第1話 砂漠の遊び人
「ふざけんな、昨日着替えたばっかだぞ」
真っ暗で、生ぬるくて、べとべとする。
サンドワームの腹の中だ。今月これで三回目。
襟から背中へ、汁がじわじわ入ってくる。クソ、昨日サボテンタが落とした、まだ穴の開いてないシャツだぞ。
「食う相手くらい選べよ」
返事の代わりに、腹がぐにゃりと揺れた。こいつは獲物を飲むと砂の下へ潜る。のんびりしてたら、地上まで掘るのが面倒になる。
内側の壁に指を突っ込み、左右へ引き裂いた。
流れ込む砂を頭からかぶりながら、上へ上へと掻き分ける。
顔を出すと、朝日がまぶしかった。
すぐそばで、馬が荷袋に頭を突っ込んでいる。
「ヒゲチョロ」
栗毛の馬は、耳だけこっちへ向けた。口からはみ出しているのは、俺の朝飯のサボテンタだ。
主人が地面に飲まれてるってのに、こいつは朝飯のことしか頭にない。
「ちっとは心配しろよ」
ヒゲチョロは、最後の一切れを口に押し込んだ。
この一年、こいつもサボテンタばかり食っている。借りた馬にそんなもん食わせて大丈夫かと思ったが、逃げてきた頃より毛艶がいい。俺より元気だ。
背後で砂が盛り上がり、サンドワームがのたうって動かなくなった。
最初に見た時は、ヒゲチョロにしがみついて泣きながら逃げた。今は腹から出ればいいだけだ。
ただ、べとべとになるから嫌いだ。肉は臭くて食えない。出てきても、得るものがひとつもない。
住処の岩場へ戻る途中、砂丘の陰からサボテンタが三匹転がり出てきた。
丸い緑の胴に、短い足。棘だらけの腕を振り回して突っ込んでくる。
一匹目の腕を掴んで、残りの二匹へ投げつける。まとめて転がったところを、順番にぺしぺし叩いた。
動かなくなった。
よし、今日の水と飯は確保。果肉は食えるし、絞れば水も取れる。
そして、こいつらにはもうひとつ楽しみがある。
ポン、と倒れた一匹の横に何かが転がった。
「お、出た」
サボテンタは、たまに物を落とす。パンの日もあれば、片方だけの靴の日もある。何が出るかは運次第だ。
今日のは、金の縁取りの丸い盾だった。真ん中に、でっかい赤い石がはまっている。
「……盾かよ」
外れだ。
剣も鎧も盾も、俺には装備できない。構えた瞬間、手からすべり落ちる。
ただ、持って帰ることはできる。
裏返して、くぼみを覗き込んだ。
ちょうどいい深さだ。
「鍋にするか」
前の鍋は、昨日底が抜けたところだった。今日はついてる。
岩場に戻り、べとべとのシャツを脱いで、物干し竿に引っかけた。
岩の間に渡した、長い剣だ。柄に妙な紋章がある。装備はできないが、まっすぐで錆びないから、干すにはちょうどいい。
サボテンタが落とした服の山から、穴の少ないやつを選んで着る。
腕を通すと、指輪がじゃらりと鳴った。両手の指は、もうほとんど埋まっている。全部サボテンタが落としたものだ。
右手の金色のやつが、特に気に入っている。カッコいいからだ。左手の赤い石のやつは、同じのが四つも出たから、ありがたみがない。
小指のピンクは気に入っていない。拾った日から、何をしても抜けない。
盾の鍋に果肉を放り込み、火にかける。汁がしみ出すから、水を足さなくても煮える。塩をひとつまみ。
正直、もう飽きた。
屋台の串焼きが食いてえ。
「助けて!」
風に乗って、声がした。
ヒゲチョロが耳を立てる。
「誰か、助けて!」
女の声だ。
岩場から顔を出すと、砂丘を少女が転がり落ちてきた。灰色の短い髪。膝から血が出ている。首には、太い鉄の輪がはまっていた。
その後ろから、男が四人。
一人が弓を引いた。狙いは、少女の背中。
考えるより先に、体が動いた。
砂を蹴り、少女の横をすり抜け、男たちとの間に滑り込む。
トン、と胸に何かが当たった。
足元に、先の曲がった矢が落ちる。
「……え?」
