなかったのだ。
異世界2日目で、肉を得たのと知り合い(?)ができたのは行幸だった。
夕食後、寝ぐらに入り蚊取り線香をたいて寝床に転がって明日からのことを考える。森の探索もしたいが、ドライアドから情報を得る方がいいだろう。魔物なんで考え方が少し違うのが困り物だが、彼女からの情報は貴重だ。キングレッドボアの肉も預けてあるし、しばらく通うことにしよう。
「…片道、徒歩3時間か~」
それだけがネックだよな、と思いながら目を閉じた。やはりかなり疲れいたのか、眠気はすぐに訪れた。眠らなくていい埴輪が、枕元で剣を抱いて番をしてくれている。少しは安心できるな。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「…朝か」
昨日と同じように、石の隙間から入る光りと外から聞こえる鳥の声で目が覚めた。またしても爆睡してしまった。スキル呑気者、大活躍だな。まぁ、ブルって眠れないよりはいいか、と開き直っておこう。
ヨッと掛け声を上げて起き上がった僕は、両手を上げて伸びをした。
「う~。…イタタタ」
ポキポキと関節が鳴る。そしてやっぱり、あちこち筋肉痛だ。だが、今日も往復6時間歩くんだと、気合いを入れる。
「さ~顔洗って、飯食おう」
顔を手でパンッと叩いて、埴輪を促して外へ出た。
昨夜は、日が暮れて少ししてから床についたから、かなり早い時間に寝たことになる。だからなのか、ずいぶん早くに目が覚めたらしい。空は白んでるが森には靄がかかり、空気も冷たい。顔を洗いに行く前に火を起こすことにした。
「ついでだし、先に飯食うか。あれ?小枝がもうないじゃないか」
竈の前に座って、昨日炙っておいた串焼きを温め直すかと見ると、薪用の小枝が無くなっていた。埴輪に拾ってきてもらうかと声を出しかけた時、横から小枝を差し出された。
「お、気が利くな~。サンキュー」
受け取って火を着け竈に放り込む。再び差し出される小枝。僕は礼を言って次々火に焼べていく。そして、ぼんやり火を見つめるていてふと気付いた。
あれ?たった今右側から小枝を受け取ったよな?
そしてすぐに左側から差し出された。埴輪は瞬間移動は出来ない。違和感を感じて僕はおそるおそる左側に目をやった。
花がいた。青い釣り鐘型の花が、触手で小枝を持って揺れていた。
「うわっ!なんだっ!」
僕は立ち上がって周囲を見回した。気付けば周り中花だらけだった。ヒマワリに似た黄色い花、朝顔のような赤い花。他にも白やピンクの色とりどりの花々が、全て小枝を持って揺れていた。
「昨日の花モンスターかっ!なんでここにっ!?」
『お前《すぐ会う》、言った。だから、我、来た』
「ドライアド!?」
振り返れば僕の背後にドライアドが立っていた。気が付けば、寝ぐらの遺跡から少し離れた場所、大木の間に白い木が立っている。
こいつら移動出来るのか!?いや、確かに言ったけど。僕の方から出向くって言ったんだけどな。まさかドライアド達が来るとは思ってなかった。しかも花モンスター全部引き連れて。僕の寝ぐらが花に囲まれて、荘厳な遺跡だったのが一気にメルヘンになってしまった。
僕の困惑を余所に花達は、朝食用の串焼きを起用に火で炙って温め直してから、僕に差し出して来る。
こいつら、僕のことをペットだとでも思ってるのか?