少女が、矢と俺を見比べた。
俺はシャツを見た。
穴が開いている。
着替えたばっかりだぞ、おい。
「なんだ、てめえ」
真ん中の男が言った。右眉に傷がある。
「ノア。遊び人だ」
一瞬、間があった。
それから、四人がそろって吹き出した。
「遊び人! 丸腰の遊び人が何の用だ」
「剣も持てねえ役立たずだろ。引っ込んでろ」
笑われるのには慣れてる。町にいた頃、仕事を探すたびにこうだった。
「そいつは夜杯商会の持ち物だ。逆らったらどうなるか、分かってんのか」
夜杯商会。
笑い声が、遠くなった。
一年前、旧友のジルに連れて行かれた賭場だ。最初は勝った。勝って、勝って、最後の一勝負で全部ひっくり返って、借金が金貨二百八十枚になった。
最後のサイコロが転がった時、卓の向こうの男は、細い目をさらに細めて笑った。
「運が、なかったですねえ」
ナハト。夜杯商会の賭場を仕切る男だ。
あれは、いかさまだった。
まあ、調子に乗ったのは俺だけどな。
「分かってるよ。よく知ってる」
「なら、さっさと」
「だから、渡さねえ」
剣の男が斬りかかってきた。
さすがに腰が引けた。
だが、遅い。デススコーピオンの尾のほうが、よっぽど速い。
少し余裕ができた。
刃を指でつまんで止めてみる。男が両手で引いても、びくともしない。
「は?」
ぐいっと引くと、男は顔から砂に突っ込んだ。
次は槍だ。柄を掴んで振ると、持ち主ごと転がっていった。
眉の傷の男が短剣を抜いて、少女へ回り込もうとする。襟を掴んで持ち上げると、足が宙でじたばたした。
ぽいっと、さっきの二人の上へ放る。
俺、結構強いじゃないか。
残りは弓の男だ。砂丘の上で、震える手で二の矢をつがえている。
面倒くせえ。
懐から銅貨を一枚出し、親指に乗せる。逃げる魔物をやる時の手だ。
ピン。
銅貨は一直線に飛んで、弓の真ん中を撃ち抜いた。弓がへし折れ、男は尻もちをついた。
「あっ」
しまった。
銅貨一枚、損した。
砂丘を登って探したが、どこまで飛んだのか分からない。
これがあるから使いたくないんだ。
「クソ、もったいねえ……」
振り返ると、四人が抱き合うように固まって、俺を見上げていた。
さっきまで笑ってた顔が、真っ青だ。
なんだ、その顔。
いや、こいつらが弱いだけだな。
男たちの縄で、四人まとめて縛り上げた。
少女は岩陰にへたり込んでいた。水筒を渡すと、両手で受け取って喉を鳴らした。
「大丈夫か」
「は、はい……あの」
少女は、縛られた四人と俺の手を交互に見た。
「あの人たち、すごく強いんです。私たちの護衛を、何人も倒してて」
「そうか?」
首を傾げる。
「じゃあ、護衛が弱かったんだな」
「……え?」
「町の連中って、こんなもんだったか。一年もいないと忘れるな」
少女は口を開けたまま固まった。
岩場の方から、カランと音がした。
ヒゲチョロが、盾の鍋に首を突っ込んでいる。
「おい、それ俺の朝飯だぞ! 二回目だぞ!」
少女の口元が、少しだけ緩んだ。
「マレ、です。……遊び人の、ノアさん」
「そう、遊び人のノア。飯、食うか? 馬に全部食われる前に」
マレの腹が、ぐう、と鳴った。
マレが立ち上がろうとした、その時だった。
首の鉄の輪が、赤く光った。
「あ……っ」
首を押さえて崩れ落ちる。輪の隙間から、赤い筋が肌を這い上がっていく。
「おい!」
抱き止めた体が、腕の中で突っ張った。
縛られた眉の傷の男が、砂に頬をつけたまま笑った。
「逃げた奴隷はそうなるんだよ。戻らなきゃ、ずっと苦しむ。無理に壊せば首が締まって死ぬ。遊び人に何ができる?」
マレの爪が、腕に食い込む。
鉄の輪を曲げるくらい、わけない。
でも、壊したら死ぬ。
腕の中で、マレが震えている。
こいつも、俺とおんなじようなもんか。