諦めて受け取って口をつけた。だが、とにかく口元をじっと見つめて(目は無いが)くる。動物園の動物ってのはこんな気分なのか、ということを学んだ朝食だった。
とにかく、話しは食ってからだと、僕は串焼きを腹に詰め込んだ。
『リンタロー?』
「そう。僕の名前だ」
改めてドライアドに向き直り、話しをしていて気付いた。彼女は僕のことを《お前》と呼んでいた。 そう言えば名乗ってなかったなと思い、自己紹介してみたのだ。
けれど、ドライアドもそうだが埴輪も不思議そうに僕を見つめるだけだったのだ。どうやら魔物には名前の概念がないようなのだ。
「人間には一人一人名前があるんだよ。で、僕の名前は一燐太郎。一はファミリーネーム…一族の姓で、燐太郎が名前だ。言い難くかったらリンでいいよ」
そう教えるとドライアドと埴輪は、なにやらしきりに頷いていた。そして『なまえ、なまえ…』とブツブツ言っている。しばらく観察していたら、急に僕に顔を向けて迫ってきた。
『我、なまえ、欲しい。我だけのなまえ』
暁色の綺麗な薄紫の瞳をキラキラとさせて訴えてきた。埴輪も僕のジーパンを引っ張って催促してきた。
えーと、僕がつけるのかな。気持ちはわかるが、自慢じゃないがネーミングセンスはないんだよ。
以前、ウチに餌を貰いに来ていた野良猫に《又造》と名付けたら、母と姉に鉄拳制裁を受けたのだ。猫の白い毛が、友人の爺さん(当時62歳)のハゲ頭に乗ったベレー帽を連想させたんで、爺さんの名前をいただいのだが、名付けた瞬間に却下された。結局その猫は女二人にミルクと呼ばれて(雌だったらしい)可愛がられていた。
とにかく、期待に満ちた二人の視線を無視するわけにはいかない。考えないと。
まずは異世界の友人第一号の埴輪からだな。これはなんとなく思いついていたんだ。
「お前の名前は、セバスだ」
見た目、最初〇ラえもんだったのが今は進化(?)してサ〇テンダーになったけど、色々世話してくれたり教えてくれたりで、なんとなく《執事》を連想した。そう思ったら、結婚した姉が実家に置いて行った漫画にあったセバスチャンって名が浮かんだのだ。少女漫画はどこから読んでいいのか良くわからなかったので1巻で挫折したのだが。もっとも最初は、セバスって名前で《チャン》は愛称かと思っていたけど。
名前を付けると、埴輪…セバスは飛び跳ねて喜び、いつも以上に激しく踊っていた。
次はドライアドだな。こっちはまったくの想定外だから熟考しなければ。
白い木だから、白木さん?いや、顔が欧米人みたいだから日本名は無いか。ホワイトさん?なんか違うよな~。
無いセンスを必死に絞って思いついたのは、以前テレビで見た満開のリラの花だ。薄紫の花弁はドライアドの瞳の色にも似ていた。それを少し変えて。
「リーラ。ってのはどうかな」
僕が考えたにしてはなかなかイイんじゃないか?ちょっと自画自賛しながら彼女に告げた。
名前を与えた瞬間、目を見開いたドライアドから当然、強い風が吹いてきた。うわっ!と、とっさに腕を上げて顔を庇う。上げた腕越しにドライアドを見ると、彼女の長く白い髪が風に巻き上がり、両手を空に掲げたどこか神々しい姿が目に入ってきた。
『リーラ。我名はリーラ!』
そして、森中に宣言するように高らかに大きく思念を飛ばした。彼女の本体の白い木も強く揺れ、驚いたことにみるみる蕾ができ、次々花を咲かせていった。
風が止み辺りが落ち着いたときには、白い木と葉が薄く緑の光りを纏い、葉の間に薄紫の花が美しく咲き乱れた木と、嬉しそうに笑うドライアドが立っていた。彼女も薄い緑の光りを纏っていた。
セバスが注意を引いてくれなければ、しばらく呆然としてたかもしれない。
どうしよう。まさか、魔物に名前を与えるとこんな劇的に変化するとは。それにやっぱりセバスは僕の魔力で出来てるんだな、魔物とは違うようだ。
考えていたら、痛いほどのプレッシャーを感じた。周囲を見ると花達が見つめていた。期待に満ち満ちた目(何度も言うが目は無い)を向けているのだ。
まさかこいつら全員僕に名前をつけろと?ムリだっ!推定でも300株以上居るんだぞ!センス云々の問題じゃない。けれど、出来ない、なんて言ったら暴れるかもしれない。
「花ちゃん!お前達は花ちゃんだ!」
やけくそで、大声で宣言してみた。自分でもセンスの欠片も無いネーミングだと、ちょっと悲しくなったが。
僕が叫んだ瞬間、揺れていた花達はピタリと動きを止めた。マズイ。いい加減に付けたんで、怒るか!?それとも劇的変化か!?
どちらでもなかった。花ちゃん達は触手を上に上げて嬉しそうに再び揺れだした。
「よ、喜んでくれて、よかったよ」
魔物によって名前に対する反応が違うのかと疑問もあるが、とりあえず僕は、心の底からホッとして座り込んだのだった。